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小雨を抜けて




現実と精神の狭間。

その境界を超える。

国境の長いトンネルを抜けると、雪国のような白くどこまでと続く世界が存在した。

とでも格好をつけて詠めばいいのだろうか。


しばしの眠りに落ちた精霊は水でできたゆりかごに包まれた少女を見つける。

体の主、ソフィア。


深い睡眠から一度に現実に引き上げられるのは酷だろう。

そう思いゆっくりとゆっくりと母の胎内に回帰するようにゆりかごを揺らす。

一定のリズムを刻むそれはメトロノームのように安らぎを与える。


少しばかりするとすぐに揺れに気づいたのかソフィアの目が薄く開かれた。

美しい目だ。

陳腐なたとえだが宝石のような眼は見る者を魅了する。

目を見ればその人のことが良くわかる。

反射された光の奥に朗らかな心が見えた。

初めて出会ったときに比べて格段に精神状態がよさそうだ。


「おはよう。私の主」


その姿を見て私は安心することができた。

心からソフィアに向けた言葉が出る。


「……精霊……様?」


睡魔を押し上げるように私のほうを見て返事をしてくれる。


私はソフィの頭をなでる。


「そうだよ。君だけの精霊、クラウディアさ。私がいる限りソフィは大丈夫だよ。病気は直したから明日は散歩なんてどうかな?きっと楽しいよ」


「……申し訳ございません。私……体を治してもらったような気がするのに……何か大きなものをもらったような気がするのに……少し……眠いです」


二度寝を始めてしまいそうなソフィ。

その姿を私はとても愛おしく感じる。


やっぱりあの時助けておいてよかったな。

これから楽しくなりそうだ。


「すっごく分かる。起きるのは誰にだってきつい。私だってそうさ。だから私がソフィの目覚ましになるとしようか」


また瞼が下ろされる。

その前に私は魔法を一つ。

人差し指を立てて天を指す。

……まあ、ここはソフィの精神世界なのだから空は存在しないのだけど。


味気ない真っ白の空間。

この世界に色を灯す。

心の中に空がないのならば作ってしまえばいい。


指先から出るのは一条の光。

深く青いその光は長く遠く美しく広がる。

すべてを包み込む夜の帳。

白紙の精神世界を埋め尽くすほどの満天の星空。


涼しげな空はどこまでも続く。

真っ暗な中の星は間接照明のように更なる深い眠りを誘う。


「強い光は眠り人に対しては毒になる。ゆっくり、ゆっくりでいいんだ光を受け入れるのは」


空に手のひらを向ける


そこには絶景の夜空を遮るもの。

星の輝きを隠すもの。

優しいあなたがどうか傷つかないようにと光を遮る曇天のオペラカーテン。


「空を見上げなくてもいいし、無理に起きないでもいい。強すぎる光は私が遮るよ」


振り上げた手を静かにおろす。


緞帳の奥の夜空は早送りしたように回転する。

次々と地平線の底に消えていく星々とともに昇ってくるのは、刺すような光と熱を放射する太陽。


ギラギラとした光は直接ソフィに届くことはない。

曇天に遮られ、減衰し、消えそうなほどにまで暗くなる。


「……っ」


しかしながらそれでいい。

ほんの少し、そして段階的に光を受け入れれば楽に起き上がることができる。


私は手を少し掃う。

少しづつ、若干ではあるが雲が晴れる。


「……っう」


ソフィの瞼は上がる。

気持ちのいい朝とまではいかなくていい。

普段よりほんの少しだけ。

面白い形の雲を見つけたくらいの些細な幸福がありますように。

どんな形でもいいさと曇天の下であなたの幸せを願おう。


さあ、幕は閉じられた。


開かれたソフィの目には立ち上がるのには十分量の幸福。

人は強い。

だからこそ簡単に押しつぶされる。




「おはよう。そして行ってらっしゃい、ソフィ」

















◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




さえぎられた光を見た。









「……ぅつ、ここ……は?」


見慣れた自分の部屋の天井。

私のためと父がオーダーメイドで職人に作らせたベットの上。

いつもと変わらない場所……そのはずなのに。

ついさっきまで、この世界じゃないような、とても美しい景色の下で寝ていたような気がしてならない。

そしてその隣には優しい……誰かがいた。

ゆっくりでもいいから起きてと言われた。

その言葉に義務感を感じない。


ああ、のどが渇いた、


おなかがすいた。


体を動かしたい。


