第158話 バベルの塔(2)
バベルの塔は大地を離れ、大空高く浮いていた。
目の前に広がる青い空に圧倒され立ちすくむクライヴ。
その姿を上機嫌で眺める塔の守護者アリス。
「何を驚いておるのだ。島さえ空に浮かべるエデン帝国だ。塔を空に浮かせるなど造作もないわ」
白い仮面で顔は隠されてはいるが、仮面の下で満面の笑みを浮かべているのは想像に難くない。
「どうした? 帰りたいなら一歩足を踏み出せばよい。ちゃんと元の場所に戻れるはずだ」
「俺たちに逃げ場はないという事か」
「だからお帰りは自由だと言っておろう。私は寛容だからお前たちの意思を尊重するぞ。その扉から外に足を踏み出すも、塔の最上階を目指すも、成す術もなくこの場で泣き叫ぶも、全てお前たちの自由だ」
アリスの言葉にアクセルが激高した。
「どこが自由だ! 早く塔を地上に降ろせ!」
「神聖なるこの塔に忍び込んだコソ泥に、そこまで便宜を図る謂れはないな。生きて帰りたければ、この塔の最上階まで登って来る事だ。褒美の浮遊石を使えば、無事に地上まで戻れるであろう」
完全に遊ばれている。空の上とあってはクライヴたちに退路はない。
エデン帝国を甘く見過ぎていた。クライヴは慙愧の念に強く唇を噛んだ。
「なぜさっさと俺たちを捕えない?」
「さあな。私は最上階でお前たちを待つ。無事に私の元まで辿り着ければ、その問いにも答えよう」
そう言うとアリスの姿は霧のように薄くなっていき、やがて完全に消えてしまった。塔の中に静寂が訪れた。
クライヴが振り返りタツヤを問いただす。
「タツヤ。君はこの塔が空を飛ぶと知っていたのか?」
「いや。俺も初めて知った。けど言われてみれば尤な話だ。単に俺の想像力が足りなかっただけだな」
「どういう意味だ?」
「クライヴだって言ってただろ。こんな細くて高い塔が倒れもせず立っていられるなんて信じられないって」
「ああ、俺は建築に関しては素人だが、それでもこの塔の異常さは分かるつもりだ」
タツヤはクライヴの言葉に首を振った。
「前提が間違ってるんだ。元々この塔は大地の上に立っていた訳じゃない。浮遊石の力で宙に浮いていただけなんだ。だから塔に強度なんて必要ないし、多少バランスを崩したって倒れたり折れたりする心配はない。塔の堅牢な基礎部分は塔の重さを支える為のものじゃない。塔が風に流されないよう大地に繋ぎ止める為のものなんだ」
「……そういう事か」
「だから地上との連結を解除して浮力を増してやれば、塔は自由に空を飛べるようになる」
「…………」
「塔を浮かせるのに浮遊石を使ってるのは知ってたけど、塔そのものを飛行船にするっていう発想は無かったな」
理屈は分かった。だがスケールが大きすぎて理解が追い付かない。
クライヴはもう一度大きく開いた扉から外を見た。青い空がどこまでも広がっている。雲海に阻まれ地上の様子は見えないが、自分たちが雲より高い空に浮いており、地上に降りる術がない事だけは確かなようだ。
「背中に羽でも生えてない限り、この塔から出る事は不可能だな。何とか塔の制御を奪って地上に降ろすか、奴のご要望通り最上階まで登るしか手はないか……」
「隊長!」
オットがクライヴに詰め寄る。彼の顔には闘志が溢れている。
「隊長、奴は私たちが足掻く姿を見て楽しむつもりでしょう。いいじゃないですか。ご期待通り我らが右往左往する姿を奴に見せて喜ばせてやりましょう。奴が私たちを見くびって油断しているうちに、塔を登れるだけ登って、最上階に近づいたら思い切り暴れてやればいいんです。我々がただ逃げまどうだけの鼠じゃなく、爪を隠した猫だと思い知らせてやりましょうや」
「いや、そこは猫じゃなくて、虎とか竜とか言ってくれよ」
アクセルもやる気満々だ。
カリーネとイングリッドに目を向ければ、彼女たちもアクセルの言葉に大きく頷いている。
退路は断たれたが、部下たちの心は折れていない。俺たちはまだ戦える。
