第2話 前世も今世も、罠で死んでいた
「抜けない……抜けねえよ、これ!」
ニックが槍の一本をつかんで、全身の力で引いた。
床から突き出た槍は、びくともしない。
ミーナは、ユーリの体のそばに座り込んでいた。
回復魔法の光が、何度も、何度も、ユーリの胸の上で灯っては消える。
「……まだ、息がある」
ユーリの口元に耳を寄せたガルドが、低く言った。
かすかだが、確かに。
「でも、わたしの【小治癒】じゃ、傷がふさがらない……。血を止めるので、精一杯……」
ミーナの声が震えていた。
槍が刺さったままでは、傷を治すこともできない。
槍を抜こうにも、床から生えた槍はびくともしない。
その時。
通路の奥から、何かが石を引っかく音が聞こえた。
ひとつではない。いくつも。
「……血の匂いだ。集まってくる」
ガルドが立ち上がった。
「ギルドに戻る。治癒師と、槍を切る道具がいる。急げば間に合う」
「置いていけって言うの!?」
ミーナが叫んだ。
ガルドは、妹の肩をつかんだ。
「置いていくんじゃない。助けるために、戻るんだ。ここで群れに囲まれたら、ユーリを助けられる人間が誰もいなくなる。……一番速い道で行く。いいな」
いつもは一言で済ませる兄が、それだけの言葉を口にした。
ミーナは唇をかんで、最後にもう一度だけ【小治癒】の光をユーリの胸に灯し、うなずいた。
ニックが、振り返って叫んだ。
「待ってろよ、ユー坊! 死ぬんじゃねえぞ! すぐ戻るからな!」
三人の足音が、遠ざかっていく。
隠し部屋に、静けさが戻った。
――冷たい。
最初に感じたのは、それだった。
頬に、石の床が当たっている。
まぶたの向こうが、ぼんやりと青い。
俺は、ゆっくりと目を開けた。
壁に生えた光苔の、薄い青い光。
見覚えのある、隠し部屋の天井。
(……生きてる?)
跳ねるように体を起こした。
腹と胸を、手でさわる。
穴が、ない。
服には大きな穴が開いて、べっとりと血がこびりついている。
なのに、その下の肌は、何事もなかったようにつるりとしていた。
床を見ると、槍はもうなかった。
代わりに、小指ほどの穴が、輪を描くようにいくつも並んでいる。
槍は床の中に引っ込んだらしい。
金箱は、どこにもなかった。
仲間の姿も。
床に、乱れた足跡が残っていた。三人分。
部屋の入口へ向かっている。
(……置いていかれた?)
いや、違う。
ガルドなら、こういう時は迷わない。
俺を助けるために、救援を呼びに走ったはずだ。
意識が途切れる直前、ニックの「すぐ戻る」という叫び声を、聞いた気がする。
「……死んだ、よな? 俺」
あの痛み。視界が黒く塗りつぶされていく感覚。
あれが夢だったとは思えない。
だったら、なぜ生きている?
思い当たることは、一つしかなかった。
「ステータス」
心の中で念じると、目の前に、俺にしか見えない半透明の板が浮かんだ。
名前:ユーリ
年齢:16
職業:罠師
レベル:4
HP:3/42
MP:30/30
力:11
体:12
速:14
器用:18
魔力:16
スキル:【罠術】【棒術】【隠蔽】
ユニークスキル:【よみがえり】(使用済み)
この世界の人間は、誰でも一つだけ、ユニークスキルを持って生まれてくる。
たいていは、ちょっと便利な程度のものだ。
ガルドの【踏ん張り】は、倒れにくくなるだけ。ニックの【早耳】は、遠くの小さな音が聞こえるだけ。
俺の【よみがえり】の説明は、たった一行。
――一度だけ、魂を呼び戻す。
みんなで「気絶から一度だけ立ち直れるくらいだろ」と笑っていた。
俺自身も、そう思っていた。
「本当に、よみがえるやつだったのかよ……」
笑おうとした、その瞬間だった。
頭の奥で、何かが割れた。
「――っ!?」
痛い。
頭の中に、知らない景色が流れ込んでくる。
灰色の高い建物。
箱のような乗り物に、人がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
光る板に向かって、指を動かしている自分。
「お先に失礼します」と言って、定時に席を立つ自分。
休日の、狭い部屋。
積み上がった漫画。
画面の中で、剣を振る小さな人影。
――知らないはずなのに、全部、知っている。
最後に浮かんだのは、夕方の歩道だった。
俺は手の中の光る板で、漫画を読みながら歩いていた。
足元なんて、見ていなかった。
工事中の柵。開いたままの、丸い穴。
足が、何もない空間を踏んだ。
落ちていく一瞬、思ったのは。
(――来週出る新作のゲーム、やりたかったな)
それが、前世の俺の、最後の記憶だった。
どれくらい、うずくまっていただろう。
頭痛が引いていくと、二つの記憶は、不思議なくらいなじんでいた。
コルネ村で育った、十六歳の罠師ユーリ。
ゆるく働いて、休日はゲームと漫画に溺れていた、三十代の会社員。
どっちも、俺だ。
(つまり、あれか。俺は転生してたってことか)
心の中で、自然とそんな言葉が出てきた。
前世で山ほど読んだ漫画に、こういう話はいくらでもあった。
それから、俺は気づいてしまった。
前世の死因。
工事中で開いていたマンホール。
足元を見ずに、落ちた。
今世の死因。
罠を確かめもせずに開けた、宝箱。
「前世は落とし穴。今世は宝箱……」
乾いた笑いがこぼれた。
「二回とも、罠で死んでるじゃねえか……」
しかも今世の俺は、罠師だ。
罠を仕掛けるのが仕事の人間が、罠で死んだ。
笑い話にもならない。
ステータスの文字を、もう一度見る。
【よみがえり】(使用済み)。
もう、次はない。
三度目に罠にかかったら、今度こそ終わりだ。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
膝は震えていたが、頭は妙に冷えていた。
「……三度目はない」
声に出すと、腹の底に重たいものが落ちた。
「今度こそ、罠に殺されない側になる」
そして、振り返る。
輪を描いて並ぶ、小さな穴。
俺を貫いた槍が眠る、あの床。
俺を殺した罠は、まだ、そこにある。
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