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第136話 エルフリーデ

「フローラ。ここだ」


 俺は船室の扉を開けると、身体を脇にずらし後ろのフローラに入室を促した。

 小さな船室の中にはベッドが置かれており、その上には白いシーツが掛けられている。

 シーツの下には永遠とわの眠りについた少女が一人横たわっているはずだ。


「会ってくるといい。俺は隣の部屋で待ってる」


 フローラは俺の言葉に小さく頷くと、船室の中へと足を踏み入れた。

 彼女はベッドに近寄ると、震える手でシーツに手を伸ばす。


 俺はそっと船室の扉閉めた。

 船室の中から漏れ出た嗚咽が、俺の胸を強く打つ。



 ◇◇◇



 仮装コルベット艦ウンディーネの一室で、俺は一人の少女と向かい合い座っていた。エルの侍女フローラと名乗っていた少女だ。

 金髪碧眼の小柄な美しい娘で、こうして見ると確かにエルと似ている。

 泣き腫らしたせいで、まだ目の周りが少し赤い。


「フローラ、確認しておきたい。君が本物のエルフリーデ王女で間違いないな?」

「はい。私の名はエルフリーデ・グレーテ・ローデンヴァルト。ホルス王国の第二王女にございます」

「紫炎の予知姫とは君のことか?」


 エルフリーデが少し困った顔で言う。


「自分でそう名乗った事はありませんが、そう呼ばれているのは承知しています」

「帝国のフリゲート艦サラマンダーの存在を予知したのも君か?」

「はい。空に浮かぶ大きな船。その船が地に落ち兵士たちが船の中に入っていくのを予知しました。それを国王陛下にお伝えしたのも私です」


 俺の探し求めていた娘が見つかった。

 あれほど探しても見つからなかったのに、相手の方から転がり込んでくるとは……。


「俺の掴んでいた情報だと、予知姫はホルス王国辺境の里に隠れ住む一族という話だったんだが、王国の流した偽情報に踊らされていたという訳か」

「いえ、全てが嘘という訳ではございません」


 エルフリーデの話によると、ホルス王国の辺境には確かに代々予知者を排出する一族が住んでおり、予知で得た情報を王国に伝える代わり、庇護と財政支援を約束されていたという話だ。


 十数年前、現国王がこの予知の力を王家に取り込もうと、隠れ里に住む先代の予知姫と無理やり関係を結んだ。その結果生まれたのがエルフリーデだ。


 エルフリーデは隠れ里の母親の元で育てられた。彼女が十二歳で能力に目覚め、いくつかの予知を的中させると、父親である国王によって母親から引き離され王城へと連れ出された。

 それ以来、エルフリーデはずっと王城内で暮らしているという。


「私は第二王女という地位にはいますが、他の王子や王女とは立場が違います。社交の場に出る事もなく、ただ未来の出来事を知る為の道具として扱われていました」

「酷い話だな。王城で冷遇されたのはやはり母親が平民だからか?」

「それもありますが、やはり私の能力が大きな原因です」


 国王の目論見通り、エルフリーデの予知能力は度々ホルス王国の窮状を救っている。

 国王は彼女の能力を王家で独占するため予知の力を秘匿し、情報が漏れないよう彼女の生活範囲を王城内に限定した。


「母親の元に逃げ帰る事は考えなかったのか?」

「母は私が里を出て一年程して病気で亡くなったと聞かされました。私は母の死に目にも会わせてもらえず、葬儀に出ることも墓に花を添えることも許されず……」


 エルフリーデの目から涙が零れる。彼女は涙を拭うと話を続けた。


「母が亡くなったと聞いた時も、毎日部屋に閉じこもって泣き暮らしていました。さすがに周囲の者も困惑したようで、しばらくして私に同じ歳の専属侍女が付きました。それがフローラ、いえエルだったのです」


 生前のエルの事を思い出したのだろうか。その表情に微かに笑みが浮かんだ。


「エルの事をもっと教えてくれないか」

「彼女の本当の名はフローラ・ゼルマ・ハース。子爵家の三女で侍女として王城に上がってすぐに私の元に連れて来られました。私と同じ十二歳の子供だったのに、私の境遇を聞くと侍女としてだけでなく護衛としての役目も引き受けてくれました。誰にも心を許せず引き籠っていた私にとって、彼女はただの侍女などではなく、かけがえのない友人だったのです」

