第36話 鉄札の罠師の言葉は、誰にも信じてもらえない
その日の夕方。
俺は、ギルドの二階の、支部長室に立っていた。
ガルドと、ニックと、ミーナも一緒だった。
それから、左腕を布で吊ったオズワルドさんと、帳簿を抱えたエルザさん。
部屋の奥の机の向こうで、ダグラス支部長が、黒い眼帯の顔をこちらに向けていた。
「……罠、だと?」
支部長の声は、低かった。
「はい」
俺は、うなずいた。
「十層で、ひっくり返った鎧に触れて、罠術で調べました。名前は【巡る鎧】。動くものに反応して、斬る。罠の構造と、同じでした」
「罠が、歩くというのか」
「歩くように作られた罠だと思います。それと、もう一つ。罠の連動の先に、『二十層の主』と出ました」
支部長の、残った右目が、わずかに細くなった。
「二十層の主が、鎧を動かしている、と」
「その可能性が高いと思います。罠の仕組みは、一つの場所にまとまっていました。そこを断ち切ったら、鎧は崩れました」
机の上に、エルザさんが、一枚の紙を置いた。
「十層で、その場にいた鉄札のパーティ三組から、聞き取りをしました。全員が、ユーリくんが触れた鎧が崩れるのを見ています」
支部長は、紙に目を落とした。
長いこと、黙っていた。
それから、紙を机の上に戻した。
「……なるほど。面白い話だ」
その声に、熱はなかった。
「だが、罠師。仮に、鎧が罠だとしよう。お前が触れれば、崩れるとしよう」
支部長は、組んだ両手の上に、顎を乗せた。
「十五層の広場には、今、鎧が何体いると思う」
「……」
「五十体を超えている。下からは、まだ次が上がってくる。お前は、その一体一体に、ひっくり返して、触れて回るつもりか。その間、何人の冒険者が死ぬ」
言葉に、詰まった。
支部長の言うことは、正しかった。
一体を崩すのに、滑る床と落とし穴を置いて、ひっくり返して、触れて、罠術を流し込む。
十層の時は、周りの全員が動かずに耐えてくれたから、できた。
五十体の鎧が隊列を組んで押し寄せてくる中で、同じことはできない。
「では、元を断てばいい」
オズワルドさんが、口を開いた。
「鎧を動かしているのが二十層の主なら、二十層の主を倒せばいい。そうすれば、鎧は止まる」
「誰が行く」
支部長は、オズワルドさんを見た。
「お前の赤錆の鎚は、十八層で、隊列を組んだ鎧の群れに押し返された。二十層は、さらにその先だ。その奥にいる主のところまで、鎧の群れを抜けて、誰がたどり着ける」
「……」
「ギルドの銀札は、全員、十五層の防衛線に張りついている。そこから一人でも抜ければ、防衛線が崩れる」
オズワルドさんは、唇をかんだ。
「それに」
支部長の視線が、俺に戻ってきた。
「罠術で、連動の先が『二十層の主』と出た、と言ったな。それを確かめられる者は、お前以外にいるか」
「……いません」
「鉄札の罠師が、一人で見た文字だ。それに、ギルドの全戦力を賭けることはできん」
部屋の中が、静まり返った。
鉄札の罠師の言葉。
それが、この部屋での、俺の言葉の重さだった。
「話は分かった。記録には残しておく」
支部長は、机の上の別の書類に手を伸ばした。
話は終わった、という合図だった。
「お前たちは、十層での後方支援を続けろ。今日、鎧を一体止めたことは、見事だった。……それは、本心から言っている」
支部長室を出た廊下で、俺たちは、しばらく誰も口をきかなかった。
「……悔しい」
最初に言ったのは、ミーナだった。
「ユーリが、ちゃんと確かめたのに。鎧が崩れるの、みんな見てたのに」
「支部長の言うことも、間違ってない」
ガルドが、静かに言った。
「五十体を、一体ずつは無理だ。二十層まで行ける戦力もない。……支部長は、間違ってない」
「じゃあ、どうすんだよ」
ニックが、壁を拳で軽く叩いた。
「このまま、十層で、運ばれてくる怪我人を地上に送り続けんのか。防衛線が持つうちは、いいけどよ」
誰も、答えられなかった。
「ユーリ」
廊下の端で、オズワルドさんが、俺を呼んだ。
「俺は、お前の言うことを信じる」
吊った左腕を、右手でそっと押さえながら、オズワルドさんは言った。
「十八層で見た鎧の動きは、冒険者の動きそのものだった。あれが、ダンジョンが冒険者を真似て作った罠だと言われれば、俺は納得する」
「わたしも」
エルザさんが、帳簿を胸に抱えたまま言った。
「ギルドの記録に、百年分、一度も出てこなかった魔物。それが、急に、こんなに出てくる。魔物が生まれたというより、何かが作られ始めた、と考えたほうが、筋が通るわ」
二人の言葉は、うれしかった。
でも、支部長を動かすことは、できなかった。
(……一体ずつじゃ、間に合わない)
窓の外は、もう暗くなり始めていた。
十層で崩した鎧の感触を、手のひらが覚えていた。
細い糸の、一本一本の張りめぐらされ方。
歩いて、巡って、斬る仕組み。
構造は、もう、分かっている。
構造が分かった罠は、作れる。
(……作れる?)
その考えが、頭の中で、かちりと音を立てた時だった。
階段を、誰かが駆け上がってくる足音がした。
ギルドの職員だった。
顔が、真っ青だった。
「支部長! 支部長!」
職員は、支部長室の扉を、叩くように開けた。
「十五層の、防衛線が……!」
息が、切れていた。
「防衛線が、崩れました! 鎧の大群が、上へ――十層に向かっています!」
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