3
その言葉を、亜樹はごく自然に告げることが出来た。
その瞬間、歓喜の声が辺りに満ちて、触手の塔を光が包み込んだ!
一瞬のこと過ぎて判然としなかったが、光は確かに、裕介の心の深奥から迸っていた!
天が喜びに満ちた輝きに染まり、神々しい虹がかかる。
もはやそこに無間地獄の闇はなく、光あふれる世界が広がっていた。
やがて、その光の中から一人の少年が姿を現した。
「…裕介くん…」
亜樹が、涙ぐみながら目の前に還ってきた少年を見つめていた。
「お前が呼んでくれなかったら、俺は、あの妖魔の闇の中に埋もれていたよ」
少年は、笑顔で告げた。
もはやその顔に弱々しさはなく、怨念を内に溜めていた昏さもない。
かわってそこには、少年らしい、いや男らしい表情があった。
「ありがとう、亜樹」
「ううん。あの人たちがいなかったら、私だって何も出来なかったわ。あの人たちが導いてくれたのよ」
亜樹が指さした先の人影を見た瞬間、裕介の脳裡にあらゆる記憶が流れ込んできた。
「――圭一さんか」
記憶が刹那のうちに鮮明化する。
ゆっくりと、彼らが裕介のもとに歩いてくる。
ああ、そうだ。
俺は、この人たちと共に在ったのだ。
過去も、現在も、そして未来も――
ずっと亜樹たちとともに歩んできたのだ。
それを忘れ、自分の殻に閉じこもり、悪魔に魅入られてしまった。
「よく、戻ってきてくれた」
「ご迷惑をおかけしました」
圭一の差し出した手を、裕介が握り返す。
「俺に謝る必要はないよ。君が進む道は、君が決めた通り、つらく厳しいものだ。だけど、彼女が共に歩いてくれる」
裕介に寄り添うように、亜樹が立っている。
圭一に優子がいるように、裕介には亜樹がいた。
「はい。もう迷いはありません」
「うん。――さて、行くか」
「はい」
と裕介たちが頷いたとき、紀羅が割って入った。
「ど、何処へや!?」
全員がその場所を知っているような表情で頷いたので、焦って訊いたのである。
「裸やと歩きにくいから、服取りに行くんか?」
相変わらずのボケっぷりである。
「まぁ、それもある」
と笑いながら圭一。
「それから、何処へ行くんや?」
「――吉野へ。神々が住むという奈良、吉野の山へ」
圭一はそう言った。
瞬間、紀羅の脳裡に見たこともない奈良の山々の映像が流れ込んできた。
破壊し尽くされた筈の近畿に、まだこれほどの緑が残っているというのか。
いや、それよりも、このひしひしと感じてくるパワーは、なんだ。
「お、俺も、連れていってくれへんか!」
「え?」
さすがに、この申し出には優子も意外だったらしい。
「――〝美槌〟はいいの?」
「わからん。わからんけど、何とかなるやろ」
「――紀羅!」
突如、背後から獅天の声がかかった。
飛び上がるように振り向くと、獅天たちが地上に降り立つところであった。
「〝美槌〟を脱けるというのか」
「う、うん」
「どうして?」
「〝美槌〟やと、これからの時代を乗り切って行けへんと思ったからや」
「…………」
「今回の件でわかったんや。〝美槌〟の精神レベルでは、もう何にも出来へんって」
「――確かにな」
意外にも、獅天が苦笑いを浮かべながら認めた。いや、意外でも何でもない。彼自身、己れの小ささを、イヤというほど思い知ったからだ。
「俺たちだって、圭一くんたちの声がなかったら、今頃はどうなっていたのかわからんからな」
「――じゃあ、行ってもええんか?」
紀羅が、嬉々と眼を輝かせながら訊く。
「ああ。俺たちまで行くわけにはいかんからな。紀羅と義親は、俺たちの分まで修行して、強くなってこい。いいな」
「え? ぼ、僕もですか?」
「行きたそうな表情をして、無理するんじゃないよ」
獅天が、背後に立つ義親に向かって、太い笑みを浮かべた。
義親が恥ずかしそうに頭を掻く。
「そういうわけだ、圭一くん。厄介な奴等を二人、君に預けておくから、みっちりしごいてやってくれないか」
「喜んで」
圭一が、微笑みながら言う。
「お手柔らかに頼むで」
いきなり、揉み手である。
「それじゃ、妖さんに宜しくお伝え下さい」
圭一がペコリと頭を下げたとき、光が、彼らを包み込むように広がっていく。