「よし、最上階を目指そう。アクセル、イングリッド。念のため二人で階段を調べてきてくれ。何か細工されてないとも限らん」
アクセルとイングリッドが上へと続く階段へと向かう。斥候と鑑定持ちの二人なら、何か罠があっても見抜けるはずだ。
「オット、カリーネ、タツヤ。一緒に来てくれ。上に行く前に奥に見える扉を調べておきたい」
残る四人で塔の最奥部にある扉の前に立つ。
「何の扉だろうな?」
「開けると中から槍が飛び出したりして……」
「最上階まで来いと言ってるんだ。ここで俺たちを害するとは思えんな」
三人の密偵が頭を捻らせていると、妙な顔で扉を見ていたタツヤが言った。
「その扉、たぶん昇降機の扉だと思う」
「昇降機?」
「人や荷物を乗せて塔の内部を上下する箱だよ。この塔はエデン帝国が作った塔だ。当然この塔にも昇降機があるはずだ」
「待ってよ。それじゃあ、これがその昇降機だとしたら、乗ってるだけで塔の最上階まで行けるって事?」
「そうなるな」
周囲に微妙な空気が流れる。
待ち受ける罠を掻い潜り、最上階に辿り着いてみせると気炎を上げていたのだ。
それが黙って乗ってるだけで最上階に行けるだなんて……。
「まあ、俺たちを乗せて動いてくれるかが問題なんだけどね」
タツヤが腕輪を扉の前にかざした。
扉が音もなく開き、壁へと引き込まれていった。
「あれ? 駄目元だったけど、ちゃんと開いたな」
予想に反して扉はちゃんと開いた。開いた扉の向こうは小さな部屋だった。
「これ昇降機に間違いないよ。この小部屋が塔の内部を上下に動くんだ。試してみようか?」
部屋に入ろうとしたタツヤをクライヴが慌てて引き止める。
「待て、タツヤ。俺も一緒に入る。オットとカリーネはここで待機だ」
クライヴとタツヤが昇降機に乗り込む。
タツヤが昇降機に指示を出した。
「最上階まで頼む」
すぐさま昇降機から声が返った。
『現在、タツヤ様の昇降機の利用は制限されております。恐れ入りますが階段をご利用ください』
タツヤがガクリと肩を落とした。
「ですよねー」
裏切者の権限の剥奪はとっくに済んでいるようだ。
クライヴが苦笑する。
「まあ、あまり期待してなかったしな。では階段で上がるとしようか」
アクセルとイングリッドによる階段の安全確認は終わっている。
バベルの塔の攻略を開始するとしようか。
◇◇◇
二階へと上がったクライヴたちを待ち受けていたのは、白い仮面で顔を隠した銀髪の女だった。女はクライヴたちを見据えると、美しい声で名乗りを上げた。
「私は皇帝アダムを支える三つの僕が一つ、ローテム。バベルの塔の第一の守護者であり、お前たちに試練を与える者である」
一行の先頭にいたアクセルが、へなへなと床に崩れ落ち膝を付いた。
「おい、お前! 何でまたいるんだよ! ついさっき『最上階で待つ』って格好付けて消えただろ!」
ローテムこと皇帝秘書のアリスが平然と答える。
「何を言っておるのやら。この姿は私のホログラムに過ぎん。本体は塔の最上階でお前たちが来るのを今や遅しと待っておるぞ。何も嘘などついておらん」
「いや、だとしてもあんな消え方をしたら、普通はもう出て来ないと思うだろ!」
「勝手に誤解しておいて人を悪く言うとは、全く見下げ果てた男よのう」
怒りで顔を真っ赤にするアクセルを無視し、アリスは言葉を続ける。
「さて。塔の攻略を選んだお前たちに、塔に関する注意事項を伝えておく」
アリスの隣の空間に緑色の板が現れた。
板には注意事項らしき文言やら塔のフロア図などが描かれている。
アリスが手にした棒でフロア図を指し示す。
「この塔は階段を使って最上階まで上がる事が可能だ。だがそれは一階から最上階まで階段が続いているという意味ではない。階段は上階に通ずる一階分のみ。階段を上がるとフロアの反対側に更に上に通じる階段があり、それを上がるとまたフロアの反対側にといった具合に、階段はフロアの両端に交互に設置されている」
