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怨念の異形神  作者: 神月裕二
終章
74/74

3

 

 その言葉を、亜樹はごく自然に告げることが出来た。

 その瞬間、歓喜の声が辺りに満ちて、触手の塔を光が包み込んだ!

 一瞬のこと過ぎて判然としなかったが、光は確かに、裕介の心の深奥から迸っていた!

 天が喜びに満ちた輝きに染まり、神々しい虹がかかる。

 もはやそこに無間地獄の闇はなく、光あふれる世界が広がっていた。

 やがて、その光の中から一人の少年が姿を現した。

「…裕介くん…」

 亜樹が、涙ぐみながら目の前に還ってきた少年を見つめていた。

「お前が呼んでくれなかったら、俺は、あの妖魔の闇の中に埋もれていたよ」

 少年は、笑顔で告げた。

 もはやその顔に弱々しさはなく、怨念を内に溜めていた昏さもない。

 かわってそこには、少年らしい、いや男らしい表情があった。

「ありがとう、亜樹」

「ううん。あの人たちがいなかったら、私だって何も出来なかったわ。あの人たちが導いてくれたのよ」

 亜樹が指さした先の人影を見た瞬間、裕介の脳裡にあらゆる記憶が流れ込んできた。

「――圭一さんか」

 記憶が刹那のうちに鮮明化する。

 ゆっくりと、彼らが裕介のもとに歩いてくる。

 ああ、そうだ。

 俺は、この人たちと共に在ったのだ。

 過去も、現在も、そして未来も――

 ずっと亜樹たちとともに歩んできたのだ。

 それを忘れ、自分の殻に閉じこもり、悪魔に魅入られてしまった。

「よく、戻ってきてくれた」

「ご迷惑をおかけしました」

 圭一の差し出した手を、裕介が握り返す。

「俺に謝る必要はないよ。君が進む道は、君が決めた通り、つらく厳しいものだ。だけど、彼女が共に歩いてくれる」

 裕介に寄り添うように、亜樹が立っている。

 圭一に優子がいるように、裕介には亜樹がいた。

「はい。もう迷いはありません」

「うん。――さて、行くか」

「はい」

 と裕介たちが頷いたとき、紀羅が割って入った。

「ど、何処へや!?」

 全員がその場所を知っているような表情で頷いたので、焦って訊いたのである。

「裸やと歩きにくいから、服取りに行くんか?」

 相変わらずのボケっぷりである。

「まぁ、それもある」

 と笑いながら圭一。

「それから、何処へ行くんや?」

「――吉野へ。神々が住むという奈良、吉野の山へ」

 圭一はそう言った。

 瞬間、紀羅の脳裡に見たこともない奈良の山々の映像が流れ込んできた。

 破壊し尽くされた筈の近畿に、まだこれほどの緑が残っているというのか。

 いや、それよりも、このひしひしと感じてくるパワーは、なんだ。

「お、俺も、連れていってくれへんか!」

「え?」

 さすがに、この申し出には優子も意外だったらしい。

「――〝美槌〟はいいの?」

「わからん。わからんけど、何とかなるやろ」

「――紀羅!」

 突如、背後から獅天の声がかかった。

 飛び上がるように振り向くと、獅天たちが地上に降り立つところであった。

「〝美槌〟を()けるというのか」

「う、うん」

「どうして?」

「〝美槌〟やと、これからの時代を乗り切って行けへんと思ったからや」

「…………」

「今回の件でわかったんや。〝美槌〟の精神レベルでは、もう何にも出来(でけ)へんって」

「――確かにな」

 意外にも、獅天が苦笑いを浮かべながら認めた。いや、意外でも何でもない。彼自身、己れの小ささを、イヤというほど思い知ったからだ。

「俺たちだって、圭一くんたちの声がなかったら、今頃はどうなっていたのかわからんからな」

「――じゃあ、行ってもええんか?」

 紀羅が、嬉々と眼を輝かせながら訊く。

「ああ。俺たちまで行くわけにはいかんからな。紀羅と義親は、俺たちの分まで修行して、強くなってこい。いいな」

「え? ぼ、僕もですか?」

「行きたそうな表情(かお)をして、無理するんじゃないよ」

 獅天が、背後に立つ義親に向かって、太い笑みを浮かべた。

 義親が恥ずかしそうに頭を掻く。

「そういうわけだ、圭一くん。厄介な奴等を二人、君に預けておくから、みっちりしごいてやってくれないか」

「喜んで」

 圭一が、微笑みながら言う。

「お手柔らかに頼むで」

 いきなり、揉み手である。

「それじゃ、妖さんに宜しくお伝え下さい」

