第159話 バベルの塔(3)
アクセルは渾身の力で握力計を握り締めた。握力計の小窓に数値が表示される。
「四十六か。……こんなの調べて一体何の意味があるんだろうな?」
アクセルがオットに握力計を渡しながら、素朴な疑問を口にした。
「俺に聞くなよ。塔の守護者様に自分で訊いてみろよ」
オットは受け取った握力計を思い切り握り締めた。
「どりゃぁぁぁ。……どうだ! やった、四十九だ。俺の勝ちだな」
「別に勝ち負けの話じゃないだろうが」
塔の守護者ローテムこと皇帝秘書アリスから、体力テストと称して様々な測定をさせられてきたが、どうやらこの握力測定で最後のようだ。
他の者たちは、既に全ての測定を終えてアクセルとオットの測定が終わるのを待っている。
体力テストに立ち会っていたアリスが、全員の測定結果が表示されたボードを見ている。
「これで全てのテスト項目は終了だ。ふむ、全員基準値には達しているようだな。とは言え、これは普通の大人なら誰でもクリアできるようなテストだ。これに落ちるようなら大笑い……、ゴホン、大問題だったが安心したぞ」
本音が漏れていたが、アリスは素知らぬ顔でフロアの一角を指差した。
「第一の試練は全員合格だ。上階への階段は開放された。次なる試練に挑むがいい」
「ねえ、試練って一体いくつあるのよ?」
「さあな」
カリーネの問いに素っ気なく答えるアリス。
「試練がいくつあるかは自分で確かめる事だ。浮遊石を手に入れたくば、さっさと全ての試練をクリアし最上階まで登ってこい。お前たちが来るまで最上階で待たされる私の身にもなって欲しいな」
そう言うとアリスの姿は霧のように薄くなっていき、やがて完全に消えてしまった。
「あの野郎。どうせまた次の階で俺たちを待ってるんだろ。何度も同じ手は食わんぞ」
アクセルのぼやきに、皆がうんうんと同意している。
イングリッドが体力テストに使用した様々な測定器具を見回す。
「隊長。体力テストって言ってましたが、こんな軽く体を動かした程度の運動、どこが試練なんでしょうね」
「徐々に難易度を上げていくつもりなんだろ。気を抜くなよ」
「そうかもしれませんね。通路が開いたようですし、先に進みましょうか」
クライヴたち一行は解放された階段を上り、次のフロアに足を踏み入れた。
◇
階段の上で待っていたのは白い仮面を付けた女だった。
アリスではない、赤毛の髪をポニーテールにまとめた女だ。
「私は皇帝アダムを支える三つの僕が一つ、ボセイドーラ。バベルの塔の第二の守護者であり、あなたたちに試練を与える者です」
今度の僕も白い仮面で顔を隠しておりその表情は分からないが、塔の守護者という地位にそぐわないメイド服姿の女だ。
カリーネが胡散臭そうにボセイドーラを見ている。
「タツヤ。もしかしてあの女も知ってる相手?」
「ああ。彼女はブレンダ。天空の島にある皇帝アダムの屋敷を管理してるメイドだよ」
「本物のメイドなの? 何でメイドが塔の守護者なんてやってるのよ?」
「うーん。アダムはよく『エデン帝国は慢性的な人手不足だ』ってこぼしてたからな。その辺りが理由じゃないかな?」
二人の会話が聞こえたようで、ボセイドーラことメイドのブレンダがタツヤを指差した。仮面で表情は見えないが怒っている気配は伝わってくる。
「そこ! 余計な事は言わないように。私はバベルの塔の守護者ボセイドーラ。よろしいですね?」
「なあ、いくら偽名を名乗ったところで、とっくに正体はバレてるんだ。もうブレンダでいいんじゃないのか?」
ブレンダが大きなため息をついた。
「もう何とでも好きに呼んで下さい。早速ですが第二の試練を発表します。第二の試練は……」
どこかから『ドコドコドコドコ』というドラムロールの音が響き始めた。
そして『パーン』というシンバルの音が響き渡る。
「第二の試練は学力テストです。この先に人数分の椅子と机が置いてあります。机の上には問題用紙が置いてあるので、各自で問題を読んで解答を記入して下さい。制限時間は三十分。全員が合格点に達するまで、この試練はクリアとなりません」
クライヴたちが微妙な顔をしている。
先程の体力テストは準備運動だと思っていたのだ。次こそは厳しい試練が来ると身構えていたのに、それが全く体を動かさない学力テストとは。
「皆さん、字は書けますよね?」
「無論だ」
