例えば天が崩れ落ちるような
未だ名も知らぬ少女の体を乗っ取ってしまった精霊がいるらしいですね。
しかもまだその犯人つかまってないんですって。
それは怖い!この辺にまだ潜んでいるかもしれないですわよ奥様。
脳内のイマジナリー隣の奥様と私が会話を行う。
私が少女と行った強制契約の内容はこうだ。
① 私は少女の持つ魔力欠乏症を改善する義務を課す。
② 私は少女が外的要因により生命の危機に陥った場合、可能な限りの対応をする義務を課す。
③ ①②の対価として私は少女の意識がないときの体の主導権を一部与えられる。
④ この契約に関する全権は少女が持つものとする。
圧倒的に私が不利な内容だ。
強制的にしたんだから仕方ないのだ。
私だって本当のところこんな契約は結びたくない。
しかしながら少女の命を救うためには仕方がなかったんだ。
そう!仕方がなかった。
それでみんなは納得してくれるはず。いや、させてみせよう。
「これで……完璧!」
少女の口から震えたつぶやきが出る。
美しい声だ。
しかしながら不純物である精霊さんの動揺が生き生きとのってしまっているのはいただけない。
ベットのすぐそばにあった姿見を取る。
声と同じようで顔もひきつっている。
このまま誰かにこの姿を見られたら、失態なんてものじゃあない。
顔をぐにぐにとマッサージしながら心の中であわあわと頭を抱える。
するとコンコンと扉を叩く音が響く。
誰かがこの部屋に入ってこようとしているのはバカな私でも分かる。
落ち着け……落ち着くんだ……素数でも数えようか。
元の少女の性格は言葉を数回交わしただけなので分かっていない。
しかし深窓の令嬢的雰囲気をか持ち出していたのだ。
表情を崩さずに、話す言葉の数を減らせばいけるか?
「どうぞ」
「失礼します」
部屋に入るように促すとメイドさんが入ってきた私を一瞥する。
「ソフィアお嬢様、ディナーのお時間です」
「えぇ、いくわ。案内して」
ベットから立ち上がりゆったりと歩いていく。
ピクリとメイドの方が揺れたような気がしたが、そんなときもあるだろう。
◆◇◆◇
「こちらです」
いわれたままに先へ進む。
食堂の前には両開きのドア。その前には幾人かが待機していた。
礼をしてこちらを歓迎する。
進んだ先には壮年を少し張り過ぎたころだろうか。
上に立つものとしての風格が滲み出ている。
白銀の髪にこちらの風景を映すような澄んだ瞳。
差し込んだ光がそれらを反射してこちらに延びる。
美しさと荘厳さを兼ね備えた姿がそこにあった。
「きたか、ソフィ」
そういえばこの少女の名はソフィア、愛称はソフィというらしい。
この情報はかなり大きい。
誰かに呼びかけられた時の心の余裕ができるというものだ。
「ご機嫌麗しゅう」
しかしながらソフィに対するこの男の関係性がわからん。
貴族というものは現代日本と比べて圧倒的にややこしい場合が多い。
親子ほどの年が離れた婚約者だったり兄弟だったり。
なのでここは濁すような策しかとることができない。
多少の心得のあるカーテシーをして見た目を取り繕う。
そして相手と話すときは目をしっかり合わせて笑みを浮かべさせる。
これで何とか警戒心が解ければいいなぁ。
男はその瞬間眉をピクリと動かして、一拍の間をおいてから口を開く。
「最近の調子はどうだ?随分と良くなったようだが」
「えぇ、おかげさまで」
「それはよかった。全員下がっておいてくれ。ソフィに折り入って話がある」
ハンドサインを行い、その場にいたすべての人をこの空間から外に出す。
最後の一人が出るときには、しっかりと扉は口を閉じられていく。
こちらのことを見抜くような視線は少々気に障るものがある。
これはどうしたらよいのだろうか。
椅子に座ったほうがいいのか、そのまま立っていたほうがいいのかまるで面接で儲けている気分だ。
決めあぐねていると男は続ける。
「率直に聞かせてもらいたいのだが、いいか?」
覇気を感じさせる声だ。
「もちろん」
ここで断れば何をされるか分かったものじゃあない。
怖くて「はい」以外の何を言えばいいのか。
燭台の上の炎がゆらゆらとカゲロウを作り、蝋が私の気持ちのうちに流れている冷や汗のようにゆっくりと、でも確実に落ちていくのがよく見える。
刹那の永遠を切り裂いたのはやはり男の言葉だった。
「……………ソフィ、いやおまえは誰だ?」
ばれてるぅぅぅ----------------!!!
