第104話 勇者と暗殺者
「エリカーーーーーーっ!」
俺はただひたすらその少女を抱きしめ続けた。
驚きのあまり俺の腕の中で硬直していた少女が我に返った。
「ちょっ、ちょっと。ねえ、放して、放してったら。いやー! 誰か助けてー!!」
周囲の者たちもこの異様な状況に目を見張っていたのだが、少女の悲鳴を聞いて一斉に動き出した。
「おい! 勇者様に何をしている! その手を放せ!」
少女に付き添っていた聖騎士が俺の腕を掴んだのだが、その聖騎士の腕を今度は俺の護衛のホワイト1が掴み取る。
「貴様ら! 勇者様を害する気か! たとえ皇帝であろうとただでは済まさんぞ!」
普通なら間違っても他国の君主に言うべき言葉ではないはずだが、勇者を守る事で頭がいっぱいなのだろう。
騒ぎを聞きつけて他の聖騎士たちも集まって来た。周囲は一触即発の雰囲気に包まれている。
ノルベルトが慌てて駆け付けてきた。
「陛下! 何やってるんですか!! 早くその娘を放して!」
「いやーーー! 早く助けてーー! 痴漢! 変態! 犯されるーーー!」
俺は少女や周囲が騒いでいることにも気付かず、ひたすら少女を抱きしめ続けた。
「エリカ、お前もこの世界に来ていたのか……。何でこんな事に……。もう大丈夫だ。これからは父さんが一緒だ。もう何も心配はいらん」
「護衛たちは何をしている! 陛下がご乱心だ! 早く皇帝陛下を取り押さえろ!」
俺は白と黒の二人の護衛によって少女から引き離され、両脇から腕を掴まれ拘束されてしまった。
この騒ぎで、周囲には人だかりが出来ている。
ノルベルトはいきり立って周囲を取り巻いている聖王国の聖騎士たちを宥めている。
「双方鎮まれ! もう大丈夫だ。少し誤解が生じただけだ。これ以上騒ぎを大きくするな」
解放された少女は、乱れた髪と服を直しながら俺を睨んだ。
「もう! あなた一体何なんですか!」
「エリカ、父さんの顔を忘れてしまったのか?」
「誰がお父さんなのよ!」
その時になって俺はやっと気が付いた。俺はマスクで顔を隠している。これでは俺が誰だか分かるはずがない。マスクを外そうにも腕を護衛たちに掴まれ動けない。
「ノルベルト。俺のマスクを取ってくれ」
ノルベルトは俺たちを部屋の隅に移動させると、どこかから衝立を持って来させて立て掛けた。周囲から見られていない事を確認してから俺のマスクを外した。
少女が俺の顔をまじまじと見る。
「で、あなた誰? だいたいあなた私のお父さんって歳じゃないでしょ」
「くそっ!」
俺はこの世界に来た時、なぜだか知らないが若返っている。俺の実年齢は五十歳だが、見た目は二十歳そこそこだ。確かに父だと言われても戸惑うだろう。
「俺の顔をよく見てくれ! 父さんはこの世界に来て若返ったんだ」
「誰かと勘違いしてない? あなたは私のお父さんじゃない」
「頼む。ちゃんと見てくれ」
「だいたい私、エリカなんて名前じゃないし」
「え?」
「私は絵美、岩田絵美って名前よ」
「えええーーーー!」
◇◇◇
定刻の時間となり親睦会はお開きとなった。親善使節団の団員や他の招待客が三々五々と帰っていく。
暗殺者はとうとう現れなかった。暗殺を意図的に中止したのか、単に不都合が起きて実行出来なかったのかは知る術もないが、どうやら最悪の事態だけは回避されたようだ。
実のところ俺にとって暗殺者の存在など、もうどうでも良くなっていた。
俺は親睦会の会場に居残り、誰もいないバルコニーから夜景を眺めていた。
一人になって気分を落ち着かせてからでないと、帰る気になれなかったからだ。
バルコニーに置かれた椅子に座り目を閉じると、今日の出来事に思いを馳せた。
(とんだ醜態を晒してしまった……)
しばらくして小さな足音が聞こえて来た。
「少しいいかしら?」
目を開けると、俺の目の前に勇者が立っていた。
「少しは落ち着いた?」
「ああ、みっともない所を見せた。申し訳ない。若い女の子を無理やり抱きしめてしまったこと、真摯に謝罪する。変な意味で抱きついた訳では…………いや、言い訳はしない」