敵地に潜入し機密書類を盗み出すのも密偵の仕事の一つだ。書類の文字が読めなくては話にもならない。
戸惑うクライヴたちを見て、ブレンダが説明を加える。
「ご心配なく。日常生活を送れている大人なら十分に解ける問題です。例えば『銅貨三枚の果物を十二個と、銅貨六枚の野菜を九つを買おうとしたら、店主が二割引きにしてくれました。いくら払えばいい?』といった感じですね」
「流石に俺たちを馬鹿にし過ぎじゃないか?」
「全ての試練に打ち勝たねば、浮遊石の入手はおろか、生きて地上に戻る事も叶わないのですよ。なのに問題が簡単だと不満を漏らすとは驚きですね。最上階を目指すのであれば、つべこべ文句を言わずに最低限の知性を示しなさい」
クライヴたちは顔を見合わせた。
確かに簡単な試練なら歓迎すべきだが、何か危険な罠が仕掛けられているようで落ち着かない。
「考え込んでいても仕方がない。とりあえず試練を受けるとしようか」
三十分後。
「おめでとうございます。第二の試練はクリアです。全員が一発合格とは素晴らしいですね。再試験の準備もしてあったのに、無駄になってしまいましたね。上階への階段を開放しましたので、先に進んで次の試練に挑んでください」
試験は簡単な問題ばかりだった。何か罠が隠されているはずと警戒していたのだが、全て真っ当な問題だった。
「素直に喜んでいいのか分からないが、先に進んでいいなら通らせてもらうよ」
簡単過ぎる試練を怪しみながらも、ブレンダに見送られ階段を上るクライヴたち一行。
「今のテストは何だったんでしょうね?」
「さっぱり意図が掴めん。この先も訳の分からん試練が続くのかな?」
◇
階段の上で一行を待ち受けていたのは、またしても白い仮面を付けた女だった。
アリスでもブレンダでもない。長い金髪をなびかせたエプロン姿の女だ。
「私は皇帝アダムを支える三つの僕が一つ、ロプローヌ。バベルの塔の第三の守護者であり、あなた方に試練を与える者です」
お決まりの自己紹介である。カリーネが無言でタツヤを見た。
「えーっと、彼女の名はセシリア。ブレンダと同じ天空の島にある皇帝アダムの屋敷のメイドだよ。メイドといっても彼女の担当は厨房で、セシリアの作る料理はこれがまた絶品なんだ」
「今度は料理人? 一体何のつもりなのよ? 私たちの相手なんて料理人で十分って思われてる?」
「だから人材不足なんだろ」
そんな会話をしているカリーネたちの脇で、オットとアクセル、そしてイングリッドの三人が、身動き一つせず無言でセシリアを凝視している。
まるで魅入られたかのようなその異様な様相に、クライヴが弾かれるように叫ぶ。
「まずい! あの女も魅了持ちだ! 目を合わせるな!!」
クライヴの切迫した叫びに、それまで食い入るようにセシリアを見ていた三人が、一斉に声を上げた。
「あああ……。あの豊かな胸を思う存分揉んでみたい。ああ、あの胸に顔を埋ずめてみたい……」
「でけえ! 何て大きさだよ。いや、単に大きいだけじゃない。大きさと形が絶妙なバランスを保ち神々しさを醸し出している!」
「あんな牛みたいな乳女を、まな板のこの私にぶつけてくるとは……。エデン帝国恐るべし! 私なんて……、私なんて……」
彼らが凝視していたのは、セシリアのエプロンから溢れ出んばかりの豊満な胸であった。
タツヤがクライヴの肩に手を置いた。
「大丈夫。セシリアには魅了のスキルなんて無いよ。あれは単にセシリアの巨乳に魅せられてるだけだ。…………待てよ。そういう意味では魅了の力を持ってると言うべきか?」
どうやら精神に影響を及ぼす危険なスキルや魔法では無いと分かり、クライヴが安堵の息を洩らす。
「男ども! しっかりしなさい! そんなに見たければ後で好きなだけ見せてあげるから、いつまでもあんな女に鼻の下伸ばしてるんじゃない! イングリッド、あなたもよ! 心配しなくても、あなたはまだ成長期なんだから、たくさん食べてればちゃんと大きく育つわよ」
イオングリッドを叱咤すべく投げられたカリーネの言葉が、イングリッドの胸に深く突き刺さる。
「私もう十八なんだけど……。成長期なんてとっくに終わってる……」
登場しただけでこの場を混沌に陥れた張本人、ロプローヌことセシリアが遠慮がちに告げた。
「あのー、そろそろ第三の試練を発表したいのですが……」
全員が一斉に口を閉じセシリアに注目した。……いや、三人ほどは依然としてセシリアの胸に注目している。
