第5話 生きて帰った罠師
牙鼠は、大型犬ほどもある鼠の魔物だ。
上層では手ごわいほうで、足が速い。
走って逃げても、すぐに追いつかれる。
その牙鼠が、低くうなりながら、こっちに向かってくる。
後ろからは、松明の明かりが近づいていた。
「今の声……ユー坊!? なんで、こんなところに……!」
「ニック、待て。前に何かいる」
呆然としたニックの声に、低く太い声が重なった。
(駄目だ、間に合わない)
あっちが牙鼠に追いつく前に、牙鼠のほうが俺に届く。
MPは8。
槍を一本出せば、残りは3。
外したら、もう打つ手はない。
牙鼠が、跳ねるように地面を蹴った。
速い。けど、まっすぐだ。
通路は狭い。左右に逃げる余地はない。
こいつは、俺の喉に向かって一直線に来る。
だったら、狙う場所は一つしかない。
俺は、牙鼠と俺のちょうど中間の空中に、手を突き出した。
「【地穿ちの槍】!」
空中から突き出した槍に、牙鼠は頭から飛び込んだ。
甲高い鳴き声を上げて、どさりと床に落ちる。
しばらく足を痙攣させていたが、やがて動かなくなった。
MP:3/30
「……っはあ」
俺は、壁に背中を預けて、ずるずると座り込んだ。
もう、何も出ない。
これで終わりで、本当によかった。
「……今の、何だ?」
松明の明かりの中で、誰かが呟いた。
顔を上げる。
先頭にいたのは、大剣を背負った、四十手前くらいの男だった。
日に焼けた顔に、短く刈った髪。左の頬に、古い傷跡が一本走っている。
見覚えがある。いや、知っている。
「オズワルドさん……」
オズワルド。
俺たちと同じ、コルネ村の出身で、二十年前に村を出て冒険者になった人だ。
今はリーデンで「赤錆の鎚」という中堅パーティを率いていて、銀札を持っている。
村に帰ってくるたびに、子どもだった俺たちに冒険の話をしてくれた。
そのオズワルドさんが、床に落ちた牙鼠と、空中から消えていく槍の跡を、交互に見ていた。
「ユーリ。今のは……罠か?」
「……たぶん」
「空中に? 罠を?」
ベテランの冒険者が、目を見張っている。
罠師の罠が、空中に出る。
そんなものは見たことがない、という顔だった。
俺が何か答えるより先に。
「ユー坊!」
オズワルドさんの脇をすり抜けて、ニックが飛び出してきた。
そのまま、思いきり抱きつかれた。
「痛っ……おい、ニック、痛いって」
「うるせえ! 生きてんじゃねえかよ、お前……! 生きてんじゃねえか……!」
ニックの声は、ぐしゃぐしゃに崩れていた。
肩が、熱く濡れていく。
「ユーリ……!」
ミーナが、反対側から飛びついてきた。
何も言わずに、俺の服をぎゅっとつかんで、声を上げて泣いている。
そして最後に、ガルドが歩いてきた。
ガルドは、何も言わなかった。
ただ、大きな手を俺の頭に乗せて。
子どもの頃みたいに、わしわしと、何度もなでた。
その手が、少しだけ震えていた。
「……ただいま」
俺が言うと、ガルドは小さくうなずいた。
「……おかえり」
それだけだった。
それだけで、十分だった。
「それにしても、どういうことだ」
帰り道、ニックが鼻をすすりながら言った。
「お前、槍で串刺しだったよな? こう、ぶすっと。なんで普通に歩いてんだよ」
「ニック」
ミーナがにらむ。
「……悪い。でも、気になるだろ」
「気になるのは、わたしも同じ。でも、今はやめて」
「なんでだよ」
「ユーリの顔、真っ青でしょ」
言われて、自分の頬に手を当てた。
確かに、冷たい。
「ちゃんと話すよ」
俺は言った。
「俺にも、まだ全部は分かってない。でも、分かってることは全部話す。だから、まず帰ろう」
ニックは「絶対だぞ」と念を押して、それきり黙った。
オズワルドさんは、少し離れたところで、仲間と何か話していた。
時々、こっちを振り返る。
その視線が、何度も俺の手に向けられているのに、俺は気づいていた。
(……まあ、気になるよな)
罠師が、空中に罠を出す。
自分で言うのもなんだけど、たぶんこの世界では、かなりおかしなことをしている。
(このあたり、どこまで話すか考えとかないとな……)
前世のことまで話したら、さすがに頭を打ったと思われる。
いや、頭どころか全身を貫かれてるんだけど。
ミーナが、俺の袖を小さく引いた。
「……【よみがえり】、なんでしょ」
「え?」
「服の穴、見えてる。あの傷が跡も残らずふさがるなんて、治癒魔法でもありえない。……ユーリ、あの後、本当は一度……」
ミーナは、その先を言わなかった。
「説明には『一度だけ』って書いてあったよね。だから、二度目はない」
ミーナは前を向いたまま、言った。
「もう、あんな無茶しないでよね」
無茶というか、ただの不注意だったんだけど。
そう言いかけて、やめた。
「……ああ。もうしない」
地上の明かりが、通路の先に見えてきた。
それから三日後。
ニックは、オズワルドさんたちと一緒に、あの隠し部屋を確かめに行った。
俺を殺した罠が、ほかの冒険者を殺さないように。
ギルドに場所を知らせるためだ。
戻ってきたニックは、ひどく青い顔をしていた。
「……なかった」
「何が?」
「部屋が、だよ」
ニックは、自分の手のひらを見つめていた。
「オレが押した壁、確かにあの行き止まりだった。何回も確かめた。でも、ただの壁なんだ。隙間も、押せるところも、何もねえ」
四層の、行き止まりの通路。
俺たちが見つけた、金箱の隠し部屋。
それは、最初から存在しなかったみたいに、どこにもなかった。
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