第32話 ギルドの百年分の記録にない魔物
動く鎧が初めて報告されてから、七日が経った。
その間に、ギルドに届いた目撃の報告は、三十件を超えていた。
十二層。十三層。十四層。
最初は中層の上のほうだけだったのが、日を追うごとに、少しずつ上に近づいてきている。
ギルドの掲示板には、大きな字で、こう貼り出された。
――中層に、正体不明の魔物「動く鎧」が出没中。
――鉄札、銅札のパーティは、中層への立ち入りを控えること。
「……控えること、か」
掲示板の前で、ニックが腕を組んだ。
「禁止じゃねえんだな」
「中層の素材がなくなったら、リーデンの商売が回らなくなるからだと思う」
俺は言った。
毛皮も、魔石も、雷角鹿の角も。
リーデンの店や工房は、ダンジョンから上がってくる素材で成り立っている。
ギルドとしても、全部の冒険者を止めるわけにはいかないのだろう。
この七日の間に、俺たちは、十五層の石碑まで足を延ばしていた。
動く鎧の出る道は、ニックの【早耳】で全部避けた。
あの規則正しい、がしゃん、がしゃんという足音は、一度覚えてしまえば、遠くからでも聞き分けられる。
十五層の石碑に、四人で触れた。
これで、入口から十五層まで、一瞬で来られる。
それから、十一層に置きっぱなしにしていた【継続罠】も、解いた。
「解いちまうのかよ、もったいねえ」
「動く鎧が増えてる。いざって時に、MPが足りなかったら困る」
白銀の翼を助けたあの時、MPの残りは、ほとんど空っぽだった。
最大MPの一部を罠に預けたままだったからだ。
あれは、もう二度とごめんだった。
罠を解くと、預けていた分のMPが、すっと体に戻ってきた。
MP:64/64
この七日で、レベルは12に上がっていた。
最大MPも、その分だけ増えている。
「……やっぱ、全部あると落ち着くな」
「ユー坊、その顔、貯金箱が満杯になった時の顔だぞ」
「どんな顔だよ」
その日の夕方。
ギルドの裏の酒場で、オズワルドさんが、俺たちを呼び止めた。
「少し、話がある」
オズワルドさんの顔は、いつになく硬かった。
奥の席に座ると、酒も頼まずに、すぐに本題に入った。
「お前たちは、リーデンの縦穴が、何層まであるか知ってるか」
「三十層、ですよね」
俺が答えると、オズワルドさんはうなずいた。
「そうだ。リーデンの縦穴は、星二つ。王国の中では、新人から中堅が腕を磨くための、やさしいダンジョンだ。三十層の主も、銀札のパーティなら毎年何組かは倒している。最後に倒されたのは、三か月前だ」
オズワルドさんは、テーブルの上で、大きな手を組んだ。
「昔、王国の別の都市で、こんな話があった。六十年前、北のほうの、小さなダンジョンだ」
ミーナが、思わず身を乗り出した。
「辺境で、冒険者がほとんど寄りつかず、長いこと最深部が攻略されないまま放っておかれたダンジョンが、ある日、魔物を吐き出した。中から、外へ。魔物があふれて、ダンジョンのそばの町が、一晩でなくなった」
酒場のざわめきが、遠くに聞こえた。
「氾濫、と呼ばれている。ダンジョンを長いこと放っておくと、起きることがある、と言われている」
ガルドの手が、膝の上で、ぎゅっと握られた。
「その時も、最初は、見慣れない魔物が出るようになった。それから、中の魔物が、少しずつ上の階に上がってくるようになった。最後に、全部が一度に、あふれた」
オズワルドさんは、俺の顔を、まっすぐに見た。
「見慣れない魔物。少しずつ上がってくる。……似ていると思わないか」
誰も、何も言えなかった。
動く鎧。
百年分の記録に一度も出てこなかった、見慣れない魔物。
最初は十二層、十三層。それが、日を追うごとに、上に近づいてきている。
「だがな」
オズワルドさんは、眉間に深いしわを寄せた。
「リーデンの縦穴は、放っておかれてなんかいない。毎日、何十組もの冒険者が潜っている。最深部の主も、三か月前に倒されたばかりだ。氾濫が起きる理由が、どこにもない」
「……じゃあ、なんで」
「分からん。分からんから、気味が悪い」
オズワルドさんは、組んだ手に力を込めた。
「それに、もう一つ。二十層の主……中層の主だ。先月倒されて、そろそろ次が現れる頃なんだが、新しい主を見たという報告が、まだ一つもない」
(……まだ、誰も見ていない主)
「……まだ、そうと決まったわけじゃない」
オズワルドさんは、自分に言い聞かせるように言った。
「だが、ギルドもそれを心配している。だから、銀札のパーティに、中層の様子を探ってくる依頼が出た」
「銀札って……」
「俺たち、赤錆の鎚だ」
オズワルドさんは、そこで初めて、少しだけ笑った。
「明日から、十五層より下に潜る。動く鎧がどこから来ているのか、確かめてくる」
ガルドが、何か言いかけて、口をつぐんだ。
オズワルドさんは、ガルドの肩を、ぽんと叩いた。
「心配するな。俺たちは、お前たちが生まれる前から、ダンジョンに潜ってるんだ」
それから、立ち上がって、店の出口に向かった。
扉の前で、一度だけ、振り返った。
「ハロルドに、手紙を出しておいてくれ。オズワルドが、お前の子どもたちは立派にやってると言っていた、とな」
扉が、閉まった。
宿への帰り道。
誰も、口をきかなかった。
石畳の上に、四つの影が、長く伸びていた。
「……なあ」
ニックが、ぽつりと言った。
「今の、最後の言葉さ。なんか、嫌な感じがしなかったか」
「縁起でもないこと、言わないで」
ミーナが、ぴしゃりと言った。
でも、その声は、少し震えていた。
ガルドは、何も言わずに、空を見上げていた。
星が、いつもより少なく見えた。
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