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第2話 白きダンジョンへようこそ

ダンジョンって、ハーレムじゃん。


入院して、そんなことを思った。


若い看護師が来る。

俺の名前を呼ぶ。

血圧を測って、体温を確認して、具合まで気にしてくれる。


ベッドに寝ているだけで、これだ。


何年も家に引きこもっていた俺には、なかなかの待遇だった。


スーパーへ行っても、店員とはほとんど話さない。

買うものを選び、金を払って帰る。

家に着けば、また一人だ。


ところが、ここでは向こうから話しかけてくれる。

こちらが会話のきっかけを探す必要もない。


何と答えようか考えているうちに、また何か聞かれる。

俺の体に、こんなに話題があったとは。


こんな暮らしが待っているなんて、聞いていなかった。


採血もしてくれる。


ただ、これは痛い。


回復役なのに、まず針を刺すのか。

魔法で済ませてくれればいいのに。


それでも、近くに来て、こちらを気にかけてくれるのはうれしかった。


そんなに優しくされたら、好きになっちゃうよ。


『測定されているのは血圧です』


……誰だ、今の。


頭の中に、やけに冷静な声がした。


俺は気持ちの話をしている。

血圧くらい、見ればわかる。


返事はなかった。


自分で自分に突っ込んだのだろう。

長いこと一人で暮らしてきた。

独り言にも、そのうち返事がつくようになるのかもしれない。


それより、髪は変になっていないだろうか。


ベッドで寝ているところへ来られると、こちらは準備ができない。

もう少し、身だしなみを整える時間が欲しい。


パンツは替えてきた。

救急車を待つ間に替えた、あの判断は正しかった。


冒険に出る前には、装備を整える。

やはり基本は大事だ。


着替え一式や歯ブラシは、持ってきていない。


とりあえず、パンツだけは守った。


*


ただ、周囲を見直すと、俺のハーレムには少し問題があった。


四人部屋。

ベッドは、それぞれカーテンで仕切られている。


右隣には、おじいさん。

正面の窓際にも、おじいさん。


看護師は、用事が済むと出ていく。


じいさんたちは、残る。


回復役は巡回してくるだけで、パーティには入ってくれないらしい。


すると、俺はじいさんたちと一緒に冒険するのか。


まだ、誰が何を得意とするのかもわからない。

まずは、この部屋から把握することにした。


ダンジョンの地図は、真っ白だ。


もっとも、よそのカーテンを開けて回るわけにもいかない。

そこは未探索のままにしておこう。


音なら、こちらが探さなくても入ってくる。


右隣のおじいさんは、いびきが大きかった。


目を閉じても、そこにいるとわかる。

寝ようとしても、わかる。


位置情報は、もう十分だった。


家にいれば、こんな音はしない。

誰かと同じ部屋で寝るのは久しぶりで、少し懐かしい気もした。


ただ、懐かしがるには、もう少し小さい音がいい。


正面窓際のおじいさんは、屁をする。


いびきと違って、予告がない。


突然、カーテンの向こうから音が来る。


俺は、そちらを見る。


カーテンしか見えない。


聞こえなかったことにして、何でもない顔に戻す。

その顔も、向こうには見えていない。


お互い、顔を見せずに付き合っている。


なるほど。

共同生活では、こういう気遣いも必要なのか。


俺が何も言わないうちに、おじいさんはまた屁をした。


右に、いびき。

正面に、屁。


俺の頭の中で、地図に二つの印がついた。


この情報だけで、先へ進んでいいのだろうか。


*


看護師が来ると、病室の様子は少し変わる。


俺には丁寧に話す人が、おじいさんには、ずっと気安く声をかけたりする。


入院した晩から気になっていた、あの差だ。


俺にも、その感じで構わない。

そんなに丁寧にしてもらわなくてもいい。


こちらだって、気軽に話しかけてもらえるだけの準備はある。


もっとも、看護師はそれを知らない。


俺はベッドに座って、丁寧に返事をしている。

これでは、丁寧な患者だと思われてしまう。


困ったな。

最初の受け答えを、少し間違えたかもしれない。


いや、おじいさんとは付き合いが長いのだろう。

こっちは、まだ来たばかりだ。


経験値の差か。


俺はレベル一。

おじいさんは、この病棟の先輩。


そう考えれば、話はわかる。


冒険者ギルドでも、初めて来た男と、毎日顔を出す常連とでは、受付の対応も違うはずだ。


ならば、俺も毎日ここで顔を合わせていれば、そのうち――。


『滞在期間を延長しますか』


しない。


帰る。

俺は家に帰るんだ。


何で、看護師と仲良くなるために入院を延ばさなきゃいけない。


返事はなかった。


さっきから、俺が困る提案だけは早い。


*


俺は、頭が痛くてここへ来た。


体には、もともと不自由なところがある。

それでも、周りの患者に比べれば、自分は元気なつもりだった。


検査で悪い数字が出た。

しばらく入院だとも言われた。


聞いてはいる。

だが、自分がここで寝ていなければならないという実感は、まだ薄かった。


そうめんを食っていただけなのに、今は病院のベッドだ。

