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怨念の異形神  作者: 神月裕二
終章
73/74

2

 

 オオオオオ~~~ン!


 瞬間、もの凄い怨嗟の波動が大気を振るわせる。

 そして、生のエネルギーは放たれた。

 あまりにも膨大なエネルギー量のため、その白光のうねりは、通常の人間の眼にも見て取ることが出来た。

 エネルギーの塊は文字通り怒濤と化して、地上に醜く貼り付いた妖魔に雪崩れ落ちる。

「――!?」

 その瞬間、数日前の再現が、この会津で行われた。

 規模とエネルギーの属性、ベクトルこそ違えど、夜の闇が振り払われ、闇が光の下にさらけ出された瞬間であった。

 光の爆発。

 怨念の異形神は、光のエネルギーの中に呑み込まれ、瞬時に影と化して消滅していった。

 光は拡大を続け、わずか数秒のうちに、会津盆地は光の爆発の中に全き消滅を遂げていった。とはいえ、すでに文明は〝ロゲス〟によって破壊し尽くされており、消滅したのは〝ロゲス〟のみであったが。

 獅天たちは眼をかばい、光の中にいた。

 その光――そのエネルギーの素晴らしさを全身に受け、身震いしていた。

 これが、この地球(ほし)の力か――

 これが、この地球の愛なのか――

 光も闇もなく、善も悪もない。全てを公平にし得る力。

 必要なのは、愛そのものなのだ。

 獅天たちは、地球(はは)の愛に包まれて、このとき涙していた。

 光がゆっくりとおさまり始めた。

 空中に光の粒子――生命エネルギーの残滓を散らしつつ終息した。

 眼を開けた亜樹は、眼前に広がる光景に愕然となる。

「――!?」

 空虚のみがあった。

 光のなくなった闇色の世界の中、眼前に、全き無の荒野が広がっていた。

 何もなかった。

 何も残っていなかった。

 住みなれた街。よく友だちと買い物に行った商店街。小学校、中学校、図書館…。

 自然に涙があふれてきた。

 獅天たちのそれとは異なる想いの涙。

 街は、完全な更地と化していたのである。

 そして――

「あれは!?」

 亜樹が声を上げた。

 圭一が頷く気配が感じられる。

 すでに、それを見つけていたらしい。

 百メートル以上向こうに何かが立っている。

 闇の中で眼を凝らすと、それを見ることが出来る。

 不気味なまでに節くれ立ち、ねじくれた触手が何本も絡まり、奇怪な樹木のように天に向かってそびえ立ち、何かを抱くようにして立っている。

 見るほどに、気味が悪くなる形と色をしていた。もし、人の歪んだ精神――怨念や悪想念にまみれた汚い心を具象化したら、こうなるのではないか。そう思わせるほど、それは不気味な造形であった。

 怨念の異形神の本体だ。

 これを封じることが出来なければ、再びこの地上に充満する悪想念を吸収し、奴は復活を遂げる。そして、そこにいるのが――

「――裕介くん、なの?」

「ああ。そうだ」

 確かに、樹木が抱く半透明の昏い色をした球体の中に、人影が見える。その人影は、全裸で、赤子のように膝を抱えて眠っていた。

「――さぁ、君の出番だ。気をつけてね、悪想念は消えたわけじゃない。悪想念は、まだ日本上空に渦を巻いて存在している。今は一時的にその〝通廊〟がふさがっているから、彼の精神内に流れ込むことは中断しているけど、いつ怨念の異形神が復活して、それらを吸収するかわからない。それまでに、彼を救うんだ」

「…はい…」

 亜樹はゴクリと喉を鳴らすと、ゆっくりとその樹木に向かって歩き出した。

 光も闇もない、一種奇怪な世界――

 無間(むげん)地獄。

 空気も動かず、どんよりと滞っている。

 亜樹は、辺りを漂う無数の死霊の気配を感じ取っていた。

 近づくにつれ、その球が不気味な色の液体で満たされているのがわかる。その中で、膝を抱えて眠る裕介の表情が、険しいものであることなどが見えてきた。

 凄まじい怨念の抱いたまま、今なお裕介は眠っているのだ。いや、眠っているのは、彼の内側に巣喰う怨念の異形神なのかも知れない。そして、奴は、復活の時を凝っと待っているのだ。

