第148話 嵐の予感
「ゼロ。諜報員の育成状況は?」
「第一期の四十七名は最終の研修に入りました。あと一ヵ月で投入が可能になります。第二期の五十名は本部内で座学研修中。第三期はまだ選別の段階です」
「あと一ヵ月か……。いや、まだ一ヵ月もあると言うべきか。早く現場に投入して活動中の諜報員の負荷を減らさないと、また突き上げを喰らうな。宥めすかすのもそろそろ限界だし、誰か倒れてからでは遅いし。ああ、本当に頭が痛いよ」
一体なぜこんな事になってしまったのか……。
秘密諜報組織シャドウは、今やどこに出しても恥ずかしくないブラック組織へと変貌を遂げてしまった。
影の組織なのだからブラックなのは当然。……などどいう冗談を言っている場合ではないのだ。
任務に危険が伴うのは仕方がないにしても、人手不足から一人の諜報員がいくつもの任務を掛け持ちするのは日常茶飯事。長時間の労働が常態化し休日勤務も当たり前。
シャドウ労働組合からは労働環境の改善要求が度々上がって来ているのだが、諜報員の数が圧倒的に少な過ぎて、何ともし難いのが現状なのだ。
一期と二期の諜報員育成が終われば、百名近い増強が可能となる。
これだけ増員すれば、少しは余裕のある体制が敷けるはずだ。
「司令。ホルス王国内で貴族連中の調査監視に当たらせている諜報員ですが、半数を引き揚げ、別の調査に回したいのですが」
「休養に当てるのではなく、そのまま別の任務に付けるのか? 何か気になる事でもあるのか?」
「このところバベル城の警備システムに捕捉される侵入者が急増しています。その者たちの監視と調査に人を振り分けたいと思います」
「了解した。人員の配分はゼロに任す。思うようにやってくれ」
『バベル城の地下奥深くには、エデン帝国の知られざる秘宝が眠っており、この秘宝を手にした者は、世界を手に入れる事が出来る』
……とまあ、そんないかにも眉唾物の噂が巷に広まっており、噂に惑わされた者や、別の思惑を持つ者たちが城への侵入を試み、次々と城内の警備システムに探知されているのだ。
バベル城内には侵入者対策として、外部から侵入し易く内部の警備も緩い区画がいくつか用意されている。当然その区画内には監視や捕獲のための設備が完備されており、侵入者が現れるのを手ぐすね引いて待ち受けている。
侵入者は城内をうろついている間に人相風体はもちろん、身長、体重、視力、聴力、体温、心拍数、血圧、その他諸々、本人でさえ把握していないような細かな情報までもが収集される。
顔を隠していても無駄である。城内の監視装置は覆面や変装などはもちろん、服に忍ばせた武器でさえ感知できる。侵入者の身体的情報は丸裸にされるのだ。
中には認識阻害系の魔法や魔道具を使って侵入を試みる者もいる。だがそんな精神に作用する魔法や魔道具が、人ならざる機械を騙せる訳もなく、城内での行動は全てこちらに筒抜けだ。
侵入者が単なる盗賊と判断されれば、捕えて帝都の衛兵に引き渡すだけだ。
盗賊ではなく密偵の類だと判断されれば、何も気付かぬふりをして存分に城内を調べさせ、手土産を渡してお帰り頂く事になる。
手土産といっても帝国饅頭とかバベル煎餅とかの話ではない。
城の地下の書庫には、いかにも密偵が喜びそうな表題の付いた機密書類が、盗まれる事を前提に大量に収められている。
事実と虚偽を混ぜ込んだ、いかにもそれっぽく作られた書類であり、この機密書類を利用しようとする者に災いを呼び寄せるよう、巧妙な罠が仕込んであるのだ。
