13 落ちこぼれによる、豪勢なほどの愛とやらは
涙のなかに映る世界はきらきらと色づいていて、勢いよく私を飲み込んだ。
暖かな陽の光を感じて私は目を覚ます。フルートの音色と涼やかな声に乗って色とりどりの音符が空を飛んでいるのが見えた。白いガーデンテーブルの上には陶器の紅茶ポッドを囲む三つのティーカップがあり、その傍にメイドが一人立っていた。
「ここ、は……」
見覚えのある女性が、紫色の髪を風になびかせている。私よりも深くて、夜の闇に近いような髪が。私の好きな夜空に輝く星のような瞳は、閉じたまぶたの下に隠されていた。
その隣には、私とは似つかない金糸の髪を編み込んだ女性がいた。今よりも少し新しいフルートに楽しそうに息を吹き込んでいる。
そして背中しか見えない小さな子供が、二人の演奏に体を揺らしていた。
私は知っている。これは、いつだったかのなんでもない日のお茶会だ。二人の母とその間にいる……私。
その穏やかな光景がいつまでも続けばいいのにと思う反面、もうすぐに終わってしまうのだと私は知っている。
未来のことなんて何も知らない小さな私は、大きな声で笑った。
「ママさまフルートじょうず! かかさまはお歌じょうず!」
「ありがとう〜。さすが可愛いわたくしの天使ね〜」
「元気だな。ミミはどっちがやりたいんだ?」
幼い私の声に、二人は演奏を止めてかがみこんだ。ほんわかとしたお義母さまと活発で溌剌としたお母さんを、当時はママさまとかかさまなんて呼んでいたっけ。それで私はミミって呼ばれてた。
ここは間違いなく私の最も幸せな記憶で──原点。
当たり前だけど、私の姿は二人には見えていないようだった。少しばかりの疎外感があることが寂しいけれど、私はこのとき成長した私に会った覚えがないから仕方がない。
「フルート! わたしもフルート吹けるかな!」
両手を上へ真っ直ぐ伸ばして私が言った。このときはじめてフルートをやりたいと口に出したことを、私は思い出す。
どうして……忘れていたんだろう。
フルートをやりたいのはお義母さまが吹いていたからだけど、私は別にフルートが好きじゃなかったんだ。嫌いだったわけじゃない。私はただ、フルートを吹いているお義母さまが好きで笑っていて欲しかったんだ。
「ああ、カモミはフルートが吹きたいのか? かかさまと同じお歌は?」
「お歌も好きよ! 私も歌えるもの!」
そう言って、私は下手くそな歌を歌う。顔が見えなくてもドヤ顔をしているのが分かる。だって私は二人の母に褒められるのが好きだった。
「でもね、フルートは吹けないの」
「あらあら……じゃあこのフルートはカモミにあげるわね」
「いいの!?」
「ええ、カモミもティトル校でたくさんお勉強するのよ」
「うん!」
しょんぼりしていた私は、お義母さまの言葉に嬉しそうに顔をあげる。このときまで私は一度もお義母さまのフルートに触らせてもらえなかったから、私は嬉しいと思いながら驚いていたの。
「それなら、大事なことがひとつあるな」
「だいじなこと?」
「そうよ。聖奏団と聖守団はね、大切なものを守るためにあるの。だからわたくしたちはどんなものを守りたいのか考えて、絶対に曲げてはならない」
「まもりたいもの……?」
小さな私が首を傾げる。私が今日ここにとんできたのは、この原点を思い出すためだったんだ。
「例えば国へ忠義を尽くす人、自分を守りたい人がいる」
「ただ一輪の花を守りたい人や、誰かが愛した場所を守りたい人がいるの」
「じゃあじゃあ! ママさまとかかさまは何を守りたかったの?」
知っている。私は、この言葉を。そうだ、二人は声を合わせて──。
「「「愛」」」
父といるときの、少し頬が緩んだ顔で二人は言った。
「私は、あの時はまだパパが好きじゃなくてな。──もちろん今はすきだけれど。あの時はパパよりもママさまが好きだったんだ。可憐で、可愛くてな。この屋敷に来たのも側室になったのも、すべてはママさまに近づくためだったんだ」
「そうよね〜。あなたは私のナイトになるって最初は言ってたのに。どうしてかパパに浮気したのよね!」
「今ももちろん、リーシェが好きだよ」
