プレゼントをあなたに
静かに瞼を下した男は、徹夜でもして張り詰めた緊張が途切れた学生のようにあっけなく体の力を失う。
その体は、前でも横でもなく後ろに引っ張られるようにして倒れてゆく。
そのまま倒れてしまうのはよくないだろう。
頭を地面にぶつけて死んだりでもしたら目覚めが悪いどころの話ではない。
「……もっと言い訳が利きやすいところで眠ってもらったほうがよかったな」
手をかざして魔力を集め、崩れ落ちている男の着地点にクッション代わりにでもなるものを生成する。
一瞬で物理法則を反している魔法の力は、雲を生成してゆく。
もくもくと出来上がるそれは、液体であることをまるで感じさせない。
男の体は固く冷たい地面ではなく、白い綿菓子のような雲の中へ沈んでいく。
どこのベットにも劣らないそれは、人を堕落させるのにはもってこいの代物だ。
この雲。いや、魔法全般に言えることだが、魔力で作ったものは実にいい加減なものが多い。
本来雲というものは液体や個体の水にエアロゾルや空気成分が混ざったものであり、そのサイズは一つの粒が10マイクロメートルほどだ。
そのため物などが入った際には流動しそのまま落下する。
だが、魔法で生成されたそれらはそうではない。
術者が雲はふわふわしていてクッションのようであると思えば、その生成魔法における雲はそう定義され、想像した通りのものが生み出される。
よって今回生み出したこの雲には雲自体が生まれるための芯となる微粒子が存在していない。
空気成分すらも入っていない、魔力100%の摩訶不思議物体なのだ。
にもかかわらず物をある程度反発させるという物理学者びっくりの現象を起こせる。
「そう……だな」
もう外の人たちにこの人回収してもらおうかな。
それが一番な気がしてきた。
ソフィの意識が戻らないうちは私が代わりにこの体を使って栄養を摂取しておかなければならないし。
ここに来たのはもともとディナーを食べに来るためだったのだ。
いきなり魔法使ってくるような人のお守りをするためにここに来たんじゃあない。
長いテーブルに乗っているハンドベルを手に取り、よく音が響くように空気を澄ませて一度だけ鳴らす。
使用人を呼び出す合図である。
やはり鈴の音というものはいい。
風鈴やカウベル、猫につける鈴など様々な種類があれど、どれも加減を間違えなければ心を落ち着かせてくれる。
この場面を外の使用人たちに見られたら何と言われるか分かったものではない。
だが、ここで恐れちゃいけないのだ。
ソフィは病弱だったとはいえ、貴族の娘。
堂々とその風格を見せてごり押すしかない。もうそれ以外方法が思いつかないよ!
「入ってきて」
鈴を転がすような声が屋敷に響く。
それも先ほど鳴らしたハンドベルと比較しても遜色がないほどに。
重く閉ざされた扉が開かれ、先ほど出ていった使用人たちが入ってくる。
入ってきたと同時にその中に広がる光景を見て空気が冷えるのがわかる。
「……お嬢様?」
「適当に片づけておいて」
「な!?……これはお嬢様が?」
「くどい。早くディナーの準備をして」
そう言うと数人の人たちが足早にどこかへ行った。
私の前に立つのは初老で白髪の男。
ここに来た際に先ほど眠らせた男のすぐそばにいた人物だ。
側近か、気の置けない使用人といったところだろう。
この場にいる残った人たちは眠っている男の介抱を行っている。
私の目の前に立つのは白髪の老人只一人。
「これはどういうことか、説明いただけますね?」
見た目の年齢にそぐわないはきはきとした物言いは言葉のナイフを突きつけられているようで恐怖以外の何物でもない。
なんだかソフィに成り代わってから数分単位でピンチが私を襲っている気がする。
ありのまま……今起こったことを話すしかない。
「どうといわれても困るというものだ。幼子が泣きわめいたら、あやして寝かしつける。ただそれだけのことにすぎんよ」
私がそういうと老人は瞼を少しばかり落とす。
先ほどまでの月のような眼はあっという間に新月かと思うほどに細く、夜の獣のような輝きを放つ。
「左様でございましたか」
その言葉が発せられてから水を打ったように静まり返る。
私が寝かせつけた男はこの部屋から運び出され、代わりに食事を運んできた者たちと入れ替わる。
彼らが運んでくる皿の上には白いパン。
そして複数種ある肉料理と魚料理。
そしてワイン。
香ばしく香る匂いが部屋の中を充満させる。
先ほどまでピンチを乗り越えてきたことを忘れるくらいにはこの料理たちを早く食べたいという思いがこみ上げてくる。
だって、基本精霊は食べ物なんて取れないし、誰かの体を借りないとこの巨大な娯楽を味わえないんだよ。
毎日毎日これが苦しくって仕方がなかった。
飯テロ一発でやられてしまうよわよわ精霊なのだ。
ソフィの体を助けてる時くらい……役得ってことでいいよね?
