第114話 心閉ざせし者
冒険者ギルドの朝は早い。冒険者たちが条件のいい依頼を求め、空が明るくなると共に押し寄せてくるからだ。
そんな冒険者たちで賑わうギルドのロビーで、馴染みの冒険者が俺の来るのを待っていた。
冒険者パーティー「タイスの剣」の若きリーダー、戦士オスカーである。
「タツヤさん。こっちです」
「やあ、オスカー。お待たせ。いつも急に呼び出して悪いね。ノーラとソフィーは?」
「ノーラが寝坊して起きて来なかったので、僕だけで来ました」
「……相変わらずだな。まあいい。俺の出した指名依頼はちゃんと受けてくれた?」
「ええ、さっき受付で受注しましたよ。はい、この通り」
オスカーが依頼票を差し出して俺に見せる。オスカーへの荷馬車護衛の指名依頼票だ。ちゃんと受注済のサインも入っている。
「早速だけど、依頼内容を確認しておこうか。依頼はホルス王国の王都までの行商の荷馬車の護衛。まあ護衛はおまけで、実際はいつもと同じで特殊スーツの試験だけどね。荷馬車を護衛しつつ道中出没する魔物を全てスーツの力で倒して欲しい。王都到着までは四日間を想定している」
「了解です。ところであのスーツ、今回はどんな改良を加えたんですか?」
「いや、機能は前と変わってないよ。今回はスーツを酷使しても問題が出ないことを確認する耐久試験だ。これで問題が出なければ特殊スーツの試験は終了だよ。約束通りテストに使用したスーツは君たちに進呈する。後々のメンテナンスも格安で引き受ける」
オスカーたちにはこれまでも何度か特殊スーツの試験を手伝ってもらっている。
最初は都度報酬を決めて頼んでいたのだが、冒険者ギルドを通した指名依頼にすればオスカーたちにギルドの評価ポイントが付き、ランクアップにもつながると知ってからは、ギルド経由で依頼を出すようにしているのだ。
「何か質問はある?」
「帰路の護衛はどうするんですか?」
「王都にどれくらい滞在するか未定だから、帰りは別に護衛を雇うよ。その時点で都合が付くようなら帰路もオスカーたちに護衛を頼みたい」
「分かりました」
「出発は明後日の朝、俺の店に集合だ。それでいいかな?」
「問題ありません」
冒険者ギルドの扉を開け出て行くオスカーを見送り、何か見落しはないかと思案した。
「これで護衛の手配は済んだ。馬車の準備は出来てるし、行商用の商品も積み込んだ。水と食料も出発前には届く。行商手形も用意した。……まあ大丈夫だろう」
今回のホルス王国への潜入調査では、俺は魔道具の行商人としてホルス王国に入国する予定だ。
本格的な潜入調査は秘密諜報組織シャドウの諜報員が別行動で行うのだが、俺は俺で行商の旅を通じてホルス王国内の内情を探るつもりなのだ。
行商を装うとなればその護衛も必要である。そこで急遽オスカーに白羽の矢が立ったのだ。
オスカーたちパーティーに護衛を頼めば、開発中の特殊スーツの試験も同時に進められる。
何分こちらも多忙な身だ。調査と試験が一度に済ませられるならそれに越したことはない。
「後はテレーゼに何て説明するかだな。新婚旅行から帰ったとたん家を留守にするだなんて絶対に怒るよな。いや、怒るならまだいいけど、泣かれると困るな」
とりあえず帰ったらテレーゼのご機嫌を取ろう。
機嫌を良くしてから話を切り出せば、すんなり分かってくれるかもしれない。
◇◇◇
エデン帝国の真の本拠地、天空の島エデン。
その大空を漂う巨大な島は全域が美しい庭園となっており、緑の木々や色とりどりの花々で覆い尽くされている。この島を知る者はこの天空の庭園をこう呼ぶ。エデンの園と。
そんなエデンの園の一角に、俺とテレーゼの住む屋敷は建っている。
「テレーゼ、ただいま」
「おかえりなさい」
屋敷のリビングに入ると、エプロン姿のテレーゼが優しく俺を出迎えてくれた。
ああっ、何だか新婚家庭らしくてとてもいいな。
テレーゼをしっかりと抱きしめ、長く甘い口づけを交わす。
(よし、このまま寝室に連れ込んでしまうか? 一戦交えた後の気だるい雰囲気の中で話を切り出せば、家を留守にする件はあっさり通るかもしれない)
そんな策略を巡らす俺の耳に、わざとらしい咳払いの音が聞こえてきた。
「ごほん、ごほん。あー。ごほごほ」
咳払いの主はソファーに座り、あらぬ方向に視線を向けている一人の少女であった。
「何だ、エミー。そこにいたのか。全然気付かなかったよ」
「あーら、ごめんあそばせ。これはとんだお邪魔虫でしたわね」
「え、何で? 全然邪魔じゃないよ。今のはただいまの挨拶だ。見られたって気にしないよ」
「見ているこっちが恥ずかしいって言ってるのよ! 新婚だからって所かまわずイチャつくのは止めてよね! こちとら年頃の娘なのよ。少しは気を遣いなさいよ!」
「うーん。気を遣ってるからこの程度に留めてるんだよ。気を遣わなかったら所かまわず押し倒して……」
