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第10話

 その今度が来たのは割と早く、五日後の八月の一週目が終わる頃だった。

 僕は、彼女に呼び出された。

 「今日もあつい・・・」

 駅前で待っていると、麦わら帽子を被った彼女が笑顔で歩いてきた。

 「おっす、お疲れ!さぁ行こうか!あっでもその前にラムネ買っていい?」

 「うん」

 この天気に負けないくらいの笑顔を今日も彼女は携えている。

 駅の売店コーナーに入り秩父名物!と書かれたラムネを買った。

 汗をそれなりにひかせるため、店内で飲むことにした。

 おかしな光景だ。地元の奴が地元のお土産コーナーにいるなんて。

 ここにいる人たちは、恐らくみんな秩父の人じゃない。

 ゆっくり味わい、運よく店内にゴミ箱があったので瓶を処理し、彼女のおばあちゃん家を目指して歩き始める。

 狂気的な太陽の下は、少し歩いただけでシャツがじっとりと肌に貼りつく。

 しばらく歩くと、舗装された道は土に変わり、横を流れる川のせせらぎが聞こえた。

 月歌は楽しそうな笑顔を張り付けて、小さく鼻歌を歌っていた。

 やれやれ。

でも、こんな炎天下でも笑顔を浮かべられるのは、素直にすごいと思った。

 「あれだよ」

 彼女が指さす先にクリーム色の平屋が見えた。

 近づくと、縁側に吊るされたすだれが風に揺れていた。

 「ただいまー!」

 「おかえり」

 中から優しい声が返ってきた。

 「お邪魔します」

 玄関をくぐると、ふわりと懐かしい匂いが鼻をかすめた。

 畳の香りに混じって、穂のかに蚊取り線香の甘くて焦げた匂いが漂っていた。

 無駄に大きな玄関でしっかり靴を揃えてから、家にあがった。

 「まぁまぁ。暑かったでしょう」

 声に負けないくらい優しそうなおばあちゃんがゆっくりと柔らかい口調で出迎えてくれた。

 僕はもう一度、おばあちゃんに向かって「お邪魔します」と言う。

 廊下を通って居間に通されると、ちゃぶ台の上にはすでに四角く切りそろえられた羊羹が二つと、曇り一つないガラスのコップに注がれた麦茶が置かれていた。

 コップの表面にはうっすら水滴が浮かんでいる。

 それがなぜか夏を感じさせた。

 「さ、羊羹でも食べないね」

 勧められるまま座布団に腰をおろすと、涼しい風が障子越しにそっと入り込み、うっすら汗ばんだ首元を撫でた。

 いい気持ち。

 月歌はすぐに麦茶を手に取って一口飲むと「くー。やっぱりおばあちゃんの麦茶は最高だー!」と言って目を細めた。

 「陽依くん、飲んでみて!この麦茶、おばあちゃんの手作りなんだよ!」

 彼女の言葉に促されて一口飲んでみる。

 ほんのりと麦の香ばしさと邪魔にならない甘みが舌の上でころがった。

 「うん、おいしい」

 「でっしょー!」

 「これ、おいしいです」

 そう言うと、おばあちゃんは嬉しそうに笑った。

 次に羊羹も口にすると、ねっとりとした舌触りの中に控えめな甘さが広がる。

 クーラーは効いていないはずなのに、不思議と涼しさを感じる空間だった。

 「ゆっくりしてげいな」

 柔らかな秩父の方言でそう言うとおばあちゃんは台所の方へ消えていった。

 「うーん、羊羹うま!陽依くんは洋菓子派?和菓子派?」

 「和菓子かな」

 「私も!やっぱり田舎育ちは和菓子派になるよね」

 「関係あるの?」

 「あるある!そういえば夕飯、おばあちゃんが作ってくれるみたいだからそれまで遊ぼ」

 「なにして?」

 僕は小皿の前で手を合わせ、心の中で、「ごちそうさまでした」と呟きながら尋ねた。

 「ファミコン!」

 「古くない?」

 「ふたりでやれば面白いよ!」

 月歌は手慣れた様子でスイッチを入れ、ソフトを挿しこみ電源をつけた。

 カチッという軽い音ともに、古めかしいピコピコという音が流れ出した。

 テレビに映し出されたのは、どこか見覚えのあるドット絵の画面だった。

 「マリオ?懐かし」

 「勝負しよ!」

 「マリオで勝負?」