目の前に出された食事。
それなりの作法で久々の味を楽しむ。
そう。ここで焦って食べてしまってはもったいない。
すべての料理をまんべんなく味わい尽くし、この幸福を受け止めるのだ。
あぁ、これぞ体の素晴らしさ。
この世界はしっかりと三食を食べる生活をしている。
朝と夕方は似たようなコース。
昼は少し重めのコース。
どうしてなかなか理にかなった食事体系だ。
丁寧に焼かれた羊のローストにクランベリーソース。
肉の旨みがとろみのついたソースにより引き立てられ整えられた味が解放されるのを感じる。
家禽のパイ包みはシンプルにオリーブ油で。
中から飛び出してくる肉にはたまらないものがある。
魚料理ならばムニエル。
レモンを絞ったそれはふっくらとしてジューシー。
「いかがでしょうか?本日のディナーは」
数百年ぶりの快楽に身をゆだねているところに、そばの老人が水を差す。
まるでこの時を見計らっていたように。
嫌がらせをするようにこちらを見つめるその姿は悪魔そのもの。
「……ああ、とてもいい腕をしているよ。ずっとこの料理を食べることができたらどれだけいいことか」
また数秒の沈黙が走る。
しかしそれは先ほどと違い、またすぐに打ち破られた。
「……では、次はいつお食事になさいますか?」
あれぇ?こればれてんねぇ。
もう看破されまくってて驚かなくなってしまった。
なんでみんなすぐにわかるんだよ。
誰かは知らんけど男の人無力化させて平然と飯を食らっている、つい先ほどまで難病で死にかけていた少女。
あぁ、これは分かるわ。
余裕で中に何かやばいものがいるってわかる。
そして私ぃ!よくこれで押し通せると一瞬でも思ったな!?
「そうだな。そのときはソフィに決めてもらうとするか。そこのメイド、キャンディーボックスかビンでも持ってきてくれないか」
もうここまでばれて追い詰められているというのなら仕方ない。
早めに逃げるに限る!
私が命をくだすと、すぐにメイドはビンを一つ持ってきた。
「老人、これを見ろ」
そう言って私は魔力の操作を開始し、食卓の上に置いてあるワインに力を向ける。
神の血とまで称され、水の代替として人々に飲まれる液体。
コップの上から上がり始めた液体は、空中で形を作る。
イメージするのは赤ワインの原料となるブドウ。
すぐさま形作られた果実は、当然のことながらみずみずしく、ろうそくの光を受けて宝石のように輝く。
「これは……」
はっきりと作られていく輪郭。
液体から固体へ。
状態は回転する。
「久しくこの魔法は使っていなかったが、なかなか良いできじゃあないか」
私は空中にワインから変換されたブドウの形をした宝石のようなものを手に取る。
そして芯と実をばらしていく。
ばらした実はビンの中へ入れた。
カランカランと音を鳴らす。
すべての実をとり終わってしまったころにはビンの中は満タンになっていた。
「これをお前に渡しておこう。この屋敷の使用人の中では立場が高いほうだろう?」
神の血の宝石が詰まったビンを老人に渡す。
見た目からすれば怪しさの塊にしか見えないよね。
「今から私はしばらくの間、ソフィの中で休む。もし私の力が必要な時が来れば、その宝石を一粒ソフィに食べさせるといい」
「承知いたしました」
「そうだ。ソフィの体はすぐに潰れてしまうくらいには脆い。呼び出しが多ければ……いやどちらにせよ問題はないか」
私は席を立ち寝室へ向かう。
話の続きはしない。これ以上話をしていたら、いろいろとまずい気がしたから。
要するに早くこの場から逃げたいのだ!