「わーーー! 何てこと言い出すのよ、このセクハラ男! テレーゼさん、このエロ男に何とか言ってやってよ」
「テレーゼならとっくにキッチンに行っちゃったぞ」
「むっきーーーー!」
少女の名はエミー。魔王を倒すべくセントース聖王国に召喚されし女勇者である。
彼女は勇者としてこの世界に召喚されたのだが、生き物の命を奪えないという気弱な性格から勇者としての育成が進まず、とうとう心を操られ魔王暗殺の道具に仕立て上げられたのだ。
結局暗殺は失敗に終わったのだが、彼女は自分が人を殺したという思いに捕らわれ、心に大きな傷を負ってしまった。
俺はエミーを天空の島に保護することにした。
だが俺は心の傷を負った彼女との接し方が分からず、ただ島で静かに静養させるくらいしか出来なかった。
当初は一日中部屋に引き籠り固く心を閉ざしていた彼女も、最近では徐々に心の安定を取り戻してきており、部屋から出て会話を交わす事も多くなってきている。殊にここ数日は、今のような気軽なやり取りも増えている。
「そんなに怒るなよ。新婚家庭なんてどこでもこんなものだろ」
「そんな訳ないでしょ。あんまりイチャつき過ぎると、すぐに倦怠期が来るわよ」
「若い娘の口から倦怠期なんて言葉が出てくるとは……。お前、本当に女子高生か? そういうのは熟年夫婦のセリフだぞ」
俺の返した軽口にエミーの表情がみるみる凍り付いた。表情だけではない。その身体も固まっているようだ。俺はすぐに自分の失敗を悟った。
(くそっ! 地雷を踏んだか?! 今の会話の何がまずかった?)
憶測でしかないが、たぶんエミーは元の世界を連想させる『女子高生』という言葉に反応したのだろう。
普通の女子高生としての生活を思い出し、帰る事の叶わぬその身の不幸を嘆いたか? それとも今の自分が女子高生などではなく、勇者という名の暗殺の道具であることを悲しんだのか?
(何てこった。かなり回復したと思ってたけど、まだまだ不安定だな。人の心はそんな単純じゃないってことか)
突然訳の分からない世界へと拉致され、勇者として魔物と戦うことを強いられていたのだ。親も兄弟姉妹も心許せる友人も誰一人いない土地で、ずっと不安な毎日を過ごして来たのだろう。
いくら静かな環境で静養させたところで、今の境遇を受け入れられる訳ではなかろう。
身体を固くして立ちすくむエミーを見て、俺はひたすら戸惑っていた。
こういう心の問題では俺は無力だ。どう対応すればいいのか全く分からないのだ。
俺はそっとエミーの体を抱きしめた。
エミーはピクリと身体を震わせただけで、すぐに何の反応も示さなくなった。
俺は彼女の頭を自分の胸元に抱かえ込むと、耳元で優しく語り掛けた。
「エミー、大丈夫。何も問題はない。落ち着くまでこうしていようか。どうしたの? 何か悲しい事を思い出したの?」
しばしの沈黙の後、少女がポツリと呟いた。
「帰りたい……。家に帰りたい」
そう言ったとたん、彼女の瞳からみるみる大粒の涙が溢れ出た。
返す言葉が見つからない。
帰る方法など存在しない。
彼女の願いを叶えてやれない。
俺は無言のまま、ただエミーを抱きしめ続けた。
ひとしきり泣いて少しは気分も鎮まったようだ。嗚咽の声ももう聞こえなくなった。
(静養を理由にこの天空の島に連れて来たけど、あまりいい対応じゃなかったか? 腫物に触るように気を遣いながら世話を続けてきたけど、これは何か違うような気がする……。そろそろ人の住む世界に戻して、少しずつリハビリさせた方がいいのだろうか?)
心の問題に関しては、俺もテレーゼも正解を持ち合わせていない。
そもそも正解などあるのだろうか?
「タツヤさん。ありがとう。もう大丈夫」
エミーが俺の胸を軽く叩いて、放してくれと合図を送っている。
俺はそれを無視してエミーを抱きしめ続けた。
「エミー、俺は明後日からしばらく仕事で留守にする。帝都からホルス王国の王都まで馬車で行商するんだ。君も一緒に行かないか? 一緒に行商を手伝ってくれると助かる」
エミーは顔を上げて俺を見た。
「タツヤさんと二人?」
「いや、道中は君と同年代の男女三人の冒険者パーティーに護衛を頼んである。愉快な連中だからエミーもすぐに友達になれると思うよ」
エミーはしばらく考え込んでから答えた。
「そうね。外に出て体を動かした方が余計なことを考えずに済むかもね。分かったわ。お手伝いします」
「ありがとう。馬車の旅は……」
その時、背後に人の気配を感じ咄嗟に後ろを振り返った。
振り返った俺の視線の先には、表情を固くしたテレーゼが立っていた。
「ひっ! テレーゼさん!?」
激しい動揺のせいで、思わずうわずった声が出てしまった。顔から血の気が引いていく。
ああ、今の俺はテレーゼの目にどう映っているのだろうか?
