メイド少女は迷わない<破>
ソフィア様が目覚めてから数日が経過した。
聞かなくてもわかる。
あきらかに体調が回復している。
目を覚ましたその日はいつもの医師と魔法使いがやってきて検診を行った。
そしてとても驚くことにソフィア様の病状が改善しているらしい。
目に見えて血色が良くなっていて嬉しい限りだと、周りの者は騒ぎ立てている。
だが、その話を聞いて複雑な心境になったのは私ともう一人。
侯爵様である。
ソフィア様に付き添い説明を受けた際、席を共にしていた。
見事なポーカーフェイスであったが、本来の侯爵様ならばこの話を聞いて感情を顔ににじませるほどの朗報である。喜ばないはずはないのだ。
しかしその顔には若干の迷いのようなものが見えた。
私と同じように。
その後にソフィア様は庭を散策なされた。
ここまで活動的なことができたのはいつぶりであろう。
悪いことではない。
笑みを浮かべながら花をめでる主人の姿に私は何とも言えない表情を返すことしかできなかった。
私のことを心配なさるほどに良くない対応しかできない自分を悔しく思う。
「ティア?そんなにひどい顔をして……ちゃんと眠れているの?」
「いえ、先日はあまり。調べごとをしていただけですので」
「……その前は?」
「……問題ありません」
「嘘ね。あなたも座って少し休みなさい」
微笑みながら、私のことを見つめる。
「それほど疲れていませんよ。今日は早めに就寝することにします」
その後、私のことを引き落とすように抱きしめられる。
そして頭を包み込むようになでなさる。
「だーめ。私が心配よ」
私のほうが体も大きいにもかかわらずソフィア様に甘えるような構図になる。
なぜだろうか?
いまにも壊れそうな体にもかかわらず、これまでは気づくことのなかった母性を感じる。
これほどまでに安心を感じることはない。
「少しでいいの。私はあなたが倒れたら心が裂けてしまいそう」
微笑みながら私を見るその姿はさながら聖女のよう。
強い意志が通っているのだろう。
「倒れませんよ。自己管理は基本ですから」
優しさを受けるのは十分すぎた。
これほどまでの慈愛を受けてしまえば、私のほうが溶けてしまう。
しっかりと地面を踏みしめながら立つ。
支えは必要ない。私が支えになるのだから。
星が顔を出し、淡い光が窓に降り注ぎ私の顔を照らす。
机の上には魔法、精霊、歴史と幅広い分野の書物。
それらに囲まれた私は手に取った宝石を眺める。
ソフィア様が目を覚ます前にベットの横に置かれていた置手紙と赤を煮詰めたような色の宝石。
ルビーやガーネットに近いが全くの別物。
魔法的性質を備えたもののようだ。
考えられるのはあの時の化け物のこと。
手紙には危険になれば摂取せよとの記述。
3個ほどくすねておいた。
このことを知るのは誰もいないはずだ。
危険になったときに使うのならば、おそらくあの化け物を呼び出すかそれに準ずるものなのかと推測する。
それならば、これは奴への私が持つ唯一の手掛かり。
侯爵様に聞けばわかることも多いだろうが、正しい判断かはわからない。
一度眠らされているのだ。
洗脳か何かをしているのかもしれない。
私一人で調べるしかない。
いま最も有力なのは神や精霊からの下贈。
つまり、危機から救うための鍵という説。
どこかの高位存在がソフィア様を気に入ったため与えられた。
それならば体の調子が良くなっているということとも辻褄があう。
できるならば私の予想が合えばいいと思うがそれは願いすぎだろうか?
あの圧は善なるモノが発するものなのか。
ソフィア様を気に入っていたとしてもどのような扱いをするだろう?
こちらとは考えが違うはずだ。
現時点では一切害がないどころか、良いことしか起こっていない。
残った結果だけを見れば善良なものからの祝福。
しかし、過去と現在を知っていても未来が分かるわかるわけではない。
相手の考えをできるだけ早く知って、どのようなことになっても救えるような力を身につけないといけない。
しかし、私個人ではどこまでも限界がある。
武術や魔法はそこそこで専門にしている者には勝てない。
今から鍛えても再びあの化け物が現れたところに太刀打ちできる?