家ではエアコンが動き、扇風機が回っている。


俺はここで看護師を待っている。


家にいれば、そんな予定はなかった。

次に誰かが来るのを、少し楽しみにしている自分も意外だった。


名前を呼ばれたら返事をする。

何か聞かれたら答える。


それだけのことに、妙に張り合いがある。


いびきも聞こえる。

屁も聞こえる。


退屈するには、少々にぎやかだ。


とりあえず、このベッドが俺の拠点。

周囲の住人も、少しずつわかってきた。


そして、すぐそばに、もう一人いた。


点滴スタンドだ。


*


細い体に、車輪。

俺とは管でつながっている。


こいつは、看護師と違って帰らない。


病室を出るときも一緒。

トイレに行くときも、一緒だ。


そうか。

こっちが固定メンバーだったのか。


こちらの希望を聞く前に、もう加入している。

仲間を選ぶ画面はなかった。


若い女の子たちは出入りするだけで、残ったのは、じいさんたちと細長い金属だった。


少し、思っていた編成とは違う。


しかし、こいつは俺の点滴を支えている。

回復役はついてこなくても、回復の道具は持って歩けるわけだ。


それなら、悪くない。


よし。

お前が最初の仲間だ。


そう思うと、少し頼もしく見えてきた。


点滴スタンドを連れて、ベッドを離れる。

ただし、こいつは自分ではついてこない。


……仲間なのに、俺が運ぶのか。


俺自身、歩くのに不自由がある。

そこに、車輪のあるやつが加わった。


俺が通れるだけでは駄目だ。

こいつも通さなければならない。


しかも、管がある。


体を動かせば、管も動く。

点滴の接続部分が、服やベッドの柵に引っかかることもあった。


少し進むだけで、気にする場所がいくつもある。


こっちを見て、あっちも見て。

俺は、いつ前を見ればいいんだ。


仲間が一人増えただけで、急に操作が難しくなった。


俺だけ先へ行っても、こいつが残っていたら困る。

こいつを遠くへやればいい、というわけでもない。


二人で動くのだから、二人分の場所を考える。


ゲームなら、勝手についてきてくれるところだ。

ここでは、移動のたびに俺が面倒を見なければならない。


初めての仲間は、なかなか手がかかった。


*


ただ、いつまでもベッドのそばで悩んでいるわけにもいかない。


俺たちには、行き先ができた。


トイレだ。


家に帰る。

それが最終目標なのは変わらない。


しかし、その前に済ませたい用事がある。

順番を飛ばして、いきなり退院するわけにもいかない。


俺は、点滴スタンドと一緒に動いた。


自分だけで歩くつもりをやめる。

こいつの車輪と、つながっている管まで含めて考える。


俺が少し進む。

点滴スタンドも動かす。


スタンドを動かしてから、俺も進む。


どっちがどっちについていっているのかは、よくわからない。


それでも、前へ進めている。


ああ、こういうことか。


一人のつもりで動くから、こいつが邪魔になる。

二人組だと思えば、やることはわかる。


まだ手際は悪いが、少しずつ慣れてきた。


レベル一の俺にも、覚えられることはあるらしい。


目的地に着く。


よし。


次は、中へ入るだけだ。


*


……狭い。


俺が入る。

点滴スタンドも入る。


二人とも、入ることはできた。


だが、ここからどうする。


ここに置いたら、俺はどちらへ動く。

俺が向きを変えれば、管もついてくる。


ちょっと、そこを空けてくれないか。


点滴スタンドを見た。


相変わらず、黙っている。

頭の中のやつと違って、余計なことを言わないのはいい。


ただ、少しは気を利かせてほしい。


ここはトイレだ。

俺は、ただ立っているために来たわけではない。


このあと、服を動かして用を足さなければならない。

俺の右手は、不自由だ。


自分の体を支える。

服を扱う。

点滴スタンドと管の位置にも気をつける。


待て。


移動は、何とか覚えたぞ。

今度は、いくつ同時に操作するんだ。


*


【EPISODE 02 — STATUS】


パーティ:おっさん/点滴スタンド


【習得】

パーティ移動


【到達】

トイレ


【未達成】

用を足す


【セーブ】

不可


*


ちょっと外で待っていてくれないか。


やはり、無理だ。

俺とつながっている。


『援軍を要請しますか』


……ナースコールか。


病棟では、しょっちゅうナースコールが鳴っている。

看護師は、俺のところだけ回っているわけではない。


その中で、俺も呼ぶのか。


点滴スタンドの置き場に困っています。

トイレまで来たのに、うまく用が足せません。


いや、困ってはいる。

俺には、今、なかなか大きな問題だ。


だが、ほかの患者を回っている人を、これで呼び止めていいものか。

もう少し、自分で何とかならないか。


さっきまで、看護師に来てほしいと思っていた。

いざ呼ぶとなると、気が引ける。


家に帰るのが目標だったはずなのに、今はトイレから出る前の用事も終わっていない。


おい。

援軍を呼ぶ前に、何か知恵はないのか。


返事はなかった。


こういうときに黙るな。


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