やべぇよ。完全に見破られてるじゃあねえか。
ねぇこれってどうすればいいのかな?もしかしてコロコロされちゃうんか?
後ろも閉められて完全に逃げ場もなくなってるし舌戦しか択はないのかな。
もはや戦いにすらならなそうなんだけど。
うーん。ここは正直に『あなた様の言う通りです』とでも言っておこうか。
できるだけ悪意がないとこを見せるためにも引きつりそうな口を三日月に近づけるのを努力する。
「よくわかったなとでもほめてやれば喜ぶのか?貴様は」
男の威圧感が私の言葉に合わせて肥大化した。
「お前は私の質問に答えていない。許されるのは、私の問いに答えるために口を開くこと。それのみだ!」
魔力が渦巻く。
冷たくて鋭い。狩人が獲物を狩るときの、兵が戦場に向かうときの魔力のそれ。
殺気をはらんだどこか寂しく悲しい魔力の渦。
それが男の周りで発生している。
プールの栓を抜いたように回る魔力の奔流は徐々に形を変え、どこか圧力を感じるような黒い球状に変化する。
こちらにまでひりひりと感じるそれは引力か。
あの中に手を入れれば引きちぎれるだろうな。
いきなりこんな風に脅してくるなんて圧迫面接かな?
ハラスメントで労基に訴えてやりたいくらいだよ。
『ただの精霊だよ』と言って少し濁させてもらおう。
「ああ、威勢が良すぎるのも考え物だな。私が誰だかわからないようではそれまでということだ」
「なら……その身で味わうがいい!!」
黒球に体が引き寄せられる感覚がくる。
だけどそれにしては違和感があった。
少しずつ体の自由が利かなくなってきた。
しかしながら、それに反して憑りついたソフィの体は動いていない。
風にすらも負けそうな体だというのにもかかわらず、この引力の中では不動。
悪霊じみた状態の自分に思いつく案は一つある。
これは……少女から私だけを黒球に引き込もう落としている?
精神生命体のような魔力がふわふわしている存在だけ引き込む。
ありえない話ではない。
だけどこれって結構やばい気がする。
このままソフィから私が離れてしまったら強制契約している反動や現在彼女の魔力ペースメーカーとなっている状態が一時的に失われてしまう。
この衝撃にソフィが耐えられるのかといえば……何とも言えないだろう。
ここは是が非でも私が体から引きはがされるのを阻止しなければならない。
うはー!これって結構やばいね。
男さんもかなりの実力者だ。
下手にやればこちらも危なくなってしまいそうだ。
「それなりの格の精霊だろうが、逃れられるとは思うなよ?」
『かなりやばい。だけどこれは正当防衛だね』
言葉は翻訳によりうまく伝わらないかもしれないが、意思は表明するしかない。
あの引力は魔力により生み出された重力の概念を世界に固定したもの。
ならばこちらが圧倒的な魔力で干渉してあげれば相殺できる。
少女を助けた時と同様にパワーのブーストを行う。
「【戴冠-優曇華】………ふふっ、人の子としてはおもしろい。だが……どこまでいっても人は人の枠組みを超えることはできん。惜しいものだ、人にしておくにはいささかもったいないというものだ」
憑依した少女のソフィアに、白銀の冠が現れる。
宇宙から見た地球のような爛々と光を反射する海。
その上を流れるのは黒く深いブラックダイヤモンドのような雲。
曇天の空からサファイヤのように降り注ぐ雨。
青と黒の宝石は循環し、限りなく無限の優曇華が咲く。
そのすべてを内包したような冠のそれは、過去の人々が神と崇めたそれ。
空の胎動。
星の息吹。
すべての生命を生み出し、滅ぼす。
美しく流動した『天災』の概念の結晶。
それこそが精霊となった者クラウディアが持つ最強の証。
生物としての格を超越したときに星が与える頂の冠の一。
