第12話
「ここかー!」
スマホと照らし合わせて、彼女が叫んだ。
「・・・で、でか」
あまりの大きさに思わず声が漏れる。もちろん事前にスマホで拝見済みだったのだけれどやはり本物は違う。
どこまでもまっすぐに伸びるガラス張りの高層ビル。その最上階は見上げても霞んで見えないほどで、雲を突き抜けるかのようなその高さにただ息をのんだ。
ビルの壁面は鏡のように空を映しだしており、まるで別世界への入り口のようだった。
僕なんかが入っていいのだろうか。そんな思いが一瞬、頭をかすめる。
回転式の自動ドアを抜けると多方からホテルマンの視線を浴びた。髪をオールバックにした中年の男性が近づいてきて、白い手袋をした指先で僕らの荷物を預かり、ロビーに案内してくれた。
瀟洒なイスに彼女と向かいあって座っていると、今度は若い女性がお茶とまんじゅうを持って現れた。彼女は悠々とお礼をいい、僕は会釈だけした。まんじゅうを食べながら先ほどの男性がホテルの説明をしてくれた。夕食はバイキング式で食べ放題。館内にはゲームセンター、カラオケ、バー、などの娯楽が詰まっていると知った。
つまり、至れり尽くせりというわけだ。
終始丁重なホテルマンは僕らを部屋まで案内すると、笑顔を残して次の仕事へ向かうため退いた。
ドアを開けた瞬間、冷えた空気とともに微かに花のような香りが鼻先をくすぐった。
「わぁ・・・!」
月歌が小さく歓声をあげる。
広い室内には、黒を基調としたベッドが二つ、柔らかそうなソファー、そして大きな窓。カーテンの隙間からは、さっきまで歩いていた街の明かりが遠く瞬いていた。
「すごい!すごいよ!陽依くん。ここ天国かも!」
「天国も地獄も信じないんじゃないの?」
彼女は靴を脱いだまま床に足を投げ出して、ベッドに飛び込んだ。弾力で体が弾む。
「しあわせってこういうことを言うんだよ!ぜったい!」
僕は荷物を置き、部屋の中を改めてじっくりと見渡した。
壁際にはネスプレッソの機械。テーブルの上にはウェルカムスイーツらしき小さなモナカとメッセージカード。
洋風なのに、出迎える甘味が和菓子なのが面白い。
バスルームのドアが少し開いていて、そこから大理石のカウンターが覗いている。
「こんなところに泊まっていいのか・・・」
「今さら遠慮すんな~!」
月歌は身体を起こして、満面の笑みをこちらに向けた。もちろん、宿泊代金は僕が払うことになっている。
おばあちゃんありがとう。僕は心の中で掌を合わせた。
目がキラキラと輝いていて、まるで頭上のシャンデリアの光をそのまま映したようだ。
彼女はおもむろにベッドから降り、バタバタとベランダの方に向かった。
「す、すごーいい!」
僕もあとにつづいてベランダに出た。
まだ少しだけ熱を帯びた風が頬をなでて、遠くの街が茜色に染まっている。
「うわ・・・」
「んね。すっごい綺麗」
高級ホテルから見下ろす景色は、まるで映画のワンシーンのように見えた。ビルの合間からのぞく太陽が空を濃く、深く、赤く、染めあげていた。
月歌は手すりにもたれて、うっとりとした表情で空を見上げている。
その横顔が僕には空よりもずっと綺麗に見えた。
「・・・描いてもいい?」
「ん?」
「今の月歌を絵にしたい。・・・いい?」
一拍置いて、月歌は嬉しそうに笑った。
「うん!もちろん!じゃ動かないで待ってる!」
部屋に戻って画材を探そうとした僕に、「リュックの一番手前のチャックに入ってる!」と動かずにモデルが言った。
お馴染みのクレヨンとスケッチブックを持ってベランダに戻る。
