第11話
朝早く起きて、着替えが入ったリュックを背負い、母親に、「友達の家で勉強合宿をしてくる」と言って家を出た。
集合時間に駅へ行くと、彼女が出迎えた。
白のベレー帽にベージュのワンピース。彼女はおしゃれに夏を体現していた。
ベレー帽は少し早いような気もするけど。
まさか、夏を越えられないという伏線なのか。考えすぎか。
「やーやー!一週間ぶりだねぇ」
「そうだね」
「珍しいじゃない、お主から誘いの連絡をくれるとは。しかも遠征だなんて。いやらしいことでも考えているのかい?」
彼女はふざけた調子でそんな理解不能なことをいった。
「そういう僕の品位を下げる発言はやめてよ。僕は純粋に旅行に行きたいだけで。友達がいないから仕方なく暇そうな君を誘ったんだよ。邪な気持ちがあるのはそっちでしょう?」
「ないわ!このボンキュンボンな胸に誓ってね」
「暑いから早く電車に乗らない?」
彼女の戯言を無視して、会話の舵を思いっきりきった。
僕はそそくさと駅の中へ避難することにした。
「おい!無視すんな!」
そんな言葉が背後から聞こえたが、もちろんそれも無視した。
今日は晴れているが太陽は控えめで、過ごしやすい日だった。まさに、遠征日和。
さっそく電車に乗り、二時間ほど揺られ、その後僕らは新幹線に乗車した。
窓の外には、朝霧の残る田畑が広がっていた。時折、あくびしそうな街が遠くに流れていく。
月歌は隣で先ほど買った紙パックのオレンジジュースを飲んでいた。
「ねぇ、旅行ってさ、行く前がいちばん楽しくない?」
「行く前?」
「そう。まだ始まっていない、どこにでも行けそうな感じ」
月歌らしいなと思った。
「なるほどね」
笑いながら彼女の横顔を盗み見る。
窓に映ったその顔は少しだけ寂しそうに見えた。
「行き先、決めてないんだよね」
「うん。だから逆にどこにでも行けるってことだよね。今日は地図じゃなくて気持ちで決める旅!」
ジュースを勢いよく吸って彼女はにこりと笑った。
その笑顔の裏に何か隠していることを僕はもう知っている。
「どんな旅になるのかな」
呟くようにいった。
僕の呟きに少し考えてから、そっと窓の外に目を向ける。
「忘れられない旅。かな」
「どんなふうに?」
「うーん。たとえば、電車の音とか朝の匂いとか、空の色とか。些細なものが全部記憶に染みついちゃうような。そんな旅。がいいな~。・・・なーんちゃって」
おどけているけれど、本音だろうなと思った。
僕はなにも答えなかった。
ただ頷いて、朝の日差しが眩しすぎたから、手を伸ばして少しカーテンを引いた。
新幹線は定刻通り僕らの目的地に到着した。
急いで荷物を持ち下車する。ホームからいろんなお店が並ぶフロアに出て、少し歩き、エレベーターで地上へ上がり、やっと改札を出た。
「うわー!いい匂いー!」
「それで、どうする?」
「とりあえず、お昼にしない?」
「うん。そうしよう」
僕らは適当に街を歩き、目をひいたお好み焼き屋さんに入ることにした。
「私、本場のお好み焼き食べるの初めて!陽依くんはある?」
「いや、僕もない」
そういえば、正確に言うとお好み焼きの本場は東京らしい。というのを新幹線の中で読んだ雑誌に書いてあった。
「安心していいよ、私がおすすめなの頼んであげる」
「食べたことないんじゃないの?」
「細かいことは気にしなーいの」
結局、彼女は店員さんにおすすめを訊いていた。
「じゃ、それで!あとウーロン茶二つください!」
「おおきに」
マニュアルなのか自然なのかわからないけれど、店員さんはこの地ならではのお礼の言葉を残して速やかに去って言った。
