メイド少女は迷わない<序>
人生というものは死んで神に魂を返すまでの余暇である。
故に、この生に究極的な意味はなく、死はその最終地点。
日々そのゴールへ向かって着実に進んでいるのだから。
中身や途中経過などどうでもよいのだ。
最後は必ず同じ場所にたどり着く。
故に何処かにある恐ろしい死に怯えながら、より長い余暇を過ごす。
グランヴェル侯爵のもとに仕えるメイドであるティアは戦争捕虜だ。
親は顔も思い出せない。
十にも満たぬうちにそこまで堕ちた自分自身の不幸を呪ったこともあった。
しかししばらくするとその気持ちも意味がないことに気づく。
戦争捕虜は功績を挙げたものに戦利品として分配される。
名を挙げた兵士や貴族などの上流階級者。行く場所はさまざまであるが、粗暴なもののもとに渡ればその先の将来は知れている。
売って金に換えてもよし、玩具のように壊れるまで愉しんでもよし。好きなように扱えばよいのだ。
不幸中の幸いといったところか、私が連行されたグランヴェル侯爵領は国内でも治安が非常によく幼女趣味のある下郎はすでに牢の中に放り込まれていた。
その後は教養のある者の選別があり、選ばれたものは教育を受けさせるという、悪いどころか過去の生活よりも、よっぽど良い水準の暮らしを行えるほどの待遇を受けることができたのだ。
他では考えられぬほど甘い侯爵様である。
大した身分でもない、心の根底に憎しみを持った人間をそばに置けば、いつか自らの首を絞めるだろうに。
救われた身であるがあのお方は愚かだ。
なまじ能力があるばかりに、たいていの課題を突破できているため本人は気づいていないかもしれないが、重要なところでアレは失敗し、大切なものを逃してしまうタイプだ。
『ティア、君には私の娘の専属メイドをやってもらう』
悪くない成績を出していた私は、最低限の教育を受け終わった後にそう命じられた。
曰く、娘と同年代の者がいれば何かとよいであろうということだ。
かの侯爵は病弱な娘を溺愛しているらしく、必要不必要なしで様々なことをしているらしい。
特に思うこともなくその命を受け入れ、お嬢様に仕える。
そして天命が尽きるまで現状を享受して生きる。
『あなたなんて言う名前なの?』
生きる……
『ティア。あなたが入れる紅茶、とてもおいしいわ』
生きる……
『ねぇ、ティア。外のお花はもう咲いたかしら』
『ティア、ボードゲームの相手をしてくれない?』
『そんなに心配はいらないわ』
『ティア、いつもごめんなさい。私、迷惑ばかりかけてしまって』
生きるはずだった。
どれだけソフィア様の傍にいても、私のこの考えは覆ることのない大きなもののはずだったのだ。
その日、私は普段通りに扉を叩いた。
刹那、私は本能で理解した。
この先は戦場であると。
「ソフィアお嬢様、ディナーのお時間です」
その境界を超えるとともに現れたのは、何とも形容しがたいモノ。
お嬢様ではないナニカ。
そのソフィア様の姿をしたそれは、問題など存在しないかのように鎮座する。
「えぇ、いくわ。案内して」
そして何も変わらないように返事をする。
うまく擬態しているように見える。
だが、ソフィア様はそんな目をしない。
私の一瞬だけ揺れた肩に反応もできない。
これにより考えられることはただ一つ。
何者かが体の中にいる。
私がソフィア様を侯爵様のところへ連れていくとき、すれ違った周りの者たちの反応はいつもと変わらない。
気づいていないのだ。
この異常事態に。気づかないほうが幸せなこともあるという。
ああ、まさにその通りだ。
知ってしまったばかりに背中には大きな重圧がのしかかる。
これを周りに察せられれば、どのようになってしまうのだろう。
悟られないように私は周りと同じふりをする。
「こちらです」
何も言わなければよい。
そうすれば、私は死ぬことはない。
再び同じように過ごすことができる。
それまでの辛抱……
侯爵様がソフィア様との対面で眠りにつかれたという話を聞く。
その話を後に知り、私は安堵した。