「……どうすれば」
真っ赤な宝石を見つめ、明かりに照らす。
空の上から流れ出して止まらない光を吸収し、反射して光るその色は綺麗だ。
反射する光はうっすらと長く伸び、鮮烈に輝いている。
風が吹く。
閉めていたはずの両開きの窓は開かれ、こちらを見ている者がいる。
怪しく光る複眼は回り、周りを見回す。
「エエなぁ、それ」
「……っ!」
少しばかり微睡みに落ちそうな、ゆったりとした気分は弾け飛び、脳内に警鐘が鳴らされる。
それは恐怖。
人でない異形の姿。
化け物らしい化け物といえばいいだろうか。
1、いや2メートルはある。
凹凸のない平坦な体から、八本の長い脚、巨大な腕のような触肢。
しっぽのないサソリ。
カマキリと蜘蛛が融合したようなその姿は悪魔のよう。
赤く光る眼に見つめられ、数日前と同じような重圧を感じる。
その姿はただの巨大な虫よりも怪奇。
巨大な奇虫という言葉が表すのに最も適しているかもしれない。
窓のふちにしがみついて、今にもこちら側に乗り込んできそうな位置。
とっさに立ち上がっても、そこから体を動かすことができない。
「それぇ……何かわかる?」
巨大な体をしなやかに使い、カサカサとこちらへ近づいてくる。
その身軽さはまるで重さを感じさせない。
気味の悪い虫の姿に畏怖を感じざるを得ない。
動くことができないはずなのに……私の口はすでに動いていた。
「これのこと、しってるの?」
「あぁ、知ってるヨォ。この世界の人間以上に」
口のようなものが横ににやりと動いたような気がした。
私のことを見て、にやついている。
「……これは、何なの」
「くふっ!クファファ!それはいかんワァ。情報言うンわ対価が要る。常識やろォ」
人の姿でないためどのような表情をしているのかは分からない。
だが、その下卑た言葉の意味ははっきりと理解することができた。
「何が欲しい」
「話が分かる奴は嫌いじゃない」
腕を叩き合わせるようなしぐさをして、こちらを煽る。
嬉しそうに足を動かし、私の体に巻き付けてくる。
触れられるということにここまでの恐怖を感じることはなかった。
長くてしなやかな脚は、背中に水を入れられたようにひんやりとした、刺激強めの清涼感。
「私が聞くのは、この宝石の情報の対価。それを先に聞かせて。あいにくですが、この体を渡す気はまだないので」
「強欲やねぇ……そんなことじゃあほんとに欲しいもん失うやろなぁ」
ニタニタと調子づいて笑うその姿に嫌気がさす。
私のことを終始見ていたのかと思うほどのそのセリフ。
奥歯をかみしめながら巻き付かれた腕をはじく。
「つれないなァ。余裕のない女は嫌われるで」
「……ッ」
「ま、ええわ。報酬は後ででええよ。優しいなぁ、ボクは」
そういうと、化け物の前足が私の口内に突っ込まれる。
無理やりこじ開けられて、限界を突破した異物は私の口からのどにわたって塞がれる。
「オッ…ァ!ゥェヴ……ヵぁ」
反応をして対価を聞くまでもなく、私の口は動かすことができない。
のどにまで到達した足が私の胎内を鳴らす。
視界が細くなり、顔から液体が垂れ下がる。
器用に別の足を使い、卓上の宝石を一粒つまむ。
「これはなァ、精霊の魔力の塊」
少しだけ説明をすると、一気に体内の中に侵入した異物が数舜のうちに引き抜かれる。
それだけ時間を稼ぐことができればいいというように乱雑に。
体から力が抜けるように苦痛が不快感に移行する。
「……ァぁ、はぁ……はぁ……ッ」
ひざと腕を地につき、息を整える。
体の内側からひっくり返るような気持ち悪さがぐるぐると回る。
「これを取り込めばなァ、精霊の力が回復して活性化する。精霊は魔力で生きる精神生命体やからなァ。……どこかで眠ってる精霊を起こせるやろ」
「……ぁあ」
口元をぬぐい立ち上がる。
嗚咽が止まらない。
「純度も高いし、とってもエエ石やね」
蜘蛛の怪物が真っ赤に染まった石を一つ口の中に砕いて投げ入れる。
スナックのように気軽に食べている。
「そんなに苦しまなくてもいいのにナァ」
机の上にはあと2個の宝石。
周りに積まれた本や小物のことなど知らないというように、残りをつまむ。
それら全てを体に取り込み、また不気味に笑う。
「じゃあ、報酬をもらおうかァ」
どうしてこう、怪物というものは息を吐くように害をまき散らすのだろう。
のどを押さえながら声を引っ張る。
「……取引のとの字もないやつね」
「何も言わなかったほうがいけないなァ」
何も言わせなかったのはあなたのくせに。
情報の先っちょを握らせて、対価を引き出す。
詐欺師の化け物化といってもいい。
奴との距離はなく、逃げることもできそうにない。
完全に相手のペースに乗せられている。
「ボクの名前はゼーツァーム。何かあったらこのボクの名前を思うままに叫べ。契約をすればその時に助けたるわ。ほら、とっても嬉しいやろォ?これがボクの君へ課す対価」
一方的に投げかけられる言葉は圧を感じる。
精霊との契約の強要だろうか。
「ここまでの目にあわされているのに、私が契約するとでも?」
「するで。ティア、《《必ず》》その時が来る」
私の名前まで知っているの……?
自分の言っていることを確信しているような言い草に本日数十度目の気持ち悪さを感じる。
偉業で不快な顔面が私の目の前に、付き合わされる。
私は心の中で、目をそらすな!と叫び続ける。
「その時が来なければァ……ナァ?」
「自分で作ればいいってことですか」
不気味で面倒な相手だ。
もう逃げられない宿命のようなものを感じる。
いや、宿命というより罠にはめられたというのが正しいだろう。
満足そうに体を揺らしてぬるりと動く。
あくまで、自主的に私に契約を結ばせる。そのつもりというわけか。
「よーく、考えるエエ。契約の時を見誤っちゃあいけないナァ」
音を立てずに歩き回る。
「ボクはずっとみとるで」
溶けるように蜘蛛の姿が消える。
先ほどまでのおぞましい姿は何処かへと消える。
あれは何だったのだろうか。
疲れからくる私が見た幻影だったのだろうか。
そう錯覚してしまいたくなるような心のざわめきが収まらない。
「……ぅエッ…はァ」
いまだにあの感触が抜けきっていない。
残るのは無様に苦しさの余韻に浸って壁にもたれかかる私と、乱雑に散らばった部屋。
あけ放たれた窓からさす光は、私の目元を複数色に反射させた。