 彼女がコントローラを手渡してくる。どちらが先にミスるか、なんていう単純な勝負に僕たちは熱中した。

 気がつけば無言になっていた。

 小さな部屋の中に、ボタンを連打する音と笑い声が響く。

 外では蝉の声が絶え間なくつづき、風鈴がカランと鳴った。

 「ちょっと、そこ飛ぶんだってば!」

 「いや、無理でしょ、これ、タイミングむずい」

 そんなやりとりをしながら時間は進んでいった。

 まるで子どもに戻ったような感覚だ。

 昔、兄や妹とこうしてゲームをしたことがあった。

 彼女と笑いながらもそんな記憶を思い出して、一人でノスタルジーを感じていた。

 どこか取り戻せなかった時間をほんの少しだけ巻き戻してくれるような。

 ほんとうに戻ってほしいと思った。

 そんな午後だった。


 僕らが時間を思い出したのは、台所からいい匂いがしたからだった。

 「うっは~。いい匂い」

 「ほんとだ。僕ちょっと手伝ってくるよ」

 「よし!私もファミコン片したらつまみ食いしにいく!」

 同時に立ち上がりそれぞれの持ち場に向かった。

 台所に顔を出すと、煮物と味噌の香りがした。 

 「おばあちゃん、手伝います」

 「あーわりんね。気遣わなくいいんに」

 「とんでもないです。こうやって手伝うの好きなんです」

 「そうかい。じゃご飯をよそってくれるかい?」

 「もちろんです」

 お茶碗の場所を教えてもらい、三人分の白米をよそう。

 すると月歌も台所へやってきて、冷やしトマトをつまみ食いした。

 「うまーい!」

 「そりゃうまいさ。おばあちゃんの畑で採れたんだからね」

 「やっぱり~。自然の味がする~」

 彼女の声が、湯気の立ちのぼる台所を賑やかにした。

 みんなで分担して、食器や料理を居間に運んでいく。

 大皿に並んだ煮物と焼き魚、小鉢に盛られた、ほうれん草のお浸しに冷ややっこ。

 彼女が先ほどつまみ食いをした冷やしトマトにきゅうりのぬか漬け。

 どれも手間がかかった料理だけれど、どれも当たり前みたいな顔をして並んでいる。

 「これは秩父でとれる川魚。ニジマスの塩焼きだよ」

 おばあちゃんは説明しながら、焼きたての魚を器ごと目の前に置いてくれる。

 うっすら焦げ目のついた皮がパリパリに弾けて、山椒がほんのり香った。

 とても美味しそうだ。

 「さ、あったかいうちに食べな」

 「いただきます!」

 三人で仲良く手を合わせた。

 おばあちゃんの料理はどれも絶品で箸が止まらなかった。

 煮物の大根に箸を入れると、じゅわっと出汁がしみ出て、食べてみると思わず目を閉じたくなるほどやさしい味が口の中に広がった。

 「月歌は毎日これを食べてるの?」

 「うん!そうだよ!でも毎日食べても、毎日新鮮で毎日美味しい!」

 「うらやましいな」

 「また来ればいいさ。うちはいつでも大歓迎さ」

 柔和な声でそう言い、僕たちのコップに静かに麦茶を注いでくれた。

 外では沈みきる直前の空が少しだけ赤みを帯びていて、(ひぐらし)が名残惜しげに遠くのほうで鳴いていた。

 ぬるくなった空気の中で、静寂なこの時間がどこか宝物のように感じられた。

 美味しすぎて、僕も月歌も、ご飯を三杯おかわりした。

 おばあちゃんは嫌な顔一つせず、ご飯をよそってくれた。

 夕飯を食べ終え、星空の下、縁側に座って、僕は絵を描いていた。

 もちろん目線の先には月歌がいる。

 星空と私を描いてほしい、と夕飯で膨れたお腹をさすりながらお願いされたのだ。

 僕は了承し、渡されたいつもの画材で描きはじめた。

 下書きを終えて、もうイメージで描ける段階に入ったので、彼女はポージングをやめて隣に座った。

 僕はクレヨンを操り、さっと絵を描きあげて彼女に渡す。

 もう馴染みの光景になっている。

 「うん、やっぱり上手い!思ったんだけど、陽依くんの絵ってゴッホが描く絵に似てない?」

 「そうかな?でも、ゴッホは一番好きな画家だからそういってくれるのお世辞でも嬉しいよ」

 「お世辞じゃないよ!」

 彼女の言葉が星空に溶けていくタイミングでおばあちゃんがスイカを持ってきてくれた。

