歓待
空一面を雲が覆っているため、太陽の姿はどこにも見えない。太陽が発した光線は、幾重にも積もった水蒸気を通過し、僅かな塵芥に反射しながら、世界の明るさを一定に保つ間接照明の役割を果たした。おかげで赤星は、今朝から時間の感覚が全く無かった。
目を覚ました時、窓の外の景色を見て、もしや寝過ごしたのではないかと、優人に関わる記憶にある、寝坊という嫌な出来事を思い出した。
店のガラス戸を出て、時計を見ると、間もなく1時という頃だった。3人は、少し遅めのランチのため、再び金沢駅の方面へと車を走らせた。
「ちゃんと予約はしてくれた?」
赤星の問に、優人が運転しながら答えた。
「うん。夜の方も大丈夫。だけど、あんな高い所で本当に良かったの?」
「全然大丈夫。金はいくらでもあるしな。折角の機会だから、2人には良いものを食べさせてやりたいんだよ。」
赤星は後部座席の椅子に背を沈めながら、ゆったりとした調子で答えた。
「おいおい、金はいくらでもあるだってさ。いやらし〜。」
優人が茶化すと、2人の会話を聞いていた瑠璃が、優人の答えを補足した。
「本当は、この辺で1番高い所って言ってたでしょ?でも1番の所は、今日は予約が埋まってたから、別の所にしたの。」
「そっか、ありがとう。まぁ別に良いんじゃない?でもそんな凄いお店ならいつか行ってみたいな。次来るとしたら、君らの第一子誕生祝いとかかな。」
「かね〜。」
「あっでもそれだと瑠璃ちゃん厳しいか。なら還暦だな。」
「もー、飛びすぎ。」
ランチを終えてからは、2人の案内を受けながら、金沢を観光して回った。数年間の空白によって隔てられてなお、気心の知れた旧友との時間は、得も言われぬ快さだった。
教員としての2人の話を聞くのも面白かった。赤星は選択しなかった、別の可能性の未来を垣間見たような気分だった。
3人は、金沢城のお膝元にある老舗の呉服屋に立ち寄った。そこまで、雨催いの空は、既の所で曇りを維持していたが、着物を見ている間に遂にぽつぽつと滴り始めた。
店では、えんじ色の小紋と濃紺の羽織を一着ずつ購入し、今日旅館に戻ったら早速着てみようかと思案していた。赤星は、頭の中でヴィヴァルディの「春」を流しながら、誰にも気が付かれないような小さな動きで、リズムに乗っていた。しかし、それとは対照的に優人と瑠璃は気圧されている。目の前の赤星を、遠くの景色を眺めるようにして見ていた。
「今日だけでいくら使ったの?」
「ハハ、考えたくもないな。」
「考えてないの間違いじゃない?」
「んなこたねーよ。流石に。」
雀が小躍りをするような足取りで店を出たが、この頃には雨足が強まっていた。道に打ちつけられた雨粒が、跳ね返って膝下まで濡らすほどの雨。遠くの方の景色は霞んでいる。歩き回って観光するには、ずぶ濡れになって向かないだろうが、城郭や街が煙雨の中にあるのは風情のある光景だった。
「本格的に降ってきたな。」
赤星の後に続いて店を出てきた優人は、額に手をかざしながらそう言って、顔をしかめた。
「俺は雨好きだがな。昔から良いことがあった日は雨が降ることが多くてな。」
赤星は、小さな頃から、雨が好きだった。晴れとは違う特別な空気を感じていた。小学生の頃は、傘もささずにずぶ濡れで帰っては、母親によく呆れられたのだった。そして、大学受験の日や、旅行の日、また日々のなかで小さな喜びを感じた日、そういう日は雨が多かった。赤星は、雨の神に愛されているのだった。
無論、靴にまで水が染みたり、荷物が濡れて乾かさなければならないことは、人並みに不愉快に思っているし、20歳を過ぎた辺りからは、雨のせいで風邪を引くこともしばしばあった。しかし、それも1つの愛の形なのだと思うようになった。
一人旅ならば雨のことは気にしないが、今は優人と瑠璃がいるので、一旦ここでお開きにした。そして、各々ディナーに備えて身支度を整えるために帰ることにした。