「うわー!本場のおおきに初めて聞いた」
彼女は事あるごとに反応し楽しそうだった。
あまりにも楽しそうなので無理に明るくしているのではないか?と疑うほどだった。
先にウーロン茶が到着し、その後すぐにお好み焼きが運ばれてきた。
自分で焼くのではなく店員さんが焼いたものを持ってきてくれるスタイルのお店で、運ばれたときにはすでに焼き上がっており熱々だった。
マヨネーズとかつお節と青のりが香ばしい。
月歌はそれをみて、「きゃー、美味しそう」と目をとろけさせていた。
肝心の味はというと、あまりの美味しさに彼女も口を閉じ、黙々と本場のお好み焼きに舌鼓を打つほどだった。
彼女が黙るほどという表現をすれば、美味しさの規模を簡単伝えることができるだろう。
すぐさま食べ終わり、如何せん満たされないお腹を追加注文の生姜焼きで埋めてみることにした。
これもまた美味だった。
支払いは僕がすることになっているので、伝票を持ってレジに向かう。
封筒から、千円札を三枚取り出し、おつりをもらう。
小銭を封筒に入れて、外に出た。
「うますぎたー!」
お店を出た彼女の第一声。
とりあえず、土地勘が全くないこの街をとりとめなく歩いてみることにした。
目的地を決めているわけではなかったけれど、初めて訪れる街並みは歩くだけで十分楽しむことができた。アクセサリー屋さんに入ってみたり、有名なライブハウスを覗いてみたり、掛けもしないくせにメガネ屋に寄って、不思議な形のメガネを掛け合ってお互いを愚弄したりした。
街並みを歩いていると、ふと月歌が立ち止まった。
「うわ!なにあれ!」
彼女が指さした先にあったのは、小さな道の駅だった。そこは地方都市の片隅にある、派手さはないけれど妙にあたたかな雰囲気を縫った場所だった。
面白そうなので寄ってみることにした。
木造のアーチをくぐると、中は意外にも賑わっていた。地元の野菜や工芸品、名物の屋台までずらりと並んでいる。
僕たちはあちこちの店を見てまわった。干し柿やご当地キャラのキーホルダー、甘酒の試飲や変わった味のポテチの試食コーナー。月歌はご丁寧に勧められるすべての飲み物や食べ物を享受していた。
また外に出ていろんな店の前を通り過ぎたり外から眺めたりした。
すると、香ばしい匂いに誘われて、ラーメン屋の前で二人とも足を止める。
「ラーメン美味しそう!」
「確かに・・・さっきお好み焼きと生姜焼き食べたのに」
ちょっと店前のメニューを眺める。
そして気がつけば僕らは、お店に入ってカウンターに座っていた。
「食べきれなさそうだから一杯だけ頼もうか」
「うん!だね!」
僕がそう打診し、一番人気のトマトラーメンを注文した。
スープが真っ赤だが、辛くはないよう。
お昼時ではないため、すぐにラーメンが到着した。
鼻をくすぐったのは、トマトの甘酸っぱい香りとバジルの爽やかな香りだった。
スープは真紅に輝き、表面にはとろけたチーズが浮かんでいる。
ひとつのどんぶりを二人でシェアすることにした。レンゲを交代に使いながら、どこか小さな子どもみたいに笑い合う。湯気の向こうで、月歌が目を細めていた。
食べ終えると、今度は道の駅の裏手にある広場へ足を運んでみることにした。
そこには小さな観覧車と小さなメリーゴーランドが常設されていた。
それは控えめに佇んでおり、まるで誰かの秘密の遊園地みたいだった。
入り口にはプチ遊園地と書かれている。
「わわわあ。かわいい!なにこの道の駅~!」
確かに、かわいい。
月歌は、早速メリーゴーランドの方へ走り出した。
僕も周囲をぐるぐると見渡しながらゆっくりその背中を追う。
「ねぇねぇ!これ乗ろうよ!」