 「スイカ切ったから。ふたりで分けて食べな」

 「あ、ありがとうございます」

 黒い種がまばらに散った赤い果肉にかぶりつくと、口いっぱいに甘さと水分が広がった。

 「あっ、あれ一番星じゃない?」

 スイカを頬張った彼女が夜空を指さして言った。

 「いや~、あれでしょ」

 各々、それっぽい星を指さす。

 「確かに、星が良く見えるね」

 「でっしょ~!」

 一拍おいて、空を見上げたまんま彼女が言った。

 「陽依くんは、天国とか地獄とかあると思う?」

 「ないんじゃない?」

 「それは、つまり信じてないってこと?」

 「うーん。というより、死んでるのにまだ生きるような感じは厭だな。死んだらずっと眠っていたい」

 「そっか~」

 「月歌は、信じているの?」

 「私は、信じたくないなぁ。天国にも地獄にも行きたくない。私は星になりたい!」

 小学生みたいなことをいう彼女。

 見ると彼女はまっすぐ空を見ていた。

 「なるなら、秩父の星になりたい!ここから見える星になりたい!」

 「星かぁ」

 「こんなふうに静かに真上から愛する秩父の人達を照らすの。ちゃんと見てるよって伝えるように光りたい」

 スイカの種を庭に飛ばしながら月歌は自分の発言に笑った。

 「なれるかな?なれるよね?」

 「なれると思うよ」

 「陽依くんはなりたいものある?」

 なんでもないようにそんな質問をしてきた。

 なりたいもの・・・

 それはあった。

 「画家になりたい」

 わりと真剣なトーンで言ってみる。

 「嬉しかったんだ。海で絵を描いたとき言ってくれたでしょう?画家になれるよって。実は小さい頃からの夢だったんだ。あの時は、すごい嬉しかった」

 笑われると思った。夢追い人はいつだって笑われる。だから今まで黙っていた。誰にも打ち明けられなかった。

 でも本当は誰かに言いたかった。

 僕の心配は杞憂だったようで彼女は瞳を輝かせた。

 その瞳は、夜空の星よりも眩しくて、あたたかさがあった。

 「絶対なれるよ!陽依くんの絵、私ほんと大好きだから。あの紫陽花も島で描いたあのスケッチも。陽依くんの絵には心がある!だから大丈夫!」

 ただの励ましじゃなかった。

 僕は何も言えなかった。だけど、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じていた。

 「私が言うんだから間違いないよ!」

 満点の星空の下、僕らは流れ星をたくさん見た。

 その状況はこの上なくロマンチックだった。

 今後、数十年、いや、もしかしたら一生訪れることのない状況だったかもしれない。

 そして気づく。

 死にたいと思っていた僕が数十年後のことを想う日が来るなんて・・・

 しばらく星を見ていると尿意を催した。

 調子に乗ってスイカを食べすぎたせいか。

 「ちょっとトイレ借りていい?」

 「もちろん!突き当たったところ!」

 僕は腰をあげた。

 「ありがとう」

 廊下に出て、薄暗い中をスマホのライトを頼りに進む。

 トイレのドアにゴリラのアトリエ、という木でできた表札がぶら下がっていた。

 思わず吹き出してしまい、笑いながら中に入った。

 中は確かに、アトリエ風のデザインになっており少しだけ驚いた。

 それと同時に、そのセンスに感心する。

 彼女のセンスなのかおばあちゃんのセンスなのか。

 用を足してトイレから出て戻ろうと廊下を歩いていると前方のドアが開いた。

 おばあちゃんだった。

 近づいてくる。

 「陽依くん。悪いがこれを受け取ってくれるかい?」

 おばあちゃんは声をひそめて、僕に封筒を渡した。

 「これは?」

 「十万円ある」

 「十万?」

 「ああ、これで月歌と旅行に行ってやってほしいんだよ。月歌の病気聞いただろう?」

 「え、ええ」

 「月歌はもう長くない。わかるんだ。わしの娘がそうだったからな。だから連れてってやってほしいんだ。きっと陽依くんとなら月歌も喜ぶと思うんだよ。たのむ。年寄りのわがままだと思って聞いておくれ」