「主従の枠を超えてて信頼し合っていたんだな。エルも君の事を友と呼んでいたよ。彼女は死ぬ間際まで、ずっと君の事を気に掛けていた」


 エルフリーデの目から再び涙が零れ出した。


「エルの両親はどこにいるんだ? 親元に彼女を届けねばならん」

「いません。……いえ、正しくは消息不明です」

「何?」

「彼女が侍女として王城に勤め出した後に、彼女の父親は事業に失敗し多額の借金を負ったそうです。父親は屋敷を売り払い、エル以外の家族を連れて姿を消しています」

「エルだけ残して黙って消えたのか?」

「はい。王女付きの侍女なら自力で生きていけると思ったのでしょう」


 家族が消息不明ということは、彼女の死を悼むのはこの王女しかいないという事か。


 エルの最後の言葉が脳裏に蘇る。


(姫を、姫様を……頼む……)


 彼女の最後の頼みを無下にするつもりはない。

 そうなるとエルフリーデには俺の正体を明かしておくべきか。


「エルフリーデ王女。実はだな、君が王女の身分を偽って侍女に化けていたように、俺も身分を隠している」


 言葉を続けようとした俺に、エルフリーデが爆弾を投げ込んだ。


「はい。存じております」

「え? 君は俺が誰だか知っているのか?」

「はい。エデン帝国皇帝タツヤ陛下。……でいらっしゃいますよね?」


 今頃何を言っているのだ、とでも言わんばかりの表情を浮かべている。

 俺が一介の商人ではない事は気付かれていると思ったが、まさか素性まで見抜かれているとは思わなかった。


「いつから気付いていた? 何でばれた?」


 小首をかしげたエルフリーデが答える。


「陛下だと気付いたのは最初に黒い森でお会いした時です。何でと聞かれれば、陛下のお姿は以前見た予知で見知っておりましたから」


 荷馬車を用意して護衛も雇って行商人を装っていたというのに、まさか最初からばれていたとは。俺の苦労は一体何だったのだ。


 頭を抱える俺をエルフリーデが奇妙な目付きで見ている。


「そんな憐みの目で見ないでくれよ」

「いえ、世の情勢に聡い者なら予知などなくとも陛下がエデン帝国の皇帝陛下だと気が付いたはずですが」

「どういう事?」

「陛下は堂々とタツヤと名を名乗っておられたではないですか」

「タツヤなんてありふれた名前だろ。行商人と皇帝が同じ名前だからって普通は同一人物とは思わんだろ」


 エルフリーデの顔に困惑の表情が浮かぶ。


「本気で言っておられますか?」

「本気だけど」

「失礼ですが陛下。タツヤという名前がありふれているのは、大陸東方の国々での話だと思います。私はホルス王国内でタツヤというお名前の方を一人も存じあげません。それに陛下の黒目黒髪も大陸の東方民族の特徴で、大陸西部ではあまりお見掛け致しません」

「まじかよ……」

「ホルス王国の一般庶民の間には、まだ陛下のお姿やお名前は広まっておりませんが、知る者が見れば黒目黒髪でタツヤと名乗る人物など、真っ先に皇帝陛下を思い浮かべると思います。私は陛下が本気で身分を隠すつもりはないのだと思っておりましたが」

「…………」


 俺は両手で顔を覆った。これは恥ずかし過ぎるだろ。


「エルも俺の正体を知っていたのか?」

「いえ、彼女は陛下のお名前を知らなかったようですし、知れば騒ぎ立てそうでしたので私からは何も伝えませんでした」

「そうか……」


 まあ俺が皇帝だと知ってたら、さすがのエルも初対面でナイフを突きつけるなんて真似はしなかっただろう。


「エルフリーデ王女。俺はエルから君の事を託された。だから可能な限り君の望みを叶えるつもりだ。君はこれからどうしたい?」


 エルフリーデはしばらく考え込んでいたが、俺に問い返した。


「先にお伺いしてもよろしいでしょうか? 陛下はずっと私を探していたと聞き及んでおります。私をどうされるおつもりなのですか?」

「そうだな。君の予知能力は帝国にとって非常に危険な能力だ。だから予知が帝国や周辺国に影響を与えるような場合、それを口外しないよう約束させるつもりだった」

「約束だけですか? 私はてっきり捕えられてどこかに幽閉されるものだと」

「犯罪を犯した訳じゃあるまいし、そんな恐ろしいことしないよ。ただ帝国に不利益となる予知を他国に流されるのは困る。だから秘密厳守の確約を取り付けたい。もちろん応じてくれれば相応の謝礼はする」

「陛下にとって私の予知の力は必要ないと?」

「あれば嬉しい。……だが必須ではない」


 俺の答えを聞きエルフリーデがまた考え込む。


「で、君はどうしたい? 城に戻るか? 今すぐは無理だが、近いうちにホルス王国の王族たちを一掃する。それが済めば城に戻れるはずだ」

「いえ、城には戻りません。あそこは私の生きる場所ではありません」

「では幼少期を過ごしたという隠れ里に行くか? 今でも誰か母方の血縁者がいるだろ」

「予知姫として戻れば色々と面倒事が起きそうです。里に行くつもりもありません」


 城には行きたくない。里にも行きたくない。

 そうなると行く当てなど無いのではないか?


