喜色
2人は旅館まで送っていくと提案してくれたが、寄りたい所もある、そこまでしてもらうのは悪いと断った。瑠璃ちゃんのお粧しにも時間が要るだろうと冗談を交え、細めた目元を綻ばせた顔は、いかにも正直なものだった。しかし、赤星の心には、部屋にいる筑紫の世界と、この2人の世界の空気を混ぜたくないという思いがあった。
以前の、少なくとも優人や瑠璃たちといた頃の赤星は、嘘を吐く時や何かを隠したい時は、いつにも増して口数が少なくなる癖があった。そのことを優人たちが知っていたかは分からないが、いつからか赤星はそういう時、ユーモアを添えてそれを隠せるようになった。つまり、嘘が上手くなった。人と関わる機会が増えるごとに、自然と身についた所作で、それは、大人になったということでもあると自覚していた。
2人と別れてから、近くの大きな通りでタクシーを拾い、ひがし茶屋街へと向かった。
「料金は700円でございます。」
タクシーは浅野川大橋のそばに停車した。10分弱の短い時間だったが、それでも赤星は、この運転手を、朴訥の良い運転手だと感じた。
財布から500円玉を1枚と100円玉を2枚取り出す。
「はい、ありがとうございます。こちら領収書でございます。」
「お忘れ物無いようお気をつけください。」
「ありがとうございました。」
支払いを済ませて、タクシーを降りようと、開いたドアから身を乗り出すと、地面に着いた靴が軽快な水音を立てた。赤星は、濡れた路面と、依然として煙る景色を見て、着物を入れた鞄を強く抱きながら、傘をさした。激しく雨が降り頻る中でも、多くの人が往来している。着物を着て歩く人の中には、和傘を差しているものもいる。雨に濡れて艶を帯びた傘は、紫陽花のように見えて、茶屋街の景観に彩りを添えていた。
赤星は、旅館に向かうついでにどこかに寄って行こうと考えていた。優人たちに連れられて雑貨や金細工を見て回ったが、全ての店を網羅した訳では無い。ふらふらと旅館のある方面に歩きながら、どこに入ろうかと見定めているうちに、甘いものが食べたくなった。食後のデザートとも3時のおやつともつかない微妙な時間だったが、優人たちとは寄らなかった喫茶店に入って、どら焼きパンケーキとモンブラン、わらび餅ラテを注文した。店員が運んできたそれらを机に並べ、写真に収める。その写真を妻に送って自慢する。
パンケーキを食べ終わる頃に妻から羨ましいという返事が来たので、また2人で来ようと返しておいた。
優人たちとのディナーまでにはまだ余裕がある。しかし、いつまでも油を売っているわけにもいかないので、プラスチックの容器を手に取り、名残惜しそうに最後の一口を飲み干して、店を後にした。
通りの奥まで深く入り込んでいき、その先にある坂を登っていく。すると、木製の看板が見えたので、導かれるままに進み、門をくぐる。
「お待ちしておりました。赤星さまですね。こちらへどうぞ。」
中に入ると、着物の女性が恭しく迎えてくれた。
「お連れ様が来られましたので、お先にお部屋までご案内いたしました。」
彼女に連れられて部屋に入ると、入り口に近い席に先に来ていた秘書の筑紫理央が座っていた。いや、厳密には元秘書だ。艶のある黒のミディアムヘアは、上品にフレンチツイストにまとめられている。水色のボウタイブラウスを着て、白のパンツを履いており、夏らしい爽やかさと礼節を欠かないオフィスカジュアルが両立されている。
何やら仕事の最中だったらしく、机の上にはパソコンと書類が広げられている。理央は、戸を開けた女を見てから、その後ろにいた赤星に目を移した。黒色の大きい目が、丸くて綺麗だ。
一通りの案内を済ませて、仲居がいなくなったのを確かめてから赤星は口を開いた。
「長く持たせて。」
と、渡辺に会ったコジンスカアのようなことを言う。
「このお宿は寂しい所じゃないし、普請中でもないでしょう?」
「言ってみたかったのさ。それより、頼んでおいたスーツは持ってきてくれた?」
「ええ、すぐに着替える?」
「ありがとう。頼むよ。」
理央は、荷物からスーツを取り出し、手際よく赤星を着替えさせていく。その様子を見て、赤星は感心していた。
「凄いな、ネクタイも一発か。流石本職。」
「そうかな?」
理央は少しはにかみながら、ネクタイの形を整える。
彼女は、赤星の計画のためにあるIT企業で秘書をしているが、元々はスタイリストだった。全く異なる職種だが、器用な女なので秘書業も板についている。赤星の炯眼は正しかったのだ。
「将一くん意外と不器用なところあるよね。」
なぜだか理央は嬉しそうだった。
着替え終えた赤星は、時計を確認する。今は4時半だ。
「夕飯の前には戻るよ。」
「うん、いってらっしゃい。」
理央に見送られて、赤星は金沢駅前の寿司屋へ向かった。