 おばあちゃんはそう言うと、僕の手をとって封筒を握らせた。

 「い、いや」僕は少し後退る。

 「わしももう年じゃ。足腰は悪いしな。それに、肺が悪いんよ」

 「で、でも、僕なんかでいいんでしょうか?」

 「いいに決まってるさ。あの子が友達を連れて来たことなんて一度もないんだよ。相当、信頼されている証拠さ。だからお願いだよ」

 僕は少々驚き、「わ、わかりました。僕なんかで良ければ・・・」といった。

 「ほんとかい。よかった。ありがとう、ありがとう」

 「あーいえいえ」

 深々と頭をさげるおばあちゃんに困惑しつつ、見つからないように封筒をポケットに隠し、怪しまれないように早々と縁側に戻ることにした。

 縁側に戻ると、夜の庭に小さな光の線が走っていた。

 「陽依くん、遅いよ~!早くこっち来て!」

 月歌は振り返って、片手に手持ち花火を掲げていた。

 その先端からは、シュッと細く光が吹き出し、次第に色を変えながら燃えている。

 青。赤。みどり。金色。

 夜の闇にいくつもの色の音が浮かび上がっては消えていく。

 「きれい・・・」

 「でしょ!でしょ!きれいでしょ!」

 僕がしばらく見惚れていると、「ほら、こんなにあるから。選び放題だよ!」と月歌が色とりどりの花火が入った袋を差しだしてきた。

 言われるがまま僕は、袋の中から一つ選び、ろうそくで着火した。

 しゅっと小さな音が鳴って、火が立ちあがる。

 煙の匂いとともに、白くまっすぐに吹き出す光が庭を照らした。

 「これ名前ついてるんだって。ドラゴン花火!めっちゃ強そうじゃない?」

 「なにそれ?じゃ、これはなんて名前?」

 「えーと、たしか『星しぶき』だったかな。なんかロマンチック~!」

 庭のあちこちに小さな爆ぜる音が生まれ、空気が光と音で満たされていく。

 ぱちぱちと花火は弾け、僕らの笑い声が夜の静けさを心地よく破っていた。

 月歌は魔法使いのように花火を振って遊んでいる。

 ひとしきり遊んで、手持ちの花火が残り少なくなった。

 いつの間にか、おばあちゃんも腰をおろして、僕らを笑顔で見ていた。

 「よし!最後!線香花火しよう!勝負ね!勝った人は最後のスイカを食べられる!おばあちゃんも強制参加ね」

 「はいはい」

 月歌がそれぞれに線香花火を配った。

 「よーし」

 ろうそくの前に三人で集まり、同時に火をつけた。

 先端が火に溶けて、やがて火玉になった。

 喉を刺激するような匂いが漂って、三人の線香花火が等間隔に闇の中で揺れた。

 その火は小さな命そのものだった。

 美しくて、あたたかくて、どこか儚い。

 「私、この匂いが好き」

 月歌が告白した。

 「なんか、夏が詰まっている気がしてさ」その言葉は線香花火の火花に反芻しているようだった。

 「なんかわかる」

 「でっしょ~。てか、陽依くん揺らさないでよ!」

 「揺らしてないよ」

 その言葉が夜風に溶けていった瞬間、ぽとりと火玉が落ちる音が重なった。

 「あ」

 三人の声も重なる。

 「同時?」

 僕は笑いながら言った。

 「ほんとだね!じゃあさ、みんなで食べよ!」

 そう言って笑った月歌の声が、まるで花火の火玉みたいに僕の中で揺れる。

 君は本当に消えてしまうのか?

 そんな疑問も火種のように僕の中で散ってすぐに心の奥に落ちていった。

 スイカを三等分して三人仲良く並んで縁側に腰掛けた。

 蚊取り線香の煙が漂って空にのぼっていく。まるでそれは何かの生物のようで生きているみたいだった。

 月歌もいつかこんなふうに煙になって消えてしまうのだろうか。

 また、僕の中に火種ができる。

 彼女が自由に見えたのは家庭環境もおおきいのかもしれない。

 散って。

 あと何回彼女に付き合えるのだろうか。

 また火花が散る。

 急にいろいろなことを不安に思った。

 やがて、心の奥に落ちた。

 鼻の奥では、まだ線香花火の匂いが微かに残っていた。

 月歌の光がより強くっていることに関しては誰も触れなかった。

 まるで蚊取り線香の匂いに誰も言及しないような感じで。

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