恐怖(4)
「ここは……」
六階に上がると、一つの部屋に出る。
周りは壁。人工的に取り付けられたような明かりがまちまちと天井からぶら下がっている。
ボス部屋の入り口らしきものは無く、閉鎖された空間のど真ん中にぽつんと、一つ。
“鏡”が置いてあった。
「……」
鏡の他には何も置いておらず、これが唯一この先を示すものだろうと歩み寄る。
『よく来たな、戦士よ』
鏡の前に立つと、声が聞こえてくる。
声の主は他の何者でもない、この鏡だ。どこから音声を発しているのか、というのは〈リッチキング〉の時も思ったが今更突っ込むアレでもない。
しかし、不思議な鏡だ。喋る上に、俺の姿を映していない。
背景の暗い洞窟のような景色は映しているが、俺の姿がそこにはない。どのような構造になっているのか。
「お前がダンジョンの主か?」
『そうであって、そうではない』
「?」
『今から私は君が最も恐怖する存在に姿を映し変える。そいつを倒せば試練はクリア、といったところだ』
鏡の話を聞いて〈リッチキング〉の言っていた“本当の恐怖”という単語を理解する。
俺が今最も恐怖するもの。人であれば母さんか、いやシトラも案外怖いが……妥当なところでレナか?
となれば前哨戦には丁度いい。遠慮もなく攻撃できるし、これ以上の相手は居ないだろう。
「うっ…………」
鏡は黒い煙を噴き出すと、視界を遮る。
前が見えない俺は〈気配察知〉を発動させると、前方に何かの気配が引っかかる。
それは俺が今までに感じたことのない気配だった。
俺が最も恐怖する、というならば少なくとも一回は対峙したことがあるはずだ。
だが、この気配は覚えがない。一体正体は……。
「驚いたな」
煙が晴れつつある中、目の前から男性の声が聞こえてくる。
同年代の男の声だ。背丈も、立ち姿も俺と同じぐらいだろうか。
いや、同じぐらいというかこれは。
「お前が一番恐怖する存在が、俺だとはな」
キリッとした金髪の男。いつもの軽い鎧を身にまとい、皮の手袋をベストフィットさせようと位置を調整する仕草は何度も見る。
口元はやや綻んでおり、どこか憎たらしい姿は……俺自身だった。
「俺の一番怖いものが、俺? しっくりこないな」
正直、戸惑っていた。まさか俺自身と戦うことになるとは思っていなかったし、俺が俺にとっての恐怖の象徴だとか言われてもな。
「そうか? 明確なものとして、〈バーサーク〉があるだろ。全てをぶち壊すその狂気はお前にとって一番嫌悪し、畏怖する対象だろう?
力というものに疑問を持つお前にとっては難儀な習性だよ。
その力でSSランクの冒険者になって何になる? ずっと戦い続ける人生を歩むのか? それとも、辞めて静かに暮らすか?
少なくとも、平穏な生活を求めることはできないだろうな。
お前が冒険者になった理由の半分はその“狂気”が戦いを求めたからだ。年老いたからそれが衰えるだなんて、父親を見ていれば可能性が薄いことは分かってるだろう」
俺の顔で、俺の声で。俺の考えで、俺の仕草で話す姿に苛立ちつつも、反論も出てこず押し黙る。
「冒険者になったもう半分の理由も、お前にとってある種恐怖の対象だ。
レナと歩む道があると考えつつも、選ばない。いや、選べない。
責任を取る覚悟のない“弱さ”だよ。トラウマ? 束縛? そんなの関係ない、お前は自分が責任を抱える立場になりたくない弱さから自由な冒険者に逃げたんだ」
俺にしては随分と口数が多いが、言っていることは的を得ている……のかもしれない。
説教など聞きたくないが、自分の言葉は身に染みるものがある。
とはいえ理解しているはずの事実を突きつけられるとムッとなり、今にでも斬りかかりたいがそれをやってしまっては敗北感に苛まれることだろう。
「お前が最も怖いのは、弱さだよ。優柔不断で逃げ癖のある自分が嫌いだ。
