第2話
放課後の公園は人の気配がまばらで風の音と鳥の声と、そして僕の鉛筆の走る音だけがあった。
桜の木の下。
スケッチブックの上に花びらがひとつ音もなく落ちてきた。
僕はそれをそっと手で払いのける。
秩父は好きじゃないが絵にする場所はたくさんあると思う。だから場所選びで困ることはない。
一人の時間を満喫していると、それは突然壊された。
「わあ」
静寂な空間で素っ頓狂な声が聞こえた。
振り返ると、昨日パフェを食べにいった彼女が頭悪そうな顔をして立っていた。
校章のついた制服のまま、リュックを片方だけ肩にかけて。
「なにこれ、めっちゃうまいじゃん」
僕は咄嗟にスケッチブックを胸で隠す。
「な、なんでここに?」
「私、この時期になるとよくここに来るの。ほら、こんなに桜が綺麗。もうこれは満開かな?」
彼女は忌憚なく僕の隣に座って、改めてスケッチブックを覗きこんできた。
桜と、ブランコと、ぼんやりとした空・・・
「すごい!風、ちゃんと描けてる。風を絵にするってむずかしいのに」
「そうかな?風なんて描いてるつもりないよ」
「ちゃんと描いてるよ!私にはわかる!」
彼女はニコニコしながら頭に花びらをのせている。
「ひとりが好きなの?」今度は風に目を細めながら尋ねてきた。
「なんで?」
「え、だって如月くん、教室でもいつも一人でいない?」
「ま、まぁ・・・」
まさか彼女がそんなことに気づいているとは。
「友達はいないの?」
「いないよ」
「作らないの?」
無垢な瞳を向けながら訊いてくる。
その瞳に吸い込まれるように、はたまた這い上がるように、普段はしまっている心境が喉をついた。
僕は少し迷ってから、中学時代の苦い思い出を話してみることにした。
なんだか今は、吐き出さないと気持ちが悪い気がした。
「中学のとき、友達だと思っていたやつに裏切られたことがあって・・・」
無意識に鉛筆を握りしめる手に力が入る。
「裏で笑ってたんだ。向こうが親友だって言ってきたのに。全部、嘘だったんだ」
「・・・それで?」
遠慮がちに彼女がいう。
「それから、誰かと仲良くなるのが怖くなったんだと思う。それに誰かのことを信じるのもやめた。また裏切られるのが厭だから」
彼女はなにも言わなかった。
ただ、スケッチブックの絵を静かに見ていた。
普段は埃をかぶっている僕の心境が、珍しく空気の中に舞っている。
なんだかそれが居心地悪かった。
なぜか彼女にはさらけ出せた。
なぜだろう。
考えてみる。
自殺しようとしているところを見られてしまったから、だろうか。
「・・・そっかぁ」
しばらくして、彼女がぽつりと言った。
「じゃあさ。私のことは、友達じゃなくていいよ」
「え?」
「あっいや。友達じゃなくて、なんか・・・知り合いでも通りすがりでも、絵に出てくる通行人Bとかでも・・・」
慌てて言葉を紡ぐ彼女がおかしくて、ふと笑ってしまった。
彼女なりの優しさが垣間見えたようだった。
「なに笑ってんのよ!恥ずかしいじゃん!」
「あーいや。ごめん、ごめん」
「じゃ、私行かなきゃだから携帯出して」
「え?」
「だから携帯。いいから、ほらはやく」
僕は言われるがまま、ポケットから携帯を取り出して彼女に渡す。
彼女は僕の携帯になにかを打ち込んでいるようだった。
「はい」
携帯を受け取ると『花咲月歌』という文字が連絡先に追加されていた。
「じゃ、私行くね!月が出る前に!」
「どういう意味?昨日も月が嫌いとか言ってたけど。狼女なの?」
「そうそう。変身しちゃうのよ。だから私からのメッセージも無視せず、ちゃんと返信してね!」
つまらないジョークを言って、彼女は背を向けた。
春の光が傾きかけた公園からゆっくりと、でも確かな足取りで遠ざかっていく。