 圭一がペコリと頭を下げたとき、光が、彼らを包み込むように広がっていく。

 その光は、圭一の額から放たれていた。

 そして光が消えたとき、圭一と優子を始め、八人の姿は何処にもなかった。

「――行ったな」

「ええ。行っちゃったね」

 獅天が感慨深げに呟いたとき、不毛の荒野には静寂が羽を広げていた。

 下弦の月は、すでに地平線の彼方へ没している。

「長い戦いでしたね」

 光炎が溜め息をついて言った。

 その通りだと思う。

 だが、意義のある戦いであったと思いたい。

 さもなくば、何千人もの人間が死んだという事実は、あまりにも悲しい。

 獅天たちは、ついに真の意味での覚醒を遂げた。

 妖によって能力の扉の鍵を解除され、圭一の手によってそれは開放された。

 それは、新たなる戦い――より激烈を極める死闘の近きを意味しているように思われた。

「――それより、妖はどうしたのかしら」

 玲花は、ずっと気になっていたことを、ようやく口にした。

「わからん。俺も気になってはいたんだ。ファレスの気が消えてからかなり経つというのに、まだ帰ってこないなんて」

「何かあったんでしょうか」

「…………」

「――妖は、もうここにはおらんよ」

 そのとき、獅天たちの眼前に霊道が開き、一人の老人を吐き出して閉じた。

 顎に白いヒゲをたくわえた、天であった。

「どういうことです?」

 玲花が、掴みかからん勢いで訊く。

「まぁ、落ち着け。何も死んだとか言っておらんじゃろ」

「当たり前です! 妖が死ぬわけないでしょ!」

「――で、何があったんです?」

 光炎が玲花を抑えている間に、獅天が問いかける。

「お~(こわ)。――妖はな、北海道に行くと言っとった」

「北海道!?」

 三人は声を揃えて言った。

「うむ。死人男爵ファレスを斃した後にな、そう霊波を送って来たのぢゃよ」

「――ふむ。北海道と言えば、(せい)ですね」

「うむ。何かを察知したのかも知れん。――ところでな、わしがここに来たのは、妖の消息を伝えるためだけではないのぢゃ」

「何です?」

「〝美槌〟の、事実上の崩壊を伝えに来たのぢゃよ」

 天は、シワだらけの顔を俯けて、そう告げたのだった。

「え?」

「――最初の凶報は、九州からであった」

 茫然とする三人を前に、天は話を続ける。

 九州は阿蘇の噴火は予想外に激しく、やがて、桜島の噴火をも誘発してしまった。

 凄まじい量の噴煙が黒々と天を覆い隠し、陽光も地上に届かなくなり、九州は闇に包まれた。

 決してたとえではなく、事実そうだったのである。火山灰の雨が降り、地上は黒く染まり、飛びかう無数の火山弾が家屋を破壊し、人間や動物を殺傷した。奔流と化して流れ狂う土石流は麓の街を呑み込み、溶岩流は街や山野を焼き尽くし、文字通り灰燼と帰したと云う。

 そして、このとき、通常の数百倍の濃度の妖気を、〝美槌〟は検出していたのである。が、妖気の源が何処にいるのか全く特定できぬまま、被害の拡大をただ見守るのみであった。何故、特定できなかったのか。それは、妖気の源があまりにも大きすぎたことも原因の一つだ。

 死傷者は、数十万人を超えると云われ、家屋などの損害は計り知れなかった。

「――結局、妖気の源は、阿蘇の火口におったのぢゃ」

 が、それがわかったとき、派遣されていた二人の天部と荘と恵は、その妖魔の吐き出す炎の息(ブレス・オブ・ファイア)に巻かれ、蒸発してしまっていた。

 妖魔は、燃えさかる炎と溶岩から生まれた、巨大な(ドラゴン)であった。

 そして、これに継いで、二番目の凶報が、北海道に渡った妖からもたらされた。

 北海道に派遣していた二人の天部が、無惨な死体となって、ある寒村に転がっていたというのである。

 明らかに、魔人の力によって身体を破壊されていた。

 これ以後、妖の生命反応も途絶えていることを、天はつけ加えて話を終えた。

 玲花は、目の前が真っ暗になり、倒れそうになるのを必死にこらえた。

 一瞬にして、希望が絶望に転じた。

 我々人類は、いまだに、悪魔の罠から抜け出せずにいるというのか。

 人類が一人残らず死に絶えるまで、我々は悪魔の手の上で踊り続けることになるのか。

 玲花はこのとき、復活した大魔王が、絶望に沈む人類を睥睨して嘲笑う光景を幻視して、気を失った。

              第二部 完

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