クライヴがアリスに問い掛ける。
「階段を上がったら、そのフロアを通り抜けない限り次の階段に辿り着けないという事か?」
「その通りだ。各フロアにはそれぞれ試練が用意してある。この試練をクリアしなければ先には進めない仕組みになっている」
オットが敵意をむき出しにしてアリスを睨む。
「趣味が悪いな。魔物とでも戦わせるつもりか?」
「試練の内容は各フロア毎に異なる。ちなみに試練は六人全員が各々クリアすべきもの、六人で協力して一つの試練をクリアするもの、六人のうち誰か一人がクリアすればよいものなど様々だ」
「試練をクリア出来なかったらどうなる?」
「再挑戦は何度でも可能だ。クリアするまで繰り返し挑めばよい」
「何度やってもクリア出来ない場合は?」
「……本当にその答えを聞きたいのか?」
「いや、いい」
確かに失敗した場合の話を聞いても意味はない。
クライヴたちには塔を登る以外の選択肢など無いのだから。
「トイレは各階にある。十階ごとに食事と仮眠が出来る休憩室を用意した。好きに使うがいい。最上階を目指す者には、試練以外で危害を加えるつもりは無い。安心して利用するがいい」
それを聞いてイングリッドが素直に喜んでいる。
「食事に睡眠とは至れり尽くせりですね。敵地での待遇とは思えません」
面白くなさそうにアクセルが吐き捨てる。
「元気のない鼠では嬲り甲斐が無いって事だろ」
「だとしても利用しない手はありません」
疑念の眼差しでアリスを見ていたカリーネが、タツヤの袖を引いた。
「ねえ、タツヤ。あの仮面女の話、どこまで信用できると思う?」
「額面通り受け取っていいと思うよ。気にすべきは『試練以外で危害を加えるつもりは無い』ってとこだな。裏を返せば試練はかなり危険だって意味だよ」
「オットが言ったみたいに、魔物と戦わせるつもりかしら。私は戦闘なんてからきしよ」
「大丈夫。俺が付いてる。カリーネには指一本触れさせないよ」
「頼むわよ。襲われたら盾になって私を守るのよ」
「任せておけ!」
クライヴたち一行を見ていたアリスが、両手をパンと叩いた。
「さあ、それでは第一の試練を始めるとしよう。第一の試練は……」
クライヴたちの間に緊張が走る。オットとアクセルが前に出て、周囲に警戒の目を向けている。
彼らは密偵であり本格的な戦闘は苦手である。隠密行動を主とするため、大きく強力な武器など身に付けていない。魔物と戦えば苦戦を強いられる事は必至である。
「第一の試練は『体力テスト』だ」
「は?」
「この試練は各メンバー毎に挑んでもらう。テストの内容は、握力、上体起こし、体前屈、反復横跳び、持久走など計十八種類。全ての測定結果が規定値を上回ればクリアとなる」
「へ?」
高まっていた緊張が一気に霧散した。思わぬ展開に、クライヴたちは互いに顔を見合わせた。
「規定値は一般的な大人なら簡単にクリアできる値だ。その程度の体力も無いのであれば、この先に挑む資格は無いと知れ」
「最低限の体力がある事を示せという訳か」
クライヴには何となくこの試練の意図が分かった気がした。
アリスは我々が必死にもがき苦しむ姿を見たいのだ。
だが全員で挑む試練に体力の無い者が混じっていれば、試練はクリア出来ず塔の攻略は早々に終わってしまう。
それはアリスの本意でない。
だから使えなさそうな者を早めに選別し、排除しようとしているのだろう。
密偵は単独で敵地に潜入する事の多い仕事だ。それなりに体力が無ければ務まらない。この試練に何も問題は無いはずだ。
「いいだろう。その体力テストとやら、受けてやろうじゃないか!」
「うむ。その意気や良し! では一列になって前に進め。向こうに体力テスト用の器具が置いてある。使い方は説明するから順にテストを受けるがよい」
こうしてバベルの塔の最初の試練は始まったのである。