自分が負けることによってパーティー内で居場所が無くなるのも怖いし、自分が弱くてパーティーの歩みが止まるのも怖い。
だから、突き進むしかない。戦いが弱さを誤魔化してくれるし、弱さを忘れさせてくれる。
“狂気”だって取り繕うための、自己防衛に過ぎない。
だから、お前にとって最大の恐怖は己の弱さだ」
「…………」
偽ラースの言葉に、無言で剣を構える。
俺の弱さを突きつけられようが、やることは変わらない。
「弱かろうが怖かろうが、ここで負けていい理由にはならないんでね。倒させてもらう」
俺が弱いことも、それを怖いこともこのダンジョンを攻略する上で関係ない。
コイツをぶっ倒し、帰る。それだけだ。
切先を向けると、偽ラースは笑う。
「倒せるかな、そのお前で」
偽ラースの口の端が裂けそうなほどに吊り上がる。
その狂気的な笑みに、雰囲気に体が震える。
武者震いだろう、そう言い聞かせ……〈バーサーク〉状態にある偽ラースに向けて一歩、踏み出した。
「ぐうっ……」
「ほら、足りない」
距離を詰めた瞬間、矢の如く一直線に飛んできた偽ラースの拳を受け、のけ反る。
タイミングも悪いわけではなく、魔法剣で受けたというのに一方的にかち上げられた形。
パワーの差は歴然だが、スピードは大きく劣っていない。
なら、戦い様はある。
すぐに体勢を整えると、飛んでくる偽ラースの打撃の嵐を剣によって捌き始める。
押されてはいるが、上手く距離を取り、受け流すことができている。
唯一、武器という利点がある。それも本業である剣だ、勝てる筋合いがないわけじゃない。
「どうしたァ!? お前も同じように狂気に身をやつした方がいいんじゃねえのか!?」
「生憎、まだ必要ない」
防戦一方な俺に対して煽り倒してくる偽ラースだが、俺の狂気は目覚めていない。
必要ないと判断しているのか、自分を相手にしている為に脳が寝ぼけているのか、それは分からないが……ある程度気持ちが乗らないと使用することができない。
なので、必要ないと強がってみたが今はそもそも使える状況にないのだ。
「なら、無理矢理にでも引き出してやる」
偽ラースのギアが一段上がる。
単調なラッシュではあるが、徐々に対応が後手後手になってしまう。
あの氷の巨人と同じだ。身体能力が高ければシンプルに戦うだけで勝てる。
しかも、氷の巨人は魔法を使うがコイツに至っては力押し以外の術を持たない。
〈バーサーク〉を発動している時は破壊という衝動が先行し、他の事を考える余裕がなくなる。
戦いにおいてそれはやや欠点で、駆け引きという概念すら忘れてしまうのだ。
目の前の偽ラースもそうで、フェイントやパターンを変えるといったやり口は見受けられない。
──だが、“駆け引きを捨てる”というのも戦いにおいては厄介な武器になり得る。
「あーあ」
偽ラースの残念そうな表情、声。
「素の俺の身体じゃあ、受からない」
とうとう対応が追いつかなくなった俺の腹部に、突き刺さるような一撃。
脳髄まで衝撃が走る、強烈な拳。ミシ、という嫌な音を立て、俺の体が持ち上がる。
足が床から離れ、浮遊感に包まれたと思ったその瞬間には壁に叩きつけられ、血反吐を吐いていた。
意識が薄れる中、視界には追撃に駆けてくる偽ラースの姿。
衝撃で剣は手から離れ、体もすぐには動かない。
痛みには慣れている……つもりだった。だが、今まで受けたことのない痛みに体が混乱し、動かない。
早く動かないと、脳はそう警告しているが──。
「頑丈なのは取り柄だな。お陰で、生き地獄だろうが」
助走の勢いそのままに顔を殴打され、一瞬意識を手放してしまう。
壁で後頭部を打ち、生暖かいものが首筋に流れる。見てはいないが血だろう。
危機的状況に、頭だけは妙に冷静。今まで踏んできた場数のおかげかもしれないが、そのせいで偽ラースの言う通り生き地獄だ。
拳を振り上げる相手の姿が見え……敗北を理解できるのだから。