土産はもう一つある。エデン謹製の超小型マーカーである。密偵の衣服にこっそり付着させれば、密偵が城を出た後でも居場所を確認できるという優れものなのだ。
ということで、城内での情報収集は警備システム任せで大丈夫なのだが、密偵がどの国の者で何が目的なのか。また仲間の有無や背後関係など、そういった調査をするにはやはり人手が必要なのだ。
諜報員の筆頭、シャドウ1ことセドリックが手を上げた。
「司令。それに関連して、お知らせしておきたい事があるのですが」
「どうした。セドリック」
「実は城に忍び込んだ者の中に一人、特に怪しい男がおります」
「どんな奴だ?」
目の前にバベル城の警備システムが捉えた侵入者の画像が表示された。
白いローブを着た目付きの鋭い中年の男が、周囲を気にしながら城内の通路を歩いている。
「陛下の結婚式に参列したヘルムラント王国の使節団の一人。ノーマンという男です。三日前の夜、城に忍び込んで地下の区画を調べていきました」
「使節団の一員が訪問先の国の城に不法侵入って、もし捕まったりしたら外交問題じゃないか。ヘルムラント王国は何を考えている?」
使節の随行員の重要な仕事の一つは、訪問先の国での情報収集だ。面会相手の趣味や嗜好、財産や人脈などを調べ上げ、対話を有利に進める材料に使うのだ。
時にはその道に長けた密偵を使節団に加え、公に出来ない秘密を探り出すなんてのもよく聞く話だ。
だが通常の密偵ならいざ知らず、使節団の肩書を持つ密偵が訪問先の城へ忍び込むなど聞いた事が無い。
「そこなんですが、このノーマンという男、ヘルムラント王国の者でない可能性があります」
「どういう事だ?」
「元々ノーマンは使節団の一員ではなかったようです。使節団が帝都に到着した後に、使節団長ブラン侯爵の元に密書を携えてやって来て、そのまま使節団に加わったとか」
「それって、何か密命を帯びてヘルムラント本国から送り込まれた密偵って事だろ。何でヘルムラントの者じゃないなんて話に?」
表示されていた映像が切り替わった。
ヘルムラント王国の使節団の面々が映っており、その中にノーマンの姿もある。
どうやらバベル城で開かれた披露パーティーの時の映像のようだ。
「団長のブラン侯爵も他の団員たちもノーマンとは初対面で、彼を見知っている者は誰もいませんでした。ですがノーマンと会話を交わした団員の何人かから、気になる話が聞けました。彼の話し言葉には大陸北方系の訛りがあったと」
「ふむ。使節団に送り込まれた北方訛りの男が、訪問国の城に不正に忍び込んだ。その事実から何が導き出せる?」
短い沈黙に続き、セドリックが躊躇いがちに答える。
「ノーマンがブラン侯爵に持ってきた密書が偽物だったのではないかと。彼はヘルムラント王国から派遣された密偵ではなく、大陸北方の別の国の密偵の可能性が高いと思います。ヘルムラント王国の使節団はノーマンの偽密書に騙され彼を団員に迎え入れた。ノーマンの諜報活動の隠れ蓑として利用されたのでしょう。使節団員の肩書があれば堂々と披露パーティーに潜入できますし、強引な諜報活動で外交問題が生じても、責任は全てヘルムラント王国にある」
「ふむ。この説には説得力があるな。これが真実なら、他国の密偵にいいように使われたヘルムラントの使節団は面目丸潰れだろうな」
だがそれをどうやって証明する? ノーマンを捕まえて取り調べるか?