一度も振り返らずに彼女はそのまま、まるで季節のひとしずくみたいに風の中へと溶けていった。
僕はその背中をただ見送った。
ただ桜の花びらが一枚、彼女のあとを追うように舞っていくのを目で追っていた。
それは誰かの残した微かな余韻のようだった。
夜はもう、すぐそこにいた。
家に着いて、玄関で靴を脱いでいると夕飯の匂いがかすかにした。
それは決して嫌いな匂いじゃないのに、どこか遠くの国の出来事みたいに思える。
リビングのソファには、妹がスマホをいじりながら寝転んでいた。僕には一瞥もくれず、目は画面に釘付けだ。
キッチンから母の声がした。
「あんたの分、もう温めてあるから、あとでチンしといて」
僕は無言で頷いて、自分の部屋に荷物を置いた。
リビングに戻り、一人食卓につく。冷えた味噌汁と、ごはんと、焼き魚。テーブルには三つ分のお箸とお椀があったけれど、その真ん中はなぜか僕の席じゃないような。
僕の居場所はこの世界にあるのだろうか。
昔から兄はしっかり者だった。
成績もよくて、部活も生徒会も頑張っていて、父と母は「さすが長男」と何かあるたびに褒めていた。
妹は妹で、末っ子で一人娘であるため、よく甘やかされていた。
服は欲しいもの、少しわがままを言えばすぐに叶った。
僕はその中間で、ちゃんとしていても特別褒められることはないし、ミスをすると「またか」と呆れられた。
誰からも期待されてないわけじゃないけれど、誰からも特別に見られた記憶がない。
自分の居場所がどこにもないような、そんな気がする夜が幾度とあった。
テレビの音が家族の沈黙を薄く埋めている。
僕は焦る必要もないのに、急いで夕食を食べ、食器を洗って自分の部屋に戻った。
しばらく、描きかけの絵の続きを描いたり、ネットサーフィンをしていると時間は自然と過ぎ、お風呂に入るため自室を出た。
お風呂から出て髪を乾かし、キッチンで水を飲み再び自分の部屋に戻った。
ベッドに沈むように倒れ込んで天井を見つめる。
ここ二日間のことを色々思い出しみる。
屋上のこと、巨大パフェのこと、今日のこと。
彼女のあの笑顔と空を指さす仕草がふわふわと脳裏に浮かんで離れなかった。
まるで幻のようだ。
でも、幻にしてはやけに眩しくて、あとを引く甘さとどこか喉の奥がきゅっとなるような感情を残していた。
すると枕元のスマホが震えた。
小さな光が暗い部屋の中でひかった。
手にとり、確認すると液晶画面に『花咲月歌』とあった。
『如月くん、明日ひま?カラオケに行こ~!一日中歌ってストレスを発散するのだ!』
彼女は『ひま?』と訊きながら、すでに行く気満々だった。
思わず鼻から息が漏れる。
そういう自由さが、ちょっとだけ羨ましい。
僕は返信を打つ。
『ヒトカラじゃないの?』
すぐに既読がついて、返ってきた。
『ひとりで歌ってもつまんないじゃん!それに週末死なれたら困るから!言ったじゃん監視するって!それに絵の約束もだぞ~』
色んな返信が頭に浮かんだ。でもどれもが適当じゃない気がして、打っては消してを繰り返す。いい返しが見つからずにいると続けて集合場所と集合時間が送られてきた。
面倒になり『了解』と送り携帯を閉じた。
ベッドに体を預け、右手を額に乗せる。もう片方の手を胸にあててみる。心臓がドクンドクンと規則正しく振動を鳴らしているのが、手を通して伝わってきた。
僕はまだ生きていた。
無論、それは彼女のおかげである。
彼女は今何をしているんだろう。
今日はいい天気だ。
きっと空にはたくさんの星が輝いている。
彼女は今日も秩父の星空を見上げているのだろうか。
そんなことを考えていると自然と瞼が重くなり僕はいつの間にか眠ってしまった。