【優曇華】である。
理解を超えるものに出会ったときに人はどうなるだろうか。
男は先ほどまでの表情が崩れる。
ソフィが訳も知らぬ精霊に乗っ取られたと聞いても顔を崩さなかった彼が。
彼のそばにある引力の塊が少しばかり揺れ動く。
「まさか、その冠は……曇天の…」
しかしながらその声は最後まで続かない。
心のスキは魔力の乱れ。
魔力の乱れは命の乱れ。
これほど大きなものを見逃してやるほどの度量をクラウディアは持ち合わせていない。
「しばし眠るがいいさ。私を認められるほどの心の余裕ができるまで」
少女の皮をかぶった精霊は手をかざす。
男の周りに囲い、追い詰めるようにしてひんやりと冷たい暗雲が現れる。
ただそれだけ。
そして一瞬で黒色の引力球は消失し、糸が切れた人形のように男は倒れた。
◇◆◇◆◇(裏)
クラレンス グランヴェル侯爵
弱冠二十にして病を患っていた父の代わりに爵位の世襲を行い、魔法や鍛錬など様々なことに造詣が深く領民や家臣からの信頼も厚い。
魔法に関しては、星が全ても物を地にに行きつける力を研究し、新たな魔法体系を生み出すという鬼才でもある。
そして男は幼少のころからの付き合いで会った女性と婚約を果たす。
さらには、生涯をかけても愛すると誓った女性との間に子供ができ、順風満帆な人生をおくってきた。
しかしながら神はそのことが気に入らなかったらしい。
現実は何とも非常なことか。
妻はある時から呪いにかかったような病を患い、娘は魔力に障害を持って生まれた。
私の愚かな思い込みであったあきらめることをしなければ必ず解決の糸口が見つかるという気持ちはすぐに薄れ去る。
あらゆる名医、あらゆる魔術師、あらゆる文献を手にしてもそれを満たすことはできなかった。
私の全能力をささげても希望は見つからない。
これは人生の中で初めて味わった強大な挫折だった。
そして同時に自身は只の人だということに気づく。
ほどなくして妻は雪解けの春の季節のように静かに旅立ち、残されたのは最愛の子供たちと無力な自分への憤り。
強くあらねばと男は妻の亡骸の手を握り思った。
護らねば。
強くあらねば。
いつかまた来るであろう私の家族を脅かす脅威のために。
そしてその時は案外早く訪れる。
日に日に生気を失っていた最愛の娘であるソフィが自らの足で地を踏みしめ、誰の支えも借りずに食堂へ歩いているという。
信頼のおける屋敷の者たちからの話。
改善されることはないと思われていた娘の容態。
奇跡が起こったのではないかと思っていなかったかといわれると噓になる。
しかしながら娘の活力ある姿を見せてほしいと思うのは紛れもない親心。
その気持ちを隠れ蓑として、現実を見ようとしなかった。
治るはずはないのだ。
すべての者たちが意見をそろえて言う。
娘の体調が回復することは今後一切ないと。
寿命は持って数か月だと。
それなのに娘が元気になったのだということを信じた。
否、信じざるを得なかった。
そしてその時が来る。
長い机の上座に座る私。
入り口の両開きである扉が開かれる。
そこに現れたのは銀髪で天使のような要望をした娘の姿。
確かに私の娘そのものの姿。
「きたか、ソフィ」
歓喜と混乱、そして縫い付けられている一抹の不安。
そしてその気持ちは次の一言で反転する。
「ご機嫌麗しゅう」
カーテシーをするその姿はどこの令嬢にも劣らない。
だが……
「最近の調子はどうだ?随分と良くなったようだが」
だが……
「えぇ、おかげさまで」
だが……
…………違う。
娘ではない!本能が、只の人なりの家族への愛がその娘の中にいる何かに警鐘を鳴らしている。
ソフィではない誰かが、私の娘の命を侮辱しているのだッッ!!
