第29話 息をしない冒険者
【継続罠】を使い始めて、五日が経った。
稼ぎは、目に見えて増えた。
寝ている間に経験値が入り、朝に回収に行けば、上物の素材が手に入る。
俺のレベルは、11に上がっていた。
「……ふふん」
ギルドの前の広場で、ニックが、新しい帽子をかぶって胸を張っていた。
つばの広い、深緑色の帽子。
その横に、鮮やかな赤い鳥の羽根が一本、ぴんと差してある。
前に、銀貨一枚で売っていると言っていた、あの帽子だ。
「どうだ。吟遊詩人っぽいだろ」
「……似合ってる、と思う」
ミーナが、少し笑いをこらえながら言った。
「思う、ってなんだよ」
「羽根が、ちょっと大きすぎるかなって」
「これが大きいからいいんだよ! 目立つだろ!」
ニックの取り分から買ったものだから、誰も文句は言わなかった。
共有資金にも、十分にお金がたまっていた。
「ダンジョンの中では、かぶるなよ」
ガルドが言った。
「目立つ」
「目立つためにかぶってんだよ!」
「魔物にも、目立つ」
「……あ」
ニックは、しぶしぶ帽子を脱いで、背負い袋の中に大事そうにしまった。
その日、俺たちは十三層まで足を延ばした。
十一層の【継続罠】は、置いたままにしてある。
最大MPの一部は預けたままだが、【魔力回復】のおかげで、戦うには困らない。
十三層は、十一層や十二層よりも、通路が入り組んでいた。
天井から、細い水の筋が何本も垂れていて、足元はいつも濡れている。
「滑るから、気をつけてね」
ミーナが、ガルドの背中に声をかけた。
「……お前もな」
「わたしは平気。兄さん、盾が重いんだから、転んだら起き上がるの大変でしょ」
「……」
言い返せないガルドの耳が、また少し赤くなっていた。
(この兄妹、本当に分かりやすいな)
ニックと目が合って、二人で小さく笑った。
その笑いが、ほんの数歩先で、消えることになるとは思わなかった。
ニックが、ぴたりと足を止めた。
「……止まれ」
いつもの、罠を見つけた時の声じゃなかった。
もっと低く、押し殺した声だった。
「あれ」
ニックが、通路の先の、広い空間を指さした。
光苔の薄緑の光の中を、何かが、歩いていた。
鎧だった。
全身を覆う、古びた鉄の鎧。
あちこちに錆が浮いて、ところどころへこんでいる。
兜の目の隙間は、真っ暗で、何も見えない。
右手には、刃こぼれした長剣が握られていた。
鎧は、ゆっくりと、一定の速さで歩いていた。
がしゃん。がしゃん。がしゃん。
その足音だけが、空間に響いている。
「冒険者……か?」
ミーナが、小声で言った。
全身鎧の冒険者が、一人で、中層を歩いている。
そう見えなくもない。
でも。
「……息を、してねえ」
ニックが、震える声で呟いた。
「足音は聞こえる。鎧がこすれる音も聞こえる。でも、息の音が、一つも聞こえねえんだ」
【早耳】は、遠くの小さな音まで聞き分ける。
人間なら、どんなに静かにしていても、息をする。
鎧の中で、心臓が動く。
その音が、何もない。
「隠れろ」
ガルドの声に、俺たちは、通路の脇の岩陰に身を寄せた。
鎧は、こっちに気づいた様子もなく、広い空間を歩き続けている。
まっすぐ、壁際まで歩いて。
くるりと向きを変えて。
また、まっすぐ反対側の壁まで歩く。
がしゃん。がしゃん。がしゃん。
「……同じ道を、行ったり来たりしてる」
俺は、鎧の足元を見ていた。
濡れた床に、鎧の足跡が残っていく。
行きの足跡と、帰りの足跡が、ぴったりと重なっている。
一歩もずれずに。
十一層で見た、あの足跡と同じだった。
(巡回してる……?)
決まった道を、決まった速さで、何度も何度も歩く。
見張りの兵士みたいに。
いや、兵士でも、こんなに正確には歩けない。
まるで、そう動くように作られた、仕掛けみたいに。
その時。
鎧が、ぴたりと止まった。
兜が、ゆっくりと、こっちを向いた。
真っ暗な目の隙間が、俺たちの隠れている岩陰を、まっすぐに見ている。
息が、止まった。
ミーナが、俺の袖を、ぎゅっとつかんだ。
ガルドが、音を立てずに、盾を握り直した。
一秒。
二秒。
三秒。
鎧は、兜を戻した。
そして、また、何事もなかったように。
がしゃん、がしゃんと、決まった道を歩き始めた。
「……下がるぞ」
ガルドの小さな声に、俺たちは、来た道をそろそろと引き返した。
広い空間が見えなくなるまで、誰も、口をきかなかった。
地上に戻って、俺たちは、すぐにギルドのエルザさんのところへ向かった。
「……動く鎧?」
エルザさんの帳簿をめくる手が、止まった。
「全身鎧で、息をしない。決まった道を、行ったり来たりしている。……間違いないのね」
「四人で見ました」
エルザさんは、分厚い記録の束を、何冊も引っぱり出した。
リーデンの縦穴で、これまでに見つかった魔物の記録だ。
ページをめくる音だけが、しばらく続いた。
「……ないわ」
エルザさんは、最後の一冊を閉じた。
「リーデンの縦穴の、この百年分の記録に、そんな魔物は一度も出てこない」
ニックが、ごくりと唾を飲んだ。
「じゃあ、あれは、何なんだよ……」
エルザさんは、答えなかった。
代わりに、別の帳簿を開いて、指でなぞった。
「今日、中層に入ったパーティは、あなたたちのほかに、二つ」
その指が、一つの名前の上で止まった。
「そのうちの一つは、白銀の翼よ。行き先の届けは――十三層」
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