「では第三の試練を発表します。第三の試練は……」
どこかから『ドコドコドコドコ』というドラムロールの音が響き始めた。
「何なのよ、この音は? 発表の度に毎回鳴らすつもりかしら?」
「カリーネ。それはお約束と言うか、様式美というやつだ。いちいち突っ込まないでやってくれ」
シンバルの『パーン』という音が響き渡る。
「第三の試練は『鬼ごっこ』です。どうも皆さんは簡単な試練はお気に召さないようですので、ここでは全力で体を動かしてもらいます」
鬼ごっこと聞いて、クライヴたちの間に白けた雰囲気が漂う。第三の試練もお遊びの類と分かったからだ。
セシリアは自分の後方に腕をかざした。
天井から明るい光が降り注ぎ、薄暗かったフロアを煌々と照らし出した。
それを見たクライヴたちが驚きの声を上げた。
「おい。何だ、これは?」
フロアの奥には、廃屋と思わしき建物がいくつも並んでいる。
ここは塔の中だ。上を見上げれば天井が見える巨大な空間だ。
そんな閉ざされた屋内空間に寂れた廃屋が並んでいるのだ。違和感が半端ない。
「このフロアには、人が住まなくなって荒廃した廃村が再現してあります。見ての通り、人が隠れられる場所はたくさんあります。鬼はこの廃墟内を逃げ回りますので、あなた方は逃げる鬼を探し出し、その体に触れて下さい。それが今回の試練です」
いつの間にかセシリアの背後に、黒い服を纏った大柄な人物が立っていた。
御多分に漏れず顔は仮面で隠されているが、セシリアのような目も口もないのっぺらぼうの仮面ではなく、鋭い目と裂けた口、そして二本の角といった異形の仮面だ。
「彼があなた方が捕まえる『鬼』です」
「単に体に触れるだけでいいのか? 子供がよくやる鬼ごっこと同じだと?」
「ええ、その通りです。今回は全員参加で、誰か一人が彼に触れれば、その時点で試練はクリアです。細かなルールはありません。鬼を走って追いかけるも、罠を張って追い込むも、戦って倒すも手段は問いません。とにかく鬼に触れて下さい」
戦いという言葉にオットが反応した。
「鬼ごっこなのに、戦ってもいいのか?」
「構いません。鬼を倒した後で触れればクリアです。鬼は手足を引きちぎった程度では死にはしませんから、思う存分戦って下さい」
オットの目が鋭くなった。
体力テストに学力テストとふざけた試練が続き、ストレスが溜まっているのだろう。鬼を叩きのめして鬱憤を晴らすという意思が見て取れる。
アクセルも同じ考えのようで、黒衣の鬼をじっと見つめている。
「念の為に確認するけど、その鬼って本当に触れるんでしょうね? あなたみたいなホロ何とかっていう幻影じゃないでしょうね?」
「もちろん鬼はホログラムではありません。ご確認下さい」
黒衣の鬼がイングリッドの前に進み出て手を差し出した。
イングリッドがその手を握り返す。
「確かに触れる。幻影じゃないわね。ちゃんと実体がある」
イングリッドは鬼の手を握ったまま目を閉じた。
「あなた……人間じゃないわね。まさか……ゴーレム? でも不思議なゴーレムね。体は石じゃなくて金属で出来てる。……魔石を動力に動く機械仕掛けのゴーレムだなんて聞いた事がないわ。……製作者はエデン帝国皇帝アダム」
自分がイングリッドに分析されていると気付いた黒衣の鬼が、慌てて彼女から手を離す。
その分析能力を目の当たりにしたタツヤが、さりげなくイングリッドから距離を取るように後ずさりしている。
「驚いたな。それは鑑定スキルか? ゴーレムだと見抜いたのも驚きだが、製作者まで分かるものなのか?」
「ええ。私の鑑定スキルは特別で、常にこの精度で鑑定出来る訳じゃありませんが、調子が良ければ製作者はもちろん……。いえ、何でもありません」
行動を共にし、仲間内の感覚で自分のスキルを明かしてしまったが、タツヤは自分たちの仲間ではない。カリーネに魅了され自分たちに従っているに過ぎないのだ。
その事を思い出したイングリッドが慌てて口をつぐむ。
「もうよろしいですか? では鬼は廃墟内に隠れます。皆さんは一分経ったら捜索を開始して下さい」
セシリアに指示され、鬼が廃墟の中に消えていく。
そして一分後、セシリアが宣言した。
「ではこれより第三の試練、鬼ごっこを始めます。手段は問いません。鬼を探し出しその体に触れて下さい。ではスタートです!」
六人の捜索者は一斉に廃墟へと駆け出した。