侯爵様ならば必ず異変に気づき、私と違ってそのことを問いただす。
その結果がこれだ。
しっかりと自分自身の選択が間違っていないことを確信することができた。
私は間違っていない。
その日は一抹の不安を抱えて就寝した。
「おはようございます、ソフィア様。起床のお時間です」
早朝に身だしなみを整え、少しばかりの仕事を終えてお嬢様のもとへ向かう。
そして一言のあいさつとともに起床の宣言。
恐怖がなかったわけではない。
ドアをノックする瞬間は先日の重圧に押しつぶされるのではないかと記憶のフラッシュバックがしそうなほどである。
だが、私はこの扉を叩かなければならない。
分からなかったふりをしなければならないがゆえに。
一秒、二秒と時間が経過する。
いつ来るかと、圧を迎えるために身構える。
体内時計で一分ほどの時間が静かに経過した。
反応はない。
ソフィア様は病弱なため、室内で意識を失われることがある。
呼びかけて一分ほど。
そこまで返事がなければ部屋に入り、様子の確認を行わなければならない。
以前から行われているソフィア様へのマニュアル。
「……ッ」
意を決して部屋の中に入る。
昨日のナニカが影響したか?
扉を開く。
足を踏み入れて、まず初めに見るのはソフィア様の姿。
ベットの上に横たわるのは、プレッシャーを振りまく怪物ではない。
きれいな死体のように眠っているただの少女だ。
「ソフィア様」
今にも壊れそうな体を揺らす。
貴人の体に触れ、揺さぶるなど本来なら無礼なことだろう。
しかしながら、私はソフィア様から許可は戴いていた。
動かない。
まるでマネキンのように、人の抜け殻のように動かない様子を見て、なぜか背筋に悪寒が走るようなものを感じる。
肩を叩いても耳元で話しかけても反応がない。
「ソフィア様!……誰か!!医者を呼んで!侯爵様にも連絡を!」
可能な限り声を張り上げる。
のどが裂けそうだ。
ここまで大きな声を出したのはいつぶりだろう。
私は医学に精通しているわけでも、魔法を特筆して使えるわけでもない。
その時に、生きるために必須でない、私が持っていても自分の人生の過程にあるどうでもよいモノと軽んじていたものを欲しいと願っていた。
それから先のことは記憶にない。
私に持っていないものを身に着けた人々ができる限りのことをしている様子と、ガラス細工のように静止したソフィア様の姿のみが脳裏にじりじりと焼き付いている。
「私は……」
何故だ。
次の日もソフィア様が目を覚ますことはなかった。
侯爵様は眠らされたその日に意識を取り戻してたのに。
原因は明らかだ。
あのソフィア様の中にいた化け物。
それに違いない。
生肉を食して、おなかを下すくらいには明確な正体。
しかし、それで私のいずれ来る死が変わったわけでもない。
なのにどうして心が揺れ動かされる?
……ミスがあるとメイド長に叱責を受けた。
何も手につかない。
この屋敷の落ち込んだ空気をものともせずに空は回る。
2日目になる。
起きることはない。
希望はない。
体をピクリとも動かすことさえないのだ。
心臓、呼吸、生命の維持だけがされている。
どんな状況の眠った人であっても、体の微細な動きを止めることはできないはずなのに。
「二度寝を通り越して二日寝ですか。そろそろ起きてもいいんじゃないんですか?」
ソフィア様の横に立っていても、好きだった紅茶をいれても、何をしてもここにいるのは私一人。
話しかけても返事はない。
髪を梳いても、あの申し訳なさそうにおっしゃる「ありがとう」の言葉もない。
失ったときにそのものの真の価値がわかる。
私の人生における、ソフィア様との過程は、ゴールだったのではないかと思う。
喪失感は埋まらない。
この気持ちは何だろう。
初めて感じるこの感情は、実に空虚で死に近い。
暗くて寂しい、心の中にできた黒くて大きい塊。
それが私の心をざわつかせてならなかった。
今日は冷えた紅茶を飲んだ。
甘ったるいそれに顔をしかめずにはいられなかった。
3日目。
あの時、あの重圧に耐えて訴えかければこの結末は変わっただろうか?