うら若き乙女を自宅に連れ込み妻の目を盗んで抱きしめ、更には泊まりの旅行に連れ出そうとしている下種野郎ってところか。
うん、これは終わったな。
「あなた、夕食の準備は出来てますよ。早く食堂に行って下さいね。エミーさんは一緒に私の部屋に来て下さい」
テレーゼがエミーの手を掴んだ。
まずい! まさかエミーに危害を加えるつもりなのか?!
エミーをこの天空の島に連れて来た時、テレーゼには彼女が召喚勇者であることや、心に傷を負った経緯などを全て伝えてある。それを聞いたテレーゼはエミーの心を癒すべく、何かと世話を焼いてくれていた。
だが今の状況を見れば、俺が家に連れ込んだ少女を相手に浮気しようとしていると思われても仕方がない。
「テレーゼ、違うんだ! 全部俺が悪いんだ! エミーは何も悪くない!」
俺の叫び声を聞いたテレーゼが、俯いて身体をブルブルと震わせ始めた。
しまった。俺があからさまにエミーを庇ったせいで、かえって怒りを増大させたか。
「ふふっ、ふふふ、ふふふふ……」
駄目だ。怒りが頂点に達している。
「タツヤさん。『全部俺が悪いんだ!』って言いましたけど、どんな悪いことをしたんですか?」
……あれ? テレーゼの口調が何か変だ。怒っていない? いや、怒るどころか笑いをかみ殺していないか?
「いや、ほら、あの、何というか、エミーをぎゅっとしちゃったから……」
「傷心の女の子を優しく慰めるのは紳士の務めですからね。タツヤさん立派ですよ」
「エミーを行商の旅に連れ出そうとしたんだけど……」
「そうですね。夫婦二人の旅と思っていたので少し驚きましたが、三人旅も賑やかでいいと思いますよ」
ん? んん? んんん? 何を言っている? 夫婦二人の旅?
俺のホルス王国への潜入調査のことを言ってるのだろうか? どうにも話が見えない。
話は見えないが、どうやらテレーゼが怒っていない事だけは確かなようだ。
「もしかして、俺がホルス王国に出向くつもりなのを知ってる?」
「はい。アリスさんから聞いています」
アリスかよ! 何て口の軽い秘書だ。
まあテレーゼにどう切り出すか悩んでたから、かえって助かったけど………。いや、そうじゃない!
何でテレーゼが一緒に行くことになってるんだよ!
「えーっと、テレーゼ。実は行商ってのは隠れ蓑で本当は身分を隠した潜入調査なんだ。王都まで護衛は付けるけど、街中では一人で行動するつもりなんだ」
「危険な調査なんですか?」
「実際に行商しながらホルス王国の内情を軽く探るだけだ。街中では特に危険はないはずだけど、馬車での移動はあえて魔物が多く出没する道を使う。決して安全な旅とは言えない」
「あなたの事です。しっかり安全対策を講じていると思いますが、違いますか?」
「まあ、そこは抜かりなく」
「じゃあ問題ありませんね。……タツヤさん、まさか私一人に留守番させようだなんて思ってませんよね?」
決して反論を許さない強い圧力を感じる。
「も、もちろんだよ。テレーゼと一緒に旅が出来るだなんて、ああ、俺は何て幸せ者なんだろう」
「私の荷造りはもう済ませてありますから、いつ出発でも大丈夫ですよ。ああ、エミーさんの荷造りもしないといけませんね」
何と言うことだ。有無を言わさず同行を承諾させられてしまった。
「ところでテレーゼ。エミーをいったいどうするつもりなんだ?」
テレーゼはまだエミーの手首を掴んだままだ。
「エミーさんの目が腫れてますから、顔を少し直してから行きます。先に夕食を食べてて下さい」
「えっ、私そんな酷い顔になってるの? ああ、恥ずかしい……」
慌てて両手で顔を隠すエミーを連れて、テレーゼが部屋から出て行った。俺はソファーにどっと倒れ込んだ。
どうやら最悪の事態は回避されたようだ。
というより、テレーゼは最初から俺とエミーの状況をちゃんと理解していたようだ。
安堵と共に、ホルス王国への潜入調査に意識が向いた。
俺の思惑とはずいぶん異なる展開になってしまった。大丈夫だろうか?
女性の同行者が二人も増えるとなると、旅に必要な荷物がどっと増える。俺が用意した荷馬車はかなり小さなタイプだ。これはもう一回り大きな荷馬車に変えた方がいいかもしれない。
護衛も三人では全く足りない。何人か追加で雇う必要がある。
そうなると荷馬車に積み込む水や食料も増やさないといけない。場合によっては荷馬車を二台に増やして商隊にする必要があるかもしれない。
それに部外者の護衛が加わるとなるとなると、オスカーに頼むはずの特殊スーツの試験はもう出来なくなる。
「ああっ、何だよ! 旅の計画、全部練り直しじゃないか!」