「事情は分かったからもう怒ってないわよ。ねえ、私ってそんなに娘さんに似てるの?」
俺は腕のブレスレットを操作し、娘の写真をホログラム表示させた。
俺がこの世界に迷い込んだ時に持っていたスマホに入っていた貴重な家族写真だ。
俺の腕の上に、にこやかな笑顔の少女の姿が浮かび上がる。
「うわっ、何これ、かっこいい」
彼女はしばらく空中に映し出されたホログラムを興味深げに眺めていたが、やがて少女の姿に注意を移した。
「ねえ、この娘さん私と全然似てないじゃない」
「そうだな、こうして見ると全然違うな」
「何で私と間違えるかな?」
「……娘の顔を思い出せないんだ。エリカって名前も今の今まで忘れていた。ずっと娘の名前を思い出せずに気に病んでいた。君の顔を見た瞬間、唐突に娘の名前を思い出した。だから君を娘だと思い込んだんだろうな」
「何それ?」
俺は勇者に語って聞かせた。
俺が転移者であること。この世界にやってきた時に記憶の一部を失っていたこと。今でも元の世界の記憶が徐々に失われ続けていることを。
「俺がこの世界に来た時にはもう娘の名前を忘れてしまっていた。けど娘の顔や娘との出来事はちゃんと覚えていたんだ。それが今ではほとんど思い出せない。こうして写真で娘の姿を見ても、本当にこれが俺の娘なのかよく分からない。おまけにこの写真の顔も、数時間すればもう思い出せなくなる。どうしても記憶出来ないんだ」
「それってどこかに頭をぶつけて記憶障害になったとか?」
「失われるのは元の世界の記憶だけだ。こっちの世界での経験した記憶は失われる気配はない。それに一般常識的な知識は消えずにずっと残ってる。どうやら俺の個人情報的な記憶だけが消えているみたいだ」
俺は勇者の顔を覗き込んだ。
「君は大丈夫か? 父親や母親の名前は思い出せるか?」
「……ちゃんと覚えてる」
「なら大丈夫か。単なる転移と召喚では体に与える影響が異なるのかもしれないな。君は……」
勇者が指を突き出し俺の言葉を遮った。
「君じゃなくてエミーって呼んでよ。本当は絵美だけど、こっちではエミーって名前で通してるの」
「分かった、エミー。俺はそのままタツヤと名乗ってる。タツヤでもタツでもタッツンでも好きに呼んでくれ。何ならお父さんでもいいぞ」
「その若作りの見た目でお父さんはないかな。でも実年齢はお父さんの世代なんだよね。じゃあタツヤさんって呼ぶわ」
「ひねりが無いな」
「悪かったわね」
俺は改めて目の前の少女を眺めた。
迷宮に潜り戦闘訓練をしているというから、伝説級の武具で身を固め魔を討つための宝剣を振り回す勇者をイメージしていたのだが、目の前にいる勇者はセーラー服姿の普通の女の子だ。
実は少し前、勇者をこちら側に引き抜けないかと、勇者が休養しているというバーデンの街に、俺の護衛の黒い方を密使として派遣したのだ。だが密使がバーデンの街に到着した時には、既に勇者一行は休養を切り上げ街を去った後だった。
一行がファーゴの街に戻り迷宮に潜ってしまえば、迷宮内では常に集団行動となる。そうなれば人目に付かずに勇者と接触するのは不可能だ。
勇者との接触は諦め、密使には聖都への帰還を指示したのだが、当の勇者が聖都に来ていようとは思ってもいなかった。
気が付けばバルコニーの扉の向こうで勇者付きの騎士がこちらを見ている。話込んでいるうちに結構な時間が経っていた。そろそろ彼女も帰る時間なのだろう。
勇者エミーがセントース聖王国に召喚された経緯や、召喚後の勇者としての役割など、聞きたい話は山のようにある。
俺も明日には帝都バベルへ帰ってしてしまうが、そこは帝国特製の通信用腕輪を渡しておけば問題ないだろう。
聖王国がどういうつもりで俺に勇者を会わせることにしたのかその真意は不明だが、好きに会話していいというのであれば、遠慮なく情報交換させてもらおう。
「名残惜しいがそろそろ時間切れのようだ。お付きの騎士がさっきからこっちを睨んでるぞ」
エミーが後ろを振り返り聖騎士の方を見る。