「エルは第二王女エルフリーデだと偽って死んだ。このまま第二王女の死を世間に公表すれば、もう君を狙う者はいなくなる。今後は市井に紛れ平民として新たな人生を歩むか? 生活に困らないよう援助はする。君が王家から離れ平穏な生活を送ることはエル……、いや、フローラ・ゼルマ・ハースの願いでもあったしな」


 エルフリーデの顔が曇る。どうやらこの提案も気乗りしないようだ。

 急かすつもりはないのだが、これではいつまで経っても決まりそうにない。


 一応訊いておくか。


「エルフリーデ王女。君に問おう」

「はい」

「ホルス王国の王位を望むか?」

「はいっ?」


 裏返ったような声が返ってきた。あまりにも予期しない問いに驚いたようだ。


「現国王は近いうちに退位しホルス王国の王座は空席になる。第一王子エルヴィンは帝国が捕縛したし、第二王子ランベルトも断罪のための物証を揃えてある。もう奴らが王座に就くことはない。その他の王位継承権者たちも今後一掃する予定だ。どうだエルフリーデ。王座を望むか? 君が望むならホルス王国の女王の座をやろう」


 エルフリーデがブンブンと首を振る。


「私には国政を司るための知識も経験もありません。私に国の統治など無理です」

「最初は国の象徴として君臨していればいい。実務は配下の者に丸投げで構わない。王国の運営には帝国も力を貸す。反発する者も出るだろうがそこは帝国が矢面に立つ」

「申し訳ありません。私はお飾りの女王となるつもりはありません。もう権謀術数の渦巻く世界に関わるつもりはございません」


 予想通りの答えだな。

 これまでの経緯を聞けば、エルフリーデが女王を引き受けるとは思えない。


「ではどうしたい? 思っている事があれば言え。俺に出来る事なら叶えよう」

「では陛下に一つお願いがございます」

「おう、何でも言ってくれ」

「陛下のお屋敷で家政婦としてお仕えさせて下さい」

「家政婦? 王女である君が?」

「城でよくフローラと入れ替わって侍女の仕事をしていました。掃除洗濯から料理まで大抵の家事はこなせます」


 王城の王女様が侍女に化けて掃除洗濯をしてたというのも驚きだが、そんな事よりもっと気になる事がある。


「君は俺の屋敷がどこにあるか知っているのか?」


 エルフリーデがニコリと笑う。


「はい。エデンの園、天空に浮かぶ島ですよね」


 俺やサラマンダーの事を知っていたのだ。天空の島の存在を知られていたとしても不思議はない。

 だけどこの娘、どこまで俺の秘密を握っているのか?


「なんで家政婦なんだ?」

「この先行くあてもありませんし、どこかの街で働くにしても私の身分や予知の力が露見した場合、何が起こるか分かりません。その点、陛下のお屋敷なら何の不安も無く働けるかと」

「確かに屋敷は安全な場所だがエデンの園は人の世とは隔絶した地だ。一度足を踏み入れれば簡単には地上に戻れない。もう気軽に街で飲食や買い物なんて出来なくなるぞ」

「元々城の中に閉じ込められ、街への外出などした事がありません。今までの生活と大して変わりません」

「待て。だったら尚更天空の島は駄目だろ。わざわざ世捨て人の生活を選ばなくとも、君なら街で華やかな生活が送れるはずだ」


 エルフリーデは何も言い返す事なく微笑んでいる。


 彼女は王位継承争いに巻き込まれ大切な侍女を失った。

 もうこの国に何の希望も抱いていないのだろう。


 確かに天空の島ならば面倒なしがらみから解放され、心安らかに暮らせるはずだ。

 たまに地上に降ろして自由な時間を与えれば、人との交流も絶やさなくて済む。


「私の願い、お聞き届け願えますか?」

「いいだろう、エルフリーデ。君を皇妃テレーゼ付きの侍女として天空の島に迎えよう」

「陛下。ありがとうございます」


 エルフリーデが深々とお辞儀をした。

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