くだらない自問自答を繰り返す。
意味のないたらればにすぎないのに。
過程やゴールなんて、数年も生きていないのに知ったような口を利く私。
いまifを考えている私。
どうしようもない矛盾が私を押しつぶす。
結局私は、自分の嫌なことから目を背けて、逃げていただけではないか!
面倒なことは、死ぬときには関係がないと宣う過去の私を殺してしまいたくなりそうな思いがあふれ出す。
もっと魔法が使えれば……
あの化け物と対峙できただろうか?
もっと勉強をしていれば……
ソフィア様が倒れた時に何かできただろうか?
「……ぁぁぁああああッッ」
頭を押さえてうずくまる。
この私がいけないんだ……。
あそこで私が止めることができてればッ……!
外は曇天である。
今にも雨が降り出しそうな香りがする。
顔を天井に向ける。
「ソフィア様。……雨が好きなんでしたよね」
外よりも早く、雨漏りがしている。
今日の紅茶は少し甘い。
4日目。
今日も起きない。
先日と同じようにモーニングコールを行い、医者と魔法の専門家が検診をする。
体に異常はない。
ただそれだけを告げて外へ出ていく。
私より力を持ったもの。
彼らが解決できなくてどうする!
それがお前たちの仕事なのに!!
私は今日も紅茶をいれる。
ソフィア様の隣で待つ。
私とソフィア様は会話をしても続くことはない。
一往復のみのキャッチボール。
「庭先のワスレナグサが咲いたそうですよ」
今は……
空の模様は変わらない。
風に流されても、変わることのない曇り空。
昨日降った雨は今日は降らないようだ。
枯れ切ってしまった。
次に空が晴れるのはいつなのか。
すっかり冷めきった紅茶を私は飲み干す。
ソフィア様の好みの味は私には合わない。
こつんとティーカップを置き、セットごと持ち帰る。
部屋から出た後も考えることをやめることができない。
魔法の教本を片手にソフィア様の部屋の前に立つ。
私がここまで熱心に何かをしようと思ったことはなかった。
それは信念の変化か、いつものような現実逃避かはわからない。
だけど、せめてソフィア様のために普段使っていた時間くらいには、何かを考えるべきだと思った。
思考を止めるべきではないということに至った。
「精霊の中には……人とは価値観の違う相容れない存在がいる……」
その時だ。
私の頭上で響いたのは。
ソフィア様のハンドベルの音。
音を聞くと反射のように、体が動く。
礼儀やなんだということは知ったことではない!
扉を力のままに押し開けて姿を見る。
私の体は止まらない。
「ティア……飲み物を持ってきてくれない?のどが渇いて仕方がないの」
もう……私が飲んでしまいましたよッ。
人生の中でここまで欲望に忠実だったことはない。
ソフィア様に直接抱き着き、包み込む。
もう離さないように。
「……っ!!帰ってこないかもって思った!ソフィ様が!」
枯れ果てた地の底から水が噴き出すように、また無様に泣いた。
「どう、したの?」
「……もう3日も起きないからっ!怖かったんですよ!」
悲しくて悲しくてたまらなかった。
言わなかっただけ。
気づいていないふりをしていただけ。
なのにこんなに後悔するなんて!
だけど、もう私は迷わない。
次は絶対に護って見せる。
大切なものを。
人生の過程とゴールは一つ。
同じものなのだ。
最後にたどり着くゴールが一緒なら、そこまでの道は楽しくて美しいほうがいい。
まだ私は間に合う。
新たな道へ進むことに。