その光は、圭一の額から放たれていた。
そして光が消えたとき、圭一と優子を始め、八人の姿は何処にもなかった。
「――行ったな」
「ええ。行っちゃったね」
獅天が感慨深げに呟いたとき、不毛の荒野には静寂が羽を広げていた。
下弦の月は、すでに地平線の彼方へ没している。
「長い戦いでしたね」
光炎が溜め息をついて言った。
その通りだと思う。
だが、意義のある戦いであったと思いたい。
さもなくば、何千人もの人間が死んだという事実は、あまりにも悲しい。
獅天たちは、ついに真の意味での覚醒を遂げた。
妖によって能力の扉の鍵を解除され、圭一の手によってそれは開放された。
それは、新たなる戦い――より激烈を極める死闘の近きを意味しているように思われた。
「――それより、妖はどうしたのかしら」
玲花は、ずっと気になっていたことを、ようやく口にした。
「わからん。俺も気になってはいたんだ。ファレスの気が消えてからかなり経つというのに、まだ帰ってこないなんて」
「何かあったんでしょうか」
「…………」
「――妖は、もうここにはおらんよ」
そのとき、獅天たちの眼前に霊道が開き、一人の老人を吐き出して閉じた。
顎に白いヒゲをたくわえた、天であった。
「どういうことです?」
玲花が、掴みかからん勢いで訊く。
「まぁ、落ち着け。何も死んだとか言っておらんじゃろ」
「当たり前です! 妖が死ぬわけないでしょ!」
「――で、何があったんです?」
光炎が玲花を抑えている間に、獅天が問いかける。
「お~恐。――妖はな、北海道に行くと言っとった」
「北海道!?」
三人は声を揃えて言った。
「うむ。死人男爵ファレスを斃した後にな、そう霊波を送って来たのぢゃよ」
「――ふむ。北海道と言えば、星ですね」
「うむ。何かを察知したのかも知れん。――ところでな、わしがここに来たのは、妖の消息を伝えるためだけではないのぢゃ」
「何です?」
「〝美槌〟の、事実上の崩壊を伝えに来たのぢゃよ」
天は、シワだらけの顔を俯けて、そう告げたのだった。
「え?」
「――最初の凶報は、九州からであった」
茫然とする三人を前に、天は話を続ける。
九州は阿蘇の噴火は予想外に激しく、やがて、桜島の噴火をも誘発してしまった。
凄まじい量の噴煙が黒々と天を覆い隠し、陽光も地上に届かなくなり、九州は闇に包まれた。
決してたとえではなく、事実そうだったのである。火山灰の雨が降り、地上は黒く染まり、飛びかう無数の火山弾が家屋を破壊し、人間や動物を殺傷した。奔流と化して流れ狂う土石流は麓の街を呑み込み、溶岩流は街や山野を焼き尽くし、文字通り灰燼と帰したと云う。
そして、このとき、通常の数百倍の濃度の妖気を、〝美槌〟は検出していたのである。が、妖気の源が何処にいるのか全く特定できぬまま、被害の拡大をただ見守るのみであった。何故、特定できなかったのか。それは、妖気の源があまりにも大きすぎたことも原因の一つだ。
死傷者は、数十万人を超えると云われ、家屋などの損害は計り知れなかった。
「――結局、妖気の源は、阿蘇の火口におったのぢゃ」
が、それがわかったとき、派遣されていた二人の天部と荘と恵は、その妖魔の吐き出す炎の息に巻かれ、蒸発してしまっていた。
妖魔は、燃えさかる炎と溶岩から生まれた、巨大な竜であった。
そして、これに継いで、二番目の凶報が、北海道に渡った妖からもたらされた。
北海道に派遣していた二人の天部が、無惨な死体となって、ある寒村に転がっていたというのである。
明らかに、魔人の力によって身体を破壊されていた。
これ以後、妖の生命反応も途絶えていることを、天はつけ加えて話を終えた。
玲花は、目の前が真っ暗になり、倒れそうになるのを必死にこらえた。
一瞬にして、希望が絶望に転じた。
我々人類は、いまだに、悪魔の罠から抜け出せずにいるというのか。
人類が一人残らず死に絶えるまで、我々は悪魔の手の上で踊り続けることになるのか。
玲花はこのとき、復活した大魔王が、絶望に沈む人類を睥睨して嘲笑う光景を幻視して、気を失った。
第二部 完