今までどこかに行っていたはずの生への執着が惰性ではなく、はっきりと思うことができている。




ベットのそばにあるベルを鳴らす。

私の部屋の前には常にだれかが待機をしている。

何かあればすぐに駆け付けてくれる。


「……っお嬢様!」


ドアを突き破るような勢いでメイドが入ってくる。

私のことをずっと見てくれていたメイドのティアだ。

私と同じ年ごろで、看病や付き添いなんてしたくもないだろうにいつまでもここにいてくれる大切な人の一人。

彼女の顔を見ると安堵という気持ちが現れる。


「ティア……飲み物を持ってきてくれない?のどが渇いて仕方がないの」


いつものように、申し訳ながら飲み物を頼む。

変わらない日常の始まり。



「……っ!!帰ってこないかもって思った!ソフィ様が!」


ティアが私のことを抱きしめる。

涙ながらに私のことを包み込む。

愛称に様をつけるなんてめちゃくちゃもやっている。


「どう、したの?」


違う。

ナニカが。


これは私の普通じゃない。


困惑が心の中に走る。

なぜ彼女は泣いているの?

何が彼女をそうさせるのか。


ティアは口を開く。


「……もう3日も起きないからっ!怖かったんですよ!」


「……え?」



とぎれとぎれながらも聞こえるその言葉は聞こえにくいながらも私に訴えかける。


私は3日も眠っていた?

そんなことが……あり得るの?


よくわからない。

まったくもってよくわからないが何か私に異常な事態が起こっているのは確かだということだけは理解することができた。


めぐるのは夢の中で私のそばにいた誰かの声。

そして眠る前に会ったような気がする精霊の姿。



考えるべきことは無数にある。

しかし、そんなことを思う前に目の前のことだ。


私は泣きわめくティアの頭をなでて抱きしめる。

嗚咽び返って私に体を寄せる彼女は赤子のようだ。

普段は同年代にもかかわらず大人びたその雰囲気の変容から異常性がありありとわかってしまう。


だがその姿にほんの少しのきらびやかな砂金が見える。

普段なら見向きもしないようなそのものに意識が移った。

この気持ちは何なのだろう。


それが利かされた私の体の異常よりも興味をそそられる。

人の本能を刺激される。



「大丈夫。私はここにいるから……ね?ティア」


母親のようにティアをあやす私。

なぜかそれが、少し楽しく感じた。


心の中に移るきらびやかな黄金が輝きを増すのを感じる。

あぁ、とこれまでの疑問が氷解する。

私はその答え合わせをする。


「ふふっ。そこまで泣かなくてもいいのよ?」


「……わかっていますよ」


涙を少し止め、ふてくされるように赤くなった顔を見せる。

その顔を見るとこれまでの人生の中で感じたことのない何かが私の心の中に訪れる。

甘美かつ刺激的、苛烈なそれは体を刺激して身を震えさせるような興奮を与える。


只の石ころだと思っていたものがここまでのものだったとは。

ほんの少し磨くだけで光が増す。

それと同時に私の心までが光沢を取り戻している。



そうだったのか。


そうだったのか!


なぜこれまでみんなが私に優しくしてくれていたのか。

この私のことを思ってくれていたのか。



探偵とは人の内側まで強引に入ってくるエゴイスト。

いつもならあまり好まないところだが、私の中に新たに住み着いたホームズが自分の新たな宝物である黄金の正体を明かす。

感謝しよう。名探偵クン。



「隈ができてる。泣きすぎで顔がぐちゃぐちゃじゃない。疲れてるんでしょ?」


「そんなことあるわけないじゃないですか!私は……」



私はティアの唇に手人差し指を当てて言葉を止める。


絶対に『心配した』とは言わせない。


私は自分のために誰かが心を痛め、それを発信するのを享受したいわけではない。


そう。


気づいてしまったのだ。


私は……








「ティア、私はとってもあなたのことが『《《心配》》』だわ」














誰かのために心を裂きたかったのだ。


生まれた時から感じることのなかった一つの大きな太陽のような感情。


ただこれまで向けられ続けられてきていた光。


みんなが私にしてくれていたことがこんなにも愉しいことだとは思わなかった!!


あぁ!!耽溺!!


この幸せにおぼれてしまいそう。










うつむいて再び涙を流すソフィを見て、私の口角は夢の中で見た無限の星空に浮かぶ三日月のように。

鋭く美しくそこにゆったりと浮かんでいた。





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