「僕はいいから。乗ってきなよ。ほら写真撮ってあげるから」
「ちぇー。じゃしっかりかわいく撮ってね!任せたよ!変態カメラマン!」
「変態は余計だ」
現金払いのようで係の人に三百円支払い、馬にぴょこんとまたがった。
やがて小さくベルが鳴って、月歌だけを乗せたミニメリーゴーランドが回りだす。
『星に願いを』のメロディーが小さい道の駅に鳴り響いて、秘密の遊園地は静かに賑わいを見せる。
僕は柵の外で、彼女が通り過ぎるたびにスマホで写真を撮った。
「いえーい!」
スマホを向けるたびに彼女はピースをしていた。
楽しそうに笑っている。
彼女はやがて消えてしまう人だ。その運命は変わらない。
どんな薬を投与しようと、どんな魔法を使おうと、どんな呪文を唱えても、変わらないのだ。
ただ時間の向こう側へ、静かに消えてしまう。
回転を繰り返す度に、月歌は遠くなって、それからまた近づく。
触れられそうで、触れられない。
もし、今走っていって手を伸ばしたら、何か変わるのだろうか。
たぶん、変わらない。
彼女は消えてしまうその日まで、こうして外側から、回り続ける彼女を見ているのだと思う。
なんて無力なんだろう。
僕はそっと唇の端を噛んだ。
アトラクションは五周半したところで、緩やかに停車した。
「観覧車には一緒に乗ろう?」
彼女が猫なで声で言ってきた。
なので、心優しい僕は観覧車には一緒に乗ることにした。
観覧車の中心には、『パンプキン観覧車』とあった。
ゴンドラがかぼちゃの形をしていて、それがこの場所をよりメルヘンに染めていた。
こちらもかわいさ満点だ。
「かぼちゃ?」
僕が声に出すと、「シンデレラみたい!かわいい~」と月歌がいった。
ぎし、と扉が閉まって、かぼちゃのゴンドラはゆっくりと地上を離れた。
中もちゃんと丸くて、壁にはかぼちゃの種が描かれていた。小さな豆電球が吊るされており、それが風に吹かれて恥ずかしそうに灯っていた。
「すごいデザインだね!風が気持ちいい~」
「ほんとだね。そういえば今、これ見て思い出した。気になってたんだけど、月歌家のトイレもおしゃれだったけど?あれは誰のデザイン?」
「あー。ゴリラのアトリエ?」
「そう」
「あれはねぇ。トイレのデザインはおじいちゃん!ゴリラのアトリエっていう看板は私が作ったの。小学校の図工の時間にさ。そういうのあったでしょう?」
「あったね」
小ぶりな観覧車のためすぐにてっぺんにさしかかる。
頂上でも大した高さを感じることはなかった。
それでも、遠くの山並みや小さな街の屋根なんかが見えた。
ふと見下ろした月歌が、ため息まじりに呟いた。
「こうしているとさ、まるでどこか遠くに旅してるみたいだよね」
「してるじゃん、じっさい」
「そうなんだけど・・・なんだろう、もっと遠くの知らない国とか、夢の中とか、そういうの」
「・・・うーん」
かぼちゃの馬車に乗ったまま、遠くの国へ。
それは、もしかしたら月歌が思い描く、旅立ちのかたちだったのかもしれない。
僕は隣で、小さく息をのんだ。
夕焼けがゆっくりと世界を染めていく。
沈黙が少しつづいて、やがて月歌がぽつりとつぶやいた。
「このまま、空に浮かんでいたいな」
「ウルトラマンみたいに?」
おどけて僕が言うと、ちょっと笑って、「ウルトラマンは可愛くないからやだ」と言った。
まるで、魔法が解けるのを恐れているような口ぶりだった。
それは、彼女の切実な願いだったのかもしれない。遠くのほうで『星に願いを』が聞こえてきた。子どもたちの声もそれに混じって聞こえてくる。
やっぱり今日の彼女は少しおかしい気がした。