◆◇◆◇◆◇◆◇(裏)
グランヴェル家に仕える熟年の執事であるサバスは、食事を終えて部屋から退出なさるお嬢様の姿をした化け物を見て、何物にも侵されない純粋な恐怖を久々に感じた。
もうこの年になってしまえば恐れるものは何もない。
そう思っていたのにもかかわらずである。
美しく輝く銀の冠を被ったソフィアお嬢様の姿が、何よりも恐ろしかったのだ。
魔物や野蛮な無法者たちがはびこるこの時世。
竜や騎士崩れなどは何度も目にした。何度も相手にした。
しかしながら私は少女の姿をしたそれに、一切手を出すことも、口を出すこともできなかったのだ。
初めに扉を開けて、旦那様が眠りについているその横で、佇んだまま無機質な目を向けるお嬢様に違和感を感じた。
何者かが取り付いている。
その予想は頭上にのせられている冠により、さらに確信に近づく。
この瞬間、私ははっきりと恐怖を被っていたのだ。
銀の冠。
大地、海、空。星のすべてを思い出させるようなそれの持ち主は一人しか知らない。
『曇天の大精霊』
精霊の中でも逸脱し、冠を手に入れたもの。大精霊の一人。
どこの歴史をたどっても一度は出てくるであろう。
英雄として称えられることもあれば、恐ろしい化け物としても扱われる。
この世界に彼女と同格、それ以上の生命体は数えるほどしかいない。
それほどまでにビッグネーム。
あり得るのか?
心の中でこの疑問が反芻する。
数言だけ言葉を交わしてみれば、はっきりと感じる違和感。
言葉遣いが違う。
食事の際の食べる順番が違う。
細かな節々の動きが違う。
目の前に立っている人物は間違いなくお嬢様ではない。
お嬢様の皮を被ったナニカ。
頭の中で確信は持てる。
しかし、それを飲み込むことができないのだ。
あの優しく皆からも愛されているお嬢様に、怖気が立つほど恐ろしい悪魔が入り込んでいる。
なぜ世界はここまで残酷なのか。
正義というものは立場によって見方が変わるとはよく言うものだ。
なので過去の話から彼女の性質を完全に理解するというのは不可能だといえる。
そのものの本質を知るには多くの時間と対話が必要。
それをサバスは長年考えてきていた。
そう思っているにもかかわらず、まるでソフィアお嬢様のことを只の人形のように扱うような物言い。
それ一つで私があの精霊を理解するのにそう時間はかからなかった。
「……ふざけるなよ。そのまま伝説の中に引きこもって居ればいいものを」
曇天から受け取った宝石入りのビンを怒りに任せて握り、砕く。
部屋の中にカラカラと音が響く。
「貴様の力など借りることはない。お嬢様は我々が護らなければならぬ」
最後に奴が言いかけていた言葉。
おそらくだが砕け散ったこれを摂取すれば、ソフィアお嬢様の体に支障が出てしまうということ。
何が問題ないだ。
本当に問題がないのは曇天だけではないか。
……下種がッ
砕け散った宝石たちを念入りに潰す。
精霊が巣くってしまったソフィア様がこの宝石の存在を知ることがあってはならない。
絶対にこちら側に戻ってこさせてはいけない。
私が誓えるお方たちがもうこれ以上奴に傷つけられないようにするように。
まともな精神をしていない。
まごうことなき悪魔。
恐怖を焚き木に怒りを燃やす。
今はそれしかできない。
その自分にも嫌気がさす。
地面に散らばった微小の宝石は窓の外から入る月あかりを反射し、一人虚しさに肩を震わせるサバスにスポットライトを当てた。
次は恐怖に飲まれても、立ち上がることができるような者になるために。
◆◇◆◇◆◇◆◇(裏の表)
「あっ、これどうしよ」
曇天の大精霊サンもとい、クラウディアとは私のことよ。と自分語りを脳内でしているうちにベットへとたどり着いていた。
私の手に握られているのは先ほど全部宝石の飴にしてしまったワインで作ったブドウの芯。
果実部分は全部使い切ったけど、芯があることを忘れていた。
「んー。もったいないし、あと2,3個くらい作ってソフィアちゃんに持たせておこうかな」
ちゃちゃっと芯が原型を崩していき、手のひらに数個の宝石ができる。
机の上に置いてある紙に『なんとなく危なくなったら飲んでね!』と記述し生成したそれらを添える。
「ちゃんと見つけてくれればいいな」
そう思い私は眠りにつく。
一人の少女の体の中へ。
沈むように深く、見渡す限りの眠気を背負って。
完成した手紙と宝石はソフィアが目を覚ました時に確実に目に入る場所へ。
サンタクロースのように純粋なプレゼントをあなたへ。