あぁ、神よ。
見ているのだろう。
私の心の中をのぞいてけらけらとあざ笑っているのだろう?
「それはよかった。全員下がっておいてくれ。ソフィに折り入って話がある」
周りの使用人たちを下がらせる。
追及を早めたい気持ちを抑えて。
すぐに部屋からは誰もいなくなる。
この世界にいるのはソフィと私と、得体のしれないナニカだけ。
そう感じるほどにこの世界は静かだと思えた。
それゆえに、この空間の不協和音であるナニカを排除しなければならないと確信した。
「率直に聞かせてもらいたいのだが、いいか?」
何かがどう反応するのか一体見当もつかない。
様子見をするのが普通なのだろう。
だが、そのような理性はもうすでに持ち合わせていなかった。
「もちろん」
承諾が下りればすぐに一言を切り出す。
そう決めていたはずなのに言葉が出ない。
私は……怯えているのか?
娘の娘出ない姿に。それとも得体のしれないナニカに。
いや、そんなはずはない。
私が恐れることがあってはならない。
強くなければならないのだ。
「……………ソフィ、いやおまえは誰だ?」
「よくわかったなとでもほめてやれば喜ぶのか?貴様は」
息が切れそうになるのをかみ殺してナニカの即答を聞いた。
答えは傲慢。
故に絶望。
娘が奇跡的に助かる。
そんなことが起こるなんて、奥底では信じていなかっただろう?と私の心が笑う。
あぁ、神が私の心をみて笑っているのが見える。
なんで世界はいつもこうなのだろうか?
「お前は私の質問に答えていない。許されるのは、私の問いに答えるために口を開くこと。それのみだ!」
ナニカへの怒りと自分への失望。
感情のエネルギーは魔力の高まり。
重力の模倣
クラレンスが持ちうる才能のすべて。
一つの到達点を生み出す。
発生する引力はたとえ王城ですら吸い込み、粉々に粉砕される。
しかし、娘だけは傷つけることはできない。
ならば引き込むのは魔力、および存在自体があいまいな概念、現世に肉体を持たない生命体に限定すればいい。
「ああ、威勢が良すぎるのも考え物だな。私が誰だかわからないようではそれまでということだ」
「なら……その身で味わうがいい!!」
得体のしれない悪魔を殺し、次こそはソフィを守らなければならない。
そうでなければ、自分には何も残らなくなってしまうから。
「それなりの格の精霊だろうが、逃れられるとは思うなよ?」
意識をすべてソフィの体に向ける。
ナニカがどこににげようとしても、守るべきものだけは見失わない。
その気持ちがなければ、私はとうに精神の限界を迎えていただろうから。
そう思った瞬間。
目の前に花が咲いた。
一輪や二輪どころじゃあない。
世界そのものを示しているように、美しくも憎い花が咲いたのだ。
「【戴冠-優曇華】………ふふっ、人の子としてはおもしろい。だが……どこまでいっても人は人の枠組みを超えることはできん。惜しいものだ、人にしておくにはいささかもったいないというものだ」
ソフィの姿をしたそれは銀の冠を頭にのせる。
その存在をクラレンスは知っていた。
生命体の格の逸脱。
それを達成したときにのみ与えられる星の証明。
そしてそれらの冠は所有者によって物が違う。
そして私はソフィの被る冠を知っている。
曰く、過去に伝説となった勇者に仕えた。
曰く、世界を支配せんとする魔王の契約精霊となった。
曰く、この世界の芸術の根源には彼女がいる。
出せばきりがないほどの伝説と記録。
その冠を戴くものは…………
「まさか、その冠は……曇天の…」
ふわりと私の周りを冷気が包む。
スコールに打たれたように体と心が重くなっていく。
増水し、氾濫した川のようにおおよそ一般的に心と呼ばれるであろう部分が様々な感情であふれる。
それはもう止めることのできないもの。
意識の前に心が奈落へ落ちる。
感情の波に押し流されてしまうのだ。
また私は失ってしまうのだろうか?
沈んでいく意識の中で、私は…………
「しばし眠るがいいさ。私を認められるほどの心の余裕ができるまで」