夕焼けの中に立つ彼女の輪郭を目でなぞり、心でとらえながら線を引いていく。
オレンジと黄色と、すこし赤。
光が彼女の髪の毛に淡く透けて、目尻に影を落とす。風がワンピースを揺らし、そのたびに光が形を変えていく。
僕はそれを追いかけるようにクレヨンを走らせた。
「陽依くんの絵を描いている時の顔、好きだよ」
クレヨンを持つ僕の手が止まった。
「すっごく真剣で。やさしくて。それにちょっと寂しそう」
僕は何も言わず、スケッチブックに向き直る。けれど、胸の奥がぽつりと熱くなっていた。
僕は黙って絵を描き進めた。
描き終えるころには、空が群青色に変わり始めていた。
夕焼けの最後の光を抱きしめるように、街の明かりがぽつぽつと灯っていく。
「ありがとう。月歌。すごく綺麗だったよ」
こんな歯の浮く代表みたいな言葉を、なんの恥ずかしげもなく言えてしまう僕は、とうとうおかしくなってしまったようだ。
「ううん。ありがとうって、こっちの台詞」
彼女も胸がむず痒くなるようなことを言った。
彼女は静かに微笑んで、僕の肩にそっともたれかかった。
「今日の空、きっと忘れないよ」安心したように彼女が言った。
僕はその言葉ごと、スケッチブックに封じ込めた。
忘れないように。
エレベータの扉が開くと、甘くて香ばしい匂いが漂ってきた。
さまざまな形の照明の下、ビュッフェスタイルのレストランはまるで祝祭のような賑わいを見せていた。
肉が焼ける音、グラスが重なる音、笑い声、皿の触れ合う音がこの空間を作っていた。
僕はどこか夢の中にいるような気持になった。
「すごい!おとぎ話の晩餐会みたい!」
月歌が隣で、はしゃいでいる。
その横顔には昼間にメリーゴーランドと同じ無邪気な光が灯っていた。
席につくと、スタッフが丁寧に料理の案内をしてくれた。
鉄板焼きのステーションでは、目の前でシェフが肉を焼き上げている。
サーモンのマリネやローストビーフ、パスタに小ぶりなフォアグラのソテーまで、まるで絵の具のパレットのように並んでいた。
「うわー!あれ取ってこよう。あと、あれも!」
「ちょっ。お皿が足りなくなる」
トングを持った月歌が、まるで宝探しをするみたいに料理を選んでいく。
僕もそれにつられて、普段なら手を出さないような凝った前菜に手を伸ばした。
テーブルに戻ってきて、ふたりで皿を見せ合う。
「陽依くん、サラダばっかりじゃん!健康志向?」
「いや、見た目綺麗だったから。つい」
「さすが芸術家だ!じゃ、交換しましょう。私のこのミニハンバーグ、かわいいし美味しそうだよ」
遠足のお弁当を分け合うみたいに、ふたりで少しずつ交換して食べる。
料理を口に運ぶたび、月歌は「これやばい!」「うま!」「あっ次これ食べてみて」と次から次へと言葉をあふれさせた。
そのすべてが今という瞬間を丸ごと味わっている証のように思えた。
デザートのコーナーではチョコレートファウンテンと色とりどりのマカロン、ショートケーキにジェラートまで揃っていた。
「ねぇ!みてこれ!小さなパフェ作れるみたい!」
「どうせ食べられない量を盛るつもりでしょ?」
「もちろん!安心してちゃんと食べるから!」
月歌は小さな器にアイスをのせて、果物やチョコを慎重に重ねていく。
最後にさくらんぼを乗せると、得意げな顔で僕に差し出した。
「はい、これ!陽依くん用」
「よく、まぁ、器用に乗せたね」
「でしょ!でしょ!」
そんなふうに笑い合いながら、気が付けば空はすっかり夜の帳が降りていた。
「ほら、陽依くん!食べるよ!」
「あ、ああ」
僕らは仲良くパフェを持ち、席に戻った。




