第4話 罠は地面に置くもの、だと誰が決めた
隠し部屋の入口から、緑色の顔がのぞいた。
ゴブリンだ。
上層ではよく見る、子どもくらいの背丈の魔物。
一匹なら、今の俺でもなんとかなる。
その後ろから、二匹目。三匹目。
(三匹は、無理だ)
HPは3。
まともに一発もらえば、それで終わる。
この部屋は行き止まりだ。逃げ道は、ゴブリンたちが立っている入口しかない。
ゴブリンたちは、鼻をひくつかせながら、部屋の中をうかがっている。
血の匂いの正体を探しているんだろう。
(落ち着け)
前世の俺なら、こういう時どうした?
ゲームで、勝てない数の敵に囲まれた時。
正面から殴り合ったりはしない。
敵が通る場所に、先に仕掛けを置く。
俺は罠師だ。
仕掛けるのは、本職のはずだ。
入口から俺のいる場所までは、まっすぐ一本道。
ゴブリンが走ってくるなら、必ずここを通る。
俺は、入口と俺の間の床に、手のひらを向けた。
まずは、昔から使える基本の罠。
【滑る床】。
床の一角が、うっすらと濡れたように光る。
MPは2減った。
そのすぐ奥に、もう一つ。
さっき覚えたばかりの【地穿ちの槍】を、一本。
MP:18/30
ほぼ同時に、先頭のゴブリンが俺に気づいた。
「ギッ!」
甲高い声を上げて、一直線に走ってくる。
一歩。二歩。
三歩目で、その足が【滑る床】を踏んだ。
ゴブリンの体が、ぐるんと宙に浮いた。
背中から床に叩きつけられて、そのまま滑っていく。
滑った先は――。
床から突き出した槍が、ゴブリンの体を貫いた。
「よしっ……!」
一匹目が、動かなくなる。
だが、二匹目は止まらなかった。
仲間がやられたのを見て、ゴブリンは床の光っている場所を避けた。
壁を蹴って、跳んだ。
滑る床も、槍も、飛び越えて。
錆びた短剣を振りかぶって、俺の頭の上から落ちてくる。
(速い――!)
罠を置き直す時間はない。
地面に置いても、相手は空中だ。
避けられない。
一瞬、時間が止まったように感じた。
頭の中で、前世の自分が叫んでいた。
(罠は地面に置くもの、って誰が決めた?)
ゲームの中では、空中に浮かぶ罠なんて、いくらでもあった。
この世界の罠師は、みんな地面か壁に罠を置く。
俺も、そう教わった。
それ以外の場所に置こうなんて、考えたこともなかった。
でも、それはただ、誰も試さなかっただけかもしれない。
俺は、ゴブリンが落ちてくる、その目の前の「何もない空中」に手を突き出した。
「――【地穿ちの槍】っ!」
体から、MPが抜ける。
何もない空中から、一本の槍が、横向きに突き出した。
ゴブリンは、自分から槍に飛び込む形になった。
短い悲鳴を上げて、そのまま床に落ちる。
二度と、動かなかった。
「……出た」
俺は、自分の手のひらを見つめた。
「空中でも、出るのかよ……」
膝から力が抜けそうになる。
でも、まだ一匹残っている。
三匹目のゴブリンは、入口で足を止めていた。
仲間が二匹、あっという間にやられたのを見て、警戒している。
じり、じりと、間合いを測るように近づいてくる。
(空中に置ける、なら)
罠を置けるのは、地面と壁だけじゃない。
相手の通り道なら、どこでもいい。
俺はゴブリンの動きを、じっと見た。
右に一歩。左に一歩。
そして、飛びかかる前に、必ず一度、体を沈める。
(今だ)
ゴブリンが体を沈めた瞬間、俺はその「跳んだ先」になるはずの空中に、槍を置いた。
ゴブリンが跳ぶ。
その胸に、空中の槍が突き刺さった。
部屋の中が、静かになった。
MP:8/30
「……はは」
笑いが、勝手にこぼれた。
ついさっき、宝箱の罠で死んだ。
その俺が、宝箱の罠で、ゴブリンを三匹倒した。
(罠は、地面に置くものじゃない)
この世界の誰も知らないことを、俺は今、一つ知った。
気がつくと、手が震えていた。
勝った喜びじゃない。
もし三匹目が、ほんの少し違う動きをしていたら。
もし空中に槍が出なかったら。
俺は今ごろ、二度目の死体になっていた。
そして、二度目は、もう起き上がれない。
(……慎重にいこう。前世みたいに、足元を見ずに歩くのは、もうなしだ)
深く息を吸って、吐く。
震えが収まるのを待ってから、ゴブリンの死体から短剣を一本だけ拾って、俺は隠し部屋を出た。
通路は、行きにみんなで通った道だ。
記憶をたどって、上の階への階段を目指す。
四層から、三層へ。
三層から、二層へ。
途中で何度か魔物の気配を感じたが、そのたびに【隠蔽】で気配を消して、岩陰でやり過ごした。
MPは、少しも無駄にできない。
(HP3で、MP8。完全に縛りプレイだな、これ)
心の中でぼやきながら、それでも足は止めなかった。
二層の、長い通路に出た時だった。
通路の先に、ゆらゆらと揺れる明かりが見えた。
松明だ。
それも、ひとつじゃない。
人の声がする。
足音は速い。ほとんど駆け足だ。
「四層の行き止まりだったな。治癒師、遅れるなよ」
「急いでくれ! ユー坊は串刺しのまま、ずっと一人なんだ! 早くしねえと……!」
聞き間違えるはずがない。
ニックの声だ。
あいつら、本当に戻ってきてくれたんだ。
俺を、助けるために。
「ニック……!」
思わず、走り出しかけた。
その瞬間。
俺と、松明の明かりのちょうど間の暗がりで、何かが身を起こした。
赤く光る、二つの目。
長い牙。
牙鼠だった。
それも、こっちを向いている。
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