足踏みという言葉
「…………」
小鳥のさえずる音が微かに耳に届き、目を覚ます。
起床は俺が一番早いようで、エルゥもシトラも寝息を立てて熟睡している。
壁にかかった時計に目をやると、時刻は六時と半分を回った頃合い。
冒険者の朝は早い。皆がこの時間からギルドに赴いて依頼を受けたりダンジョンに潜ったりするので、一般人に比べれば早いが冒険者としては平均的なぐらいだ。
それでも駆け出し冒険者の二人はまだ体が出来上がっていないのかぐっすりだ。
「よっ……と」
俺の背中に手を回して眠るエルゥを、起こさないようにとゆっくりと剥がす。
エルゥは俺を抱き枕にしていたつもりなのだろうが、胸の中にすっぽりと収まっている姿はむしろ逆だった。
音を立てないようにベッドを降りると、ひとつ伸びをして洗面所まで歩を進める。
先輩冒険者として教育を心がけるなら起こすのが正解なのだろうが、パーティーを組む際にエルゥが口にしていた新人教育が云々というのは、ぶっちゃけ俺をパーティーに入れるための方便だろう。
なので、先輩ぶる必要はない。マイペースな彼女達に合わせて行動するのが俺としても楽だ。
前のパーティーからずっとクセの強い奴等に合わせて来たし、慣れている。
「おはよう」
「おはようございます」
洗顔し、歯を磨いて戻るとシトラが起床していた。
カーテンを全開にし、朝日を迎え入れる。陽光に照らされた美麗エルフの肢体は見入るものがあった。
「さ、今日も今日とてダンジョンですわ。起きなさい、エルゥ」
シトラは俺の代わりに枕を抱いて寝ているエルゥを揺する。
「んー!」と拒否するように寝返りを打ち、逃げ回るエルゥ。
どうしましょうと救いを求めるような目線を向けられ、俺は肩を竦めた。
「こうなったら、この手しかありませんわね」
シトラは何か名案を思いついたのか、悪い表情でベッドに乗り上げるとエルゥの背後から被さるように引っ付く。
エルフの白く細い綺麗な手がエルゥの腹部に伸び、這うように衣服の中へ。
手が衣服の中を昇ってゆき、胸部に達したところで俺は見ないようにと体を翻した。
「んっ…………!」
後方から漏れる吐息と、嬌声。何が起こっているのか見ずとも分かるようなBGMを背に、俺は冒険に出るための着替えを始めた。
シトラにそっちの気があるのかどうかは知らないが、エルゥの声が止まぬこと五分ほどが経過する。
着替えも終え、声が止んだタイミングを見計らって振り返るとそこには息を切らしぐったりしたエルゥと、どこかスッキリしたような表情のシトラ。
冒険に出かける前から疲れて一体どうするのだろうか。
そんなことを考えながら眺めていると、ベッドを降りてきたシトラが満面の笑みを溢した。
「さ、準備しますわよ!」
◇
宿を出て向かう先はギルド。
当面の資金は心配ないので依頼を確認する必要はないのだが、エルゥとしては行かなければ落ち着かないらしい。
まぁ、魔物の動きに関する情報なども入ってくるので行って損はない。
行動が活発になっている魔物は予想外の行動をしたりするし、冒険者としてはリスク回避でそれらの巣や群れを避けるのは当然のことだ。
稀に戦闘狂の冒険者があえて突っ込んでいくスタイルを取っているが、正直賢いとは言えない。
パーティーの切り込み役として大剣を手に突撃していた俺もそのグループに該当するだろうと言われると、その通りなのだが。
「お腹減った」
お腹を抑えて言ったのはエルゥ。宿には素泊まりという形なので食事は出ない。出る場所もあるが、ここは時刻は少し遅く七時とかに作り出すらしい。
なので冒険者の朝食は朝早くからやっている露店やギルド。
冒険者家業が盛んな街では飲食店も早くから空いていたりする。この街も例外に漏れないが、エルゥは食べ慣れたギルドの食事が良いらしく、我慢するとのこと。
宿を出て数分歩き、馴染みのギルド〈EL〉に着く。
中を覗くと冒険者達で溢れていて、空席を探すにも一苦労。
──居ないか。
キョロキョロと見回す二人と同じように、俺もギルド内に視線を走らせる。
ただ、その目的は空席というよりは前パーティーである。
その姿が無いのを確認すると、心の中でホッとした自分が居た。
顔を合わせるのは気まずいことこの上ないし、昨日新しく二人のメンバーを加入させたと耳にしたから。
なんとなく、自分が並んでいない光景を見たくない気持ちもあった。
「ラース!!」
冒険者達の喧騒の中、それでも聞こえる野太い声。
ギルドの奥、カウンターの向こうに居るバリス・グランダーソンの声が響き渡り、俺達三人は苦笑いを浮かべる。
何故彼が受付に居るのかは知らないが、どうやら呼ばれているらしく手招きされている。
面倒事だと察したのか俺のみが呼ばれていると思ったのか、エルゥは「行ってら」と雑に追いやると、空席に向かった。
「着いていきましょうか?」
「や、いいよ」
俺の苦笑いを見て気遣ってくれたのだろうか、シトラが声をかけてくれるが、遠慮する。
フォローの手があるのは有り難いが、俺個人に対する話があるかもしれないし、一人で向かうことにしよう。
「エルゥに手を出してないだろうな?」
バリスさんの前まで歩くと、やや食い気味に確認を取られる。