まるで恋をしているような顔で、お母さんはお義母さまに声をかけるんだ。
「んん? かかさまをかんがえればいいの?」
「ああ、ごめんな。少しわかりづらかったか」
「あのね。相手は誰でもいいのよ。ミミのその、好きって気持ちが、愛っていうの」
好きなきもち。私が好きなものは、そうだ。私はこのとき言ったんだ。
「みんなの笑顔を守りたいの!」
って。
小さな私は大きな声でさらに口を開いた。
「出会った人みーんなが幸せであると嬉しいの! かかさまも、ママさまもパパも! ルイもカルチェもローランも! みんなが幸せなこの世界が大好きよ!」
「そうか」
お母さんは笑って私の頭をゆっくりと撫でる。それを見ているお義母さまが小さな私に話しかけた。
「いつかカモミにも王子様が来るかもね?」
「王子様?」
「そう。気づいたら考えていて、一番に笑顔が見たくて。笑っていて欲しくて、とっても心がどきどきする人があなたにも現れるわ」
「じゃあ、わたしの王子様はママさまとかかさまだ!」
その言葉に二人の母は破顔して二人して私を抱きしめた。
抱きしめたままお母さんが歌い出して、お義母さまも歌い始めた。もちろん小さな私も。
いつもお母さんが歌っていた子守唄。私の口も音につられて勝手に動く。
そして次の瞬間、音が──世界を繋いだ。何も変わらない中で、何かが決定的に変わる。
抱きしめたままのお母さんのまぶたがゆっくりと上がり、視線が私と交差する。
お母さんの目が、私を見た。そして大きく見開く。
お母さんが……私を見ている。
交わるはずのない現在と過去が確かに交わった瞬間だった。
小さな私がその顔を見ようと顔を動かすのを、お母さんが抱きしめる。
「かかさま?」
急に歌を止めたからだろう。心配そうな声が聞こえた。お義母さまも歌を止めて、流れる声は私だけになる。
そこで、お母さんは涙を流しながら笑って、話していた。私に向かって。
「なんでもない。なんでもないんだ……。あぁ、私は。これ以上ないほど幸せものだなぁ。カモミは、ティトル校に入るんだな。私の歌を忘れないで、リーシェのフルートを持って。ああ良かった。こんなにも嬉しいことはない」
小さな私を抱きしめて、お母さんは──かかさまはもう一度私を見た。
今の私に向けて、声をかけた。
「愛している。愛しているよ、私の娘」
かかさまが、私を認識している──。
それが、どうしようもなく嬉しくて。でも同時に、恐ろしいほどの焦燥感に襲われて、私は焦って口を開く。
「わ、わたしも……!」
いかないと。そう思って私は前へ向かった。足がかかさまの元へ向かう。かかさまの近くまで向かって私は転んだ。あと少しの距離なのに、私の足が透けている。
それだけじゃない。周りが少しずつ泡になって空へ昇っていく。ああ、時間がない。
私は顔をあげてかかさまを見た。
「わたしも! かかさまのこと愛してる! ママさまも、パパも! 忘れちゃっててごめんね! もう、私大丈夫だから! 絶対絶対、忘れないから!」
きっと、顔は涙でぐちゃぐちゃだ。必死に伸ばした手は、かかさまの伸ばした手に──触れた。
ぎゅっと握って、私は触れることを認識する。伝われ、伝わって……! 私は必死な思いでかかさまに向かって叫んだ。
「大好き、大好きなのかかさま!」
「ああ知ってる! 私も、大好きだ……!」
光に包まれたかかさまの、私の大好きな笑顔を最後に、私はひとり暗い海へと落ちていった。泡になってキラキラと上へ上っていく。上は明るい。だけど、私は下を見た。下は暗い。それは剥がれ落ちていった私の虚勢と、哀しみと、苦しみ。辛いという塊だ。でも私にはたくさんのキラキラとした感情がある。今までの私の、嬉しい気持ちや、楽しさ、喜び、わくわくといった私の感情が。
「このことを……誰かに伝えたい」
言葉が口をついて出た。
ああそうだ。やっぱり私はいつも考えてしまう。いの一番に伝えたい人。レイ君。
その感情を私はなんと言うか知っている。
それを私は「愛」と呼ぶんだ。
ああ、あなたの笑顔がみたいな。今どこにいるの──?
そのとき私の目の前に青い光が落ちてきて、それが私の胸の中へすぅっと沈みこんでいった。