「ちょっと待ってて」
彼女はそう言うと聖騎士のところへ行き、二言三言何か言葉を交わしてから戻って来た。
「もう帰る時間だって。えっと……、娘さんじゃなくてゴメンね。あまり落ち込まないで」
「いや、俺が勝手に勘違いして騒いだだけだ。こっちこそ迷惑かけた。ただ、君を抱きしめた時、何か思い出せたような気がしたんだ……。いや、忘れてくれ」
エミーが俺の前に立った。彼女は両腕を回すと俺をぎゅっと抱きしめ、俺の胸に顔を埋めた。
「娘さんのこと、思い出せるといいね。…………何も思い出せないまま死んでいくなんて、かわいそうだものね」
俺には彼女が何を言っているのか分からなかった。
彼女は俺の体から手を放すと数歩後ずさりした。何故だか彼女のセーラー服は真っ赤になっている。
俺は視線を下げると自分の胸に目をやった。俺の胸から刃物が生えていた。その刃先はうっすらと光を放っている。
どうやら俺は彼女に背中から刺され、その刃先が胸へと突き出ているようだ。刺された部分からは血が噴き出している。
俺は立っていられなくなり、ガクリと膝を付いた。
「なぜ?」
俺はエミーの顔を見て問うた。だが彼女は何も答えない。
よく見ればその顔からは表情が消え、瞳の輝きも失われている。放心状態に陥っているようだ。
俺の問いかけに対する答えは、思わぬ所から返ってきた。
「勇者が魔王を殺すのは当然と思いますが。全ては神の思し召しです」
先程エミーと会話を交わしていた聖騎士が、いつの間にか俺の背後に立っていた。
騎士は床に倒れ込みそうになった俺の体を抱き抱えた。
バルコニーに通じる扉の付近が騒がしくなっている。
襲撃に気付きバルコニーに出ようとしている俺の護衛たちと、それを阻止しようとしている聖王国の騎士がもみ合っているようだ。
「皇帝の護衛たち! これを見なさい!」
俺を抱えた聖騎士が俺の首に剣を当てている。それを見た俺の白と黒の二人の護衛が動きを止めた。
「武器を取り上げて拘束しなさい」
俺の護衛ともみ合っていた騎士たちが、二人から武器を取り上げ拘束している。
護衛たちが縛られ床に転がされると、俺に剣を当てている騎士は満足そうに頷いた。
「魔王よ。神の使徒スパーノがその首貰い受ける。自らの行いを悔い改め、神に祈りを捧げなさい」
「お前が……スパーノか……、お前……、エミーに………何を………した?」
「勇者様は命を奪うという行為を嫌悪しているようです。それが魔物であろうともです。あれではどれだけ戦闘訓練を重ねても魔王を倒す事など不可能。ですが魔王の魔を祓うには勇者様の力は必須なのです。そこで勇者様の御心を少しばかり操作して……。おっと、これは口が過ぎたようですね。後はご想像にお任せします」
勇者の精神を操作して操り人形にするとは、この暗殺者はとんだ能力持ちだ。
無理やり召喚して連れて来た上に、心を支配して手駒にするとは、聖王国のクズどもには反吐が出そうだ。
「あなたの胸に刺さっているのは、我がセントース聖王国に古くから伝わる聖なる短剣です。勇者様が使うことで威力を発揮する短剣なのですが、勇者様はあなたを刺したことでショックを受けられたみたいで、しばらく使い物になりそうもありません」
そう言うとスパーノは俺の背中から聖短剣を引き抜いた。
「ぐおっ!」
短剣を抜いたことで、血が一気に噴き出した。
駄目だ。血を流し過ぎた。もう長く持ちそうにない。
「ですが瀕死のあなた相手なら、私が使っても効果はあると思いますよ」
スパーノはそう言うと、引き抜いた短剣を俺の首にあてがった。
「ではそろそろ終わりにしましょうか。神がお許しになれば、あなたの魂は天に召され、再び魔王として復活することはないでしょう。さあ、神に祈りを」
「くそっ……たれ……が……」
スパーノの持つ聖短剣が俺の首を一気に薙いだ。
俺の首が胴体から離れ、床に転がった。
スパーノが俺の胴体から手を放すと、俺の胴体はドサリと床に倒れ込んだ。
こうして俺は……死んだ。




