初日を終えて(2)
「ふいー」
宿の大浴場から上がった俺は、宿泊する部屋の前まで戻ってきていた。
幸いシトラが泊まっていた宿はヴァイン達とは別の宿で、安心して風呂に浸かることができた。
悪評が広まっているのと、そんな中美少女二人とパーティーを組んだこともあってか周りの冒険者から嫌悪の視線を向けられたが、俺にとってはヴァイン達の顔を見るより気まずくはない。
鍵で部屋を開けると、靴を脱いでスリッパに履き替える。
一本しかない鍵は女子の方が風呂は長いだろうということで俺が持っていたのだが、やはりその通りなので先に一人、ソファに腰をかけて一息つく。
ベッドは二つなので女性二人に譲りたいところだが、おそらくエルゥが許さないだろう。
バリスさんに釘を刺されてはいるが、本人が抱き枕にするのだと言っているのだから仕方あるまい。
「…………」
静寂の中、妙な緊張に鼓動が高まる。
歳の差を鑑みれば5歳程度しか離れていない。
俺が二十歳なのに対してエルゥが一四、五程度だろう。
ただ、あの幼児体型だ。変な感情を抱くはずがない。
中身も相まって妹……いや、娘ほどの子を相手にしているような感覚である。もう一度言う、変な感情を抱くはずがない。
「!」
時が過ぎ、部屋の扉が開くと同時に跳ね上がった俺はそちらを見やる。
アンやクレアは──一五年ほどの付き合いがあったろうか。
彼女達に対してこれほど緊張したことは未だかつて無かった。
この緊張は、四人で共に過ごした時間が長すぎたあまりの弊害なのかもしれない。
心の中でそんな言い訳をしつつ、歩いてくる二人から視線を逸らすように俯く。
ソファの前に置かれてあるガラスのテーブル。それに反射して映っている自分の顔は、苦く歪んでいるように見えた。
「よいしょ」
待たせた、と言いつつエルゥが俺の隣に座る。
甘い匂いが鼻腔をくすぐる。湯上りの熱気にも当てられ、やはり妙な雰囲気に陥る。
「なに?」
エルゥをじっと見つめる俺は安堵の息を漏らすと、怪訝そうな顔で返される。
大丈夫。可愛いが、冷静になって見ればそれはマスコット的な可愛さだ。
俺は「なにも」と誤魔化すと、エルゥは「そ」と興味を失い、言及してくることはなかった。
「ふぁ」
大きく口を開けて欠伸をしたエルゥは、気怠そうに腰を上げる。
どこかふらふらとした足でベッドまで歩くと、倒れるようにベッドに雪崩れ込んだ。
「ラース」
エルゥはうつ伏せのまま手を二回叩き、来いとばかりに俺を呼びつける。
お嬢様か、とツッコミを入れたくなる衝動を抑えて歩み寄る。
するとエルゥは「ここ」と自分の腰をとんとんと叩くジェスチャーをした。
つまるところそれは、マッサージをしろと。そういうことだろう。
「よいしょっと──」
初めての冒険で疲れたのだろう。わがままぐらい多めに見てやってもいいかもしれない。
そう思ってベッドに乗り上げると、両膝をついてお嬢様の腰を揉み始めた。
「ラース、〈剛力〉のレベルはいくつ?」
唐突な質問だと思いながらも、俺は記憶を辿る。
最後にテザリーンに会ったのは一年ほど遡る。
なのでギフトのレベルが上がっていたり、もしかすると新しい物を覚えたりしているかもしれない。
「一年前に測ったので6だったかな」
「6!?」
大きな声を出したのは隣のベッドに腰掛けているシトラだった。
俺自身他人のギフトのレベルを気にかけたことがないし、六というレベルがどういった立ち位置にあるのかを知らないが、最前線で頑張っている冒険者であればこのぐらいなのではないだろうか。
「ワーウルフに真っ向から打ち勝ったのも、そのおかげ?」
シトラの驚きをよそに、エルゥは矢継ぎ早に質問をぶつけてくる。
日頃受付嬢をしていたエルゥのことだ。冒険者のギフトのレベルの相場は知っているだろうし、これが(おそらく)周りと変わらないレベルだということを知っているのだろう。
そして、〈剛力LV6〉ではあの屈強なワーウルフに力勝ちするに至らないことも。
「いや……」
否定をするが、続く言葉に詰まる。
俺には何か隠し事がある、それにエルゥも薄々勘付いているのだろう。
話すべきだろうか、と逡巡。
「嫌なら話さなくてもいい」
エルゥは俺の心情を察したのか、付け加える。
歳下に気を遣わせてしまったという事実に、少し罪悪感が生まれる。
……まぁ、どの道いずれは話すべきことなのだろう。
「や、話すよ。ただ、アレは俺もよく分かっていないんだ。
俺が持っている〈バーサーク〉というスキルを発動した時のようだった」
「〈バーサーク〉? 初めて聞くスキル」
〈バーサーク〉については色々な冒険者を見てきたであろうエルゥも知らないらしい。
シトラにも確認の視線を送るが、自分も知らないという表情だ。
──王都に住んでいた時に親父に今の時代は学が無いと、としつこく言われて勉強ばかりさせられていた。
ふと息抜きにギフト関連の文献を眺めていると、〈バーサーク〉のスキルについての項目があった。
なので過去に存在したのは間違いないのだが、サンプルはとても少なく概要に関しても大したことは書いていない。
なんなら暴走するだけで使い物にならないゴミスキルぐらいの書かれ方をしている有様なのだ。
「己の体を暴走させ、一時的に強大な力を手に入れる。その代償として自我を失い、一定時間のあいだ暴れ回るっていう厄介なスキルだ」
「ふうん、それで前のパーティーを抜けさせられたの?」
気を遣ったかと思いきや、聞き辛そうなことをずけずけと尋ねてくるエルゥに、俺は苦笑する。
肯定すると「そう」と一言。興味があるのかないのか。
何を考えているのかイマイチ分からない奴だ。
「なんにせよ、制御できるようになれば問題ない」
エルゥは簡単に言ってみせるが、実際問題楽に片付くことじゃない。
「……あぁ、必ず制御してみせる」
ただ、それでも救われた気がした。
長年の友情を潰す決定的な原因となり、半ばトラウマとなりかけていたそれを肯定してくれるのは俺としては非常に有り難かった。
制御できたからといって仲間に剣を振るった罪が消えるわけじゃないが、抱えていたものが少し軽くなったようだ。
「というか、〈剛力LV6〉って何? なんか不正でもやらないとそれほど高くならないと思うんだけど」
かなり遅くなったツッコミが入り、今更かよと思いつつ「不正なわけないだろう」と否定する。
どうやら6というレベルは他の冒険者と比べても高いらしい。
ひたむきに頑張った結果だが、バケモノ扱いされているようで虚しさを覚えたこの夜である。
「さ、そろそろ終わりだ終わり。もういいだろ?」
「ん」
頃合いかと思い腰を上げるが、エルゥは今度は足だとジェスチャーで無言のアピールをしてくる。
──まさか、今後冒険に出るたびにこんな重労働をさせられないだろうな。
大事に大事に育てられたんだろうな、とわがままお嬢ちゃまが寝転がる姿を眺めつつ、俺はマッサージを再開する。
お先に失礼します、と横になったシトラを傍目に……深い溜息を吐き出した。