「ノーマンは今どうしている?」
映像が帝国の領域を示す地図に変わった。地図上の一点が赤く光っている。
「一昨日、使節団を抜け出し帝都を出ました。今はホルス王国に入国し北に向かって移動中です。この調子だと一両日中にはホルス国境を抜けると思います。出国されると、もうマーカーでの追跡は出来なくなります」
ヘルムラント王国の使節団は、あと一週間は帝都に滞在するはず。その使節団を一人で抜け出したという事は、既に何らかの目的を達し、自国に帰還しようとしているのか。
「ヘルムラント王国の北方で、他国といざこざを起こしそうな国はどこがある?」
地図が大陸図に変わり、北部の一部地域が青く色付いた。
「北方で好戦的な国と言えば、このエルドラ帝国しかありません。ですがエルドラ帝国はヘルムラント王国のかなり北です。そんな遠方の国がエデン帝国に興味を持つかと言われれば、甚だ疑わしいですね」
エルドラ帝国は大陸北方に位置する強大な軍事国家だ。周囲の国々を武力で制圧し帝国の版図を着々と広げている。
だがエルドラ帝国はエデン帝国から遠く離れた国であり、その間には多くの国々が存在する。もしエルドラ帝国がエデン帝国に野心を抱いたとしても、それらの国々を制圧しない限り南方への進出は不可能だ。
「ゼロ。君の意見は?」
「判断を下すにはまだ情報が少なすぎます。このまま泳がせてノーマンという男の正体を突き止めましょう。放置するのは悪手です」
「そうだな。拉致して尋問した方が手っ取り早い気もするが、藪をつついて蛇を出す事にもなり兼ねん」
「ノーマンに偵察ポッドを張り付かせて追跡させます。帝国の領域外に出る事になりますが、よろしいですか?」
「それは構わんが、こちらが探っている事は絶対に気取られるなよ」
「了解しました」
その後もいくつかの議題について報告と議論が行われ、会議は終了した。
シャドウ・ゼロとセドリックが仮想会議室から退出し、周囲には誰もいなくなった。
静寂が訪れた円卓を見つめ、一人物思いに耽る。
エルドラ帝国。大陸屈指の軍事力を誇る大帝国だ。科学技術頼りのエデン帝国とは違い、強大な軍隊で周辺の国家や民族を次々と征服し、徐々に勢力を拡大しているガチの帝国だ。
だが今現在、エルドラ帝国がエデン帝国に攻め込んで来る確率はゼロに近い。
にも関わらず、俺の胸中はエルドラ帝国に対する漠然とした不安が渦巻いていた。
(この焦燥感は何なんだ? 俺は一体何を恐れている?)
ノーマンと名乗る男がエルドラ帝国の密偵と決まった訳ではない。
それにもしエルドラ帝国の密偵だったとしても、それが一体何だと言うのだ。
エルドラ帝国といえど、エデンの力の前では赤子も同様だ。
(まずはエルドラ帝国の情報を集めよう。もっと相手の事を知らないと……)
その時、誰かが俺の手を握った。
周囲を見回しても仮想会議室には誰もいない。俺の手を握っているのは現実世界の誰かだ。
慌ててヘッドセットを外す。
目の前に俺の手を握り、こちらを見ているテレーゼがいた。
会議が終わったのに身動き一つしない俺を心配したのだろう。
「タツヤさん。どうしたんですか? 怖い顔してましたよ」
「テレーゼか。何でもない。心配は……」
『何でもない。心配はいらない』
そう言おうとした俺は、慌ててその言葉を飲み込んだ。
(違う! そうじゃない!)
テレーゼは皇妃として俺と共に帝国を支えていく存在だ。
こういう時こそ、テレーゼに俺の胸の内を明かすべきではないのか。
俺はテレーゼの手を握り返した。
「テレーゼ、聞いてくれないか。実は……」
◇◇◇
ノーマンの追尾を始めて半月が経った。
この日、事態は思いもよらぬ方向へと動き出した。
『司令。シャドウ・ゼロです』
天空の島の屋敷で眠っていた俺は、シャドウ・ゼロからの緊急連絡に叩き起こされた。
「ストレイカーだ。どうした、ゼロ」
『申し訳ありません。偵察ポッドで追尾していたノーマンを見失いました』
「見失った? 追尾に気付かれたのか?」
ノーマンはホルス王国を出国して以降、街道を北上し続け、昨日ヘルムラント王国に入国していた。
ノーマンが大陸北方の国の密偵という推測が間違っていたのではないか?
公称通りヘルムラント王国の密偵だったのではないか?
シャドウ内部でも、そんな結論に傾きつつあったのだが、見失ったとはどういう事だ?
『ノーマンが偵察ポッドの追尾に気付いた様子はありません。マーカーからの信号も、偵察ポッドのセンサーが捉えたデータも、ノーマンの存在がいきなり消失した事を示しています。ノーマンは消えてしまいました』