 早くしなければ。

 早く、完全に〝通廊〟を塞いで、妖魔そのものを消滅させなければ――

「ゆ、裕介…くん…?」

 亜樹は、樹木の根本に到達すると、おそるおそる裕介に声をかけた。

 裕介を包む昏い色をした球体――その中の液体が、少女の声に反応したのか、ゴボッと大きな気泡を立てた。

 が、液体の中にたゆとう裕介に、何ら変化は起きていない。

「裕介くん…眼を覚まして…。こんなこと、やっちゃいけないよ」

 亜樹は、少し涙声で言った。

 裕介の、あまりにも怨念に満ちた険しい寝顔を見ているうちに、その悲しみが伝わってきたのだ。

 悲しみ――

 人間は、これほどまでに人に怨念を抱けるというのか。

 人間とは、何処まで悲しく、淋しい存在なのか。

「お願い…起きて。――私たちの所へ戻ってきて…」

 もはや、この地を埋め尽くすのは悲しみのみであった。

 涙は留まることなく、あふれ出てくる。

〝今サラ、戻レハ、シナイ〟

 ふと声が聞こえてきた。

「裕介くん!?」

 悲しみの世界――その虚空に谺した声に、亜樹は声を張り上げていた。

 そしてその声は、離れた地点にいる圭一たちの耳にも届いていた。

 この不毛な世界が裕介の精神世界なのか、その声は、世界そのものが発しているかのようであった。

「裕介くんでしょ!? どういうこと!?」

〝ボクハ…コンナニモ人ヲ殺シタンダ…。今サラ…戻レルワケガナイ〟

 その声は、完全に人間性を失っていて、無機質な機械の音のようであった。

 が、それでも、その話し方から、その声の主が裕介であるのは明白である。

〝僕ハ、コレホドマデニ、コノ街ガ憎カッタンダ…〟

 声は独白を続ける。それを、圭一たちも黙したまま聞いていた。

〝ダカラ、全テヲ滅ボシタ…〟

「そうよ。全て無くなったわ。あなたが憎んでいた人たちもね。もう終わったのよ。――だから、戻って来て」

〝戻ッテ、ドウナルトイウノカ〟

「え――?」

〝戻ッテ、僕ヲドウスルツモリナンダ〟

「な、何もしないわ! 私はあなたを迎えに来たのよ!」

〝ムカエニ?〟

「そうよ。――迎えに来たのよ、あなたを。だから、ね、帰ろうよ」

 亜樹の優しい波動が裕介の凍りついた心に通じ始めたのか、少しの間、裕介からの(パルス)はなかった。

 動揺しているな。

 それは、空中で光の球に包まれたまま、ことの成り行きを見守っている獅天たちにも感じられた。

 全てを破壊し尽くした本人を責めることなく、迎えに来たのだという少女がいる。

 あり得ない。

 そんな筈がない。

〝…ヤハリ…駄目だ〟

「どうして?」

〝まだ、終ワってなイからさ〟

「終わっていない?」

〝僕の心に奴がいる限り、僕は…〟

 亜樹だけでなく、その声の独白を聞く者は皆、裕介の声が徐々に人間らしさを取り戻しつつあることに気づいていた。

 亜樹の心の底からの言霊は、裕介の精神の扉を開きつつあった。

「私が、取り除いてあげるわ」

 亜樹が言った。

〝どうやって取り除くんだ? こいつは僕の心に複雑に絡みついて、全然取れやしない〟

「――簡単よ。あなたの心のしがらみをね、全て私に話して」

〝――!?〟

「話すことが大切なのよ。悲しかったこと、つらかったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと…何でもいいの。何でもいいから、全部、私に話して」

〝……〟

「何でも、自分一人の心の中にしまっておくのはいけないわ。話したら楽になれるのよ」

〝けれど、罪は消えはしない〟

 少年の心は、しかし、未だ頑なであった。

「あなたが悪いわけじゃないわ」

〝しかし、事実は事実ダ。変エヨウガナイ〟

「どうして!?」

「――!?」

「どうして、あなたは、そんなにもすぐに心を閉ざしてしまうの? そんなことじゃ、何も出来ないでしょ?」

〝ソンナ…悲シソウな声を出さないでくれ〟

「いい、裕介くん、よく聞いて。誰も、あなたの罪が消えるなんて言っていないわ。――あなたは、罪を背負って生きるのよ」

〝生きていたくはない……。罪の意識の重さに、()し潰されるだけだ〟

「いいえ。生きなければ駄目」

〝何故だ?〟

「それが、あなたの宿命なのよ」

 亜樹は、自分でも驚いていた。

 あれほど、ドキドキしていたのに、言葉が今や湧き出すように口をついて出てくる。

 自分の意思で話をしているというよりも、何かもっともっと大きな「流れ」のようなもの――その意思の力を借りて喋っているようだった。

「悪魔の計略にはまって死んでいった人たちの魂、業、その全てを背負って生きていくのよ」

〝何故だ〟

 少年は繰り返し、そう言った。

「あなたが、自分でそう言ったのよ。殺したのは自分だって。それなら、死んでいった――いえ、殺された人々の想いを受けとめ、魂を浄め、天へ導くのも、あなたの仕事じゃない?」

〝…………〟

「今、あなたが死んだら、この空間に漂う無数の魂を、誰が天に召すというの?」

〝だから、生きろと言うのか?〟

「そうよ。生きるのよ。死んでいった人々の分まで精一杯生きるのよ」

〝この、決して一人では背負い切れぬ魂と業を背追ってか〟

「――そのために、私がいるのよ」

〝なに――!?〟

 少年は、少女の言ったことが理解出来なかったようだ。

人間(ひと)は、決して独りでは生きていけないわ。だから、私がいるのよ。あなたと一緒に、魂と業を背負うために」

〝――亜樹〟

「はい、あなた」

〝お前は、いったい…〟

「あなたの、妻よ」


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