出している筈もないし、そもそも何かしようものならエルゥの馬鹿力で殴り飛ばされること間違いなしだ。
「それは勿論です。しかし、何故ギルドマスターが受付に? 記憶では昨晩には既にエルゥの代わりの人が来ていた気がしますけど」
「あの娘は昼からの契約だよ。だから当面の間早朝から昼までは俺がここに座ってる。
その間俺の職務はエレシアに任せてな」
何故配役を逆にしなかったのか。受付に座る筋骨隆々としたオヤジを眺めつつそんな感想を抱いた。
エレシアさんは彼の妻だが、エルゥをまんま大人にしたような人だ。一番の違いは表情が柔らかく、いつもニコニコしていることだろうか。
何度か受付に座っているのを見たことがあるし、どうせなら目の保養になる人をというか、なんというか。
「今、エレシアの方が良いと思ったか?」
あまりにも心を見透かしたかのような指摘。その察しの良さに内心ビクつく。
「いえ、バリスさんの仕事の出来は国でもトップクラスですから。受付に居てくれるととても安心しますよ」
「ガッハッハ! 相変わらずうめぇこと言ってくれるが、エルゥはやらんぞ!」
機嫌を良くしてくれたが、娘のことは相変わらず頑なである。
べつにくれとは一言も言っていないのだが、突飛的な思考の人である。
「……んなことはともかくとして、ラース。昨日、随分と質の良い〈魔核〉を持ってきたみたいじゃねえか。深くまで潜ったのか?」
話題を変え、真剣な顔付きと声色になったバリスさんを見てこれが本題なのだろうと察する。
「いえ、実は〈イレギュラー・シフト〉もあって一階で強いワーウルフに出くわしたんです。エルゥ達には戦わせずに俺だけで相手をして、それであの良質な〈魔核〉が取れた格好ですね」
話を聞くと、「そうか」と納得したように頷くバリスさん。
ただ、険しい顔付きはそのままで。
「これは俺のワガママにも近い頼みなんだがよ、エルゥ達にはゆっくりと経験を積ませてやって欲しいんだ。アイツはお前のことを急かすだろうがな」
「……自信はありませんけど、出来るだけ頑張ってはみます」
「頼んだぜ。周りはあーだこーだ言ってるが、俺はあのクセの強いパーティーを纏めてきたお前のことを買ってるからよ」
ぐっ、と親指を立てるバリスさんに俺は力強く首を縦に振った。
信頼してくれているのはありがたかったが、正直な話、自信は無かった。
エルゥの我の強さというか、SSランクに対する執念じみたものは計り知れない何かがある。
バリスさんもそれを知っているのだろう、親としてというよりは先輩冒険者としての心配にも見える。
向こう水な冒険者達が命を落とすのは、俺だって何度も見てきた。
だから昨日だって二階までしか潜らなかったが……どうやって丸め込むか。
頭を抱えつつ二人のもとに戻ると、悩みの根源であるエルゥがやや訝しむような目を向けてくる。
「長かった」
「あぁ、色々と報告もあってな」
エルゥの質問にも似た呟きに曖昧な言葉で返すが、
「何を吹き込まれたの?」
やはり怪しんでいる……というか確信めいたものがあるのかそんな尋ね方をしてくる。
俺は数パターンの誤魔化し方を考えつつ、腰を下ろす。
「組み立てのパーティーにありがちな話だよ。あんまり急くなよっていう、お決まりのやつだ」
これは実際にギルドが初心者に注意するマニュアルの一つだし、バリスさんに言われたことを考えると嘘にはならない。
受付嬢をやっていたエルゥからしてみれば何度も口にしたことだろう。
それに倣わず死んでいった冒険者達の実例も知っているはずだし、本来であれば理解している内容の筈なのだが。
……筈なのだが、何故か溜息を吐き出すと小馬鹿にしたような態度を取る。
「あぁ、“一般人”の常識ね」
まるで自分は違うぞ、と匂わせるような発言だ。
「ラース、冒険者として成り上がる道が険しいことなんて私も知っている。
心技体、加えて時には運だって必要。付け上がることは“心”の面に欠損を及ぼす」
ネックの部分は理解しているらしく、反論の余地がない。
「でも、SSランクに到達するにはその驕りにも似た“欲”が必要。私達を押し上げ、時には身を滅ぼす諸刃の剣が。
今やバケモノのような領域に到達したラースの原動力も、本質は欲。違う?」
エルゥに問われ、言葉に詰まる。
あの時の状態を〈バーサーク〉に近いものに陥ったのだと俺は言った。
〈バーサーク〉の効果は暴走。“破壊衝動”の爆発と共に力を得ている感覚だ。
力を得ることで破壊衝動に支配されるのか、破壊衝動に支配されることで身体能力を引き出すのか。
はたまた因果関係は存在しないのか、確たるものがない以上断言はできないが、当事者からしてみれば俺の破壊衝動、または戦闘に対する意欲と共に力が引き出されている気がする。
欲が力の源、という推察は概ね間違っていない。
さらりとバケモノというカテゴリに入れられたことは心外だったが、ワーウルフを倒したあの力を考えればその呼び方も妥当だろう。
ただ、力を得る方法は皆別々だ。それに、そもそもバケモノと呼ばれる領域に踏み込んだとして。
そこにあるものが決して、心を満たすものだとは限らない。
「何であれ、私はSSランクまで足踏みするつもりはない」
固いエルゥの意思に、俺は肩をすくめた




