第19話 初回討伐の宝箱は、四人の手で開ける
岩角猪は、ガルドの盾から角を離すと、ゆっくりと後ずさった。
鼻息が荒い。
赤い目が、ぎらぎらと光っている。
今の一撃で仕留めきれなかったことが、気に入らないらしい。
「ガルド!」
「……平気だ」
ガルドの声は、落ち着いていた。
でも、構えた盾の真ん中を走るひびは、隠しようがなかった。
(次をまともに受けたら、盾が割れる)
盾が割れたら、次はガルドの体だ。
岩角猪が、再び前足で地面を掻き始めた。
二度目の突進が来る。
考えろ。
滑る床は、重すぎて止めきれない。
槍は、角で折られる。
正面からでは、何も通じない。
――正面からでは。
「ニック! あいつの急所、どこだ!」
ニックが、目を細めて岩角猪を見つめた。
【斥候術】の、急所を見抜く力。
「……喉だ。顎の下。そこだけ毛が薄くて、皮が柔らかい。でも、あいつ、ずっと頭を下げて角を前に出してるから、喉なんて狙えねえぞ!」
頭を下げて、角を前に出す。
突進する時は、なおさらだ。
だったら。
(頭を、上げさせればいい)
いや、違う。
(体ごと、前に落とせばいい)
「ミーナ、紫鈴草の毒を、残り全部くれ!」
「え、全部!?」
「全部だ!」
ミーナが投げてよこした小瓶を受け止めて、俺は、岩角猪とガルドのちょうど間の床に、中身を全部ぶちまけた。
透明な毒が、石の床に広がる。
その上に、手をかざした。
使うのは、昔から知っている、一番古い罠。
村で、ハロルドおじさんに一番最初に教わった罠。
【落とし穴】。
ただし、深くはしない。
大きくもしない。
岩角猪の、前足二本が落ちるだけの、浅くて細い溝。
そして、その溝の、奥側の壁に。
毒を吸わせた【地穿ちの槍】を、斜め上に向けて、何本も。
MPが、ごっそりと抜けていく。
視界の端が、少し揺れた。
MP:4/42
「ガルド!」
俺は、叫んだ。
「次の突進は、受けるな! 引きつけて、最後の瞬間に、横に避けてくれ!」
ガルドが、一瞬だけ、俺を振り返った。
盾士は、受けるのが仕事だ。
避けるのは、盾士の戦い方じゃない。
ガルドは、ずっとそう言われてきたし、そう思ってきたはずだ。
それでも。
「……分かった」
ガルドは、盾を打ち鳴らした。
岩角猪が、突進した。
地面が揺れる。
巨体が迫る。
ガルドは、動かない。
まだ。
まだだ。
角が、ガルドの盾に触れる、その直前。
ガルドが、横に跳んだ。
標的を失った岩角猪の前足が、ガルドの立っていた場所の、その先へ。
浅い溝の中に、落ちた。
がくん、と。
巨体が、前のめりに沈んだ。
頭が下がる。
角が、溝の向こうの床にぶつかって、止まる。
そして、前に突き出された、顎の下の、毛の薄い喉が――。
溝の壁から斜めに突き出した、毒の槍の列に、自分から突っ込んだ。
洞窟が、岩角猪の悲鳴で震えた。
「ニック、喉の、一番奥!」
「おう!」
ニックが、溝の縁を蹴って跳んだ。
暴れる巨体の、首の下に滑り込む。
紫鈴草の毒が、もう回り始めていた。
岩角猪の動きが、目に見えて鈍くなっていく。
ニックの短剣が、喉の一番柔らかいところに、深々と沈んだ。
岩角猪は、一度だけ大きく体を震わせて。
それきり、動かなくなった。
静寂。
洞窟に響いていたのは、俺たちの荒い息の音だけだった。
体の奥に、今までとは比べものにならないほど大きな、温かいものが流れ込んでくる。
「……やった」
ミーナが、へなへなとその場に座り込んだ。
「やった……やったよ……」
「兄さん、大丈夫!? 怪我は!?」
「……ない」
横に跳んだ時に転がったらしく、ガルドの服は泥だらけだった。
でも、本当に、どこにも怪我はなかった。
「避けたの、初めてだ」
ガルドは、ひびの入った盾を見下ろして、ぽつりと言った。
「……悪くない」
ニックが、岩角猪の首から短剣を引き抜いて、それを高々と掲げた。
「十層の主、討ち取ったりいいいい!」
洞窟じゅうに、ニックの声がこだました。
その声に重なるように、背後で足音がした。
振り返ると、洞窟の入口に、白銀の翼の四人が立っていた。
セドリックは、何も言わなかった。
倒れた岩角猪と。
溝の中の、毒の槍と。
泥だらけのガルドと、短剣を掲げたニックと、座り込んだミーナと。
そして、俺を。
順番に見て、そして、黙って唇をかんでいた。
「……罠師って」
ロザリンドが、小さく呟いた。
「あんなこと、できたの……?」
岩角猪の巨体が、光の粒になって、少しずつ崩れていった。
ダンジョンの主は、倒されると体が消えて、一部だけが素材として残る。
床に残ったのは、あの岩のような角が一本だけだった。
そして、その隣に。
ぼんやりと光りながら、一つの箱が現れた。
赤みがかった、金属の箱。
銅箱だ。
ニックが、ごくりと唾を飲んだ。
「……初めて主を倒した時にだけ出る、宝箱だ」
誰も、すぐには近づかなかった。
俺の足が、動かなかったからだ。
宝箱。
目の前に、宝箱がある。
あの時と、同じだ。
みんなで喜んで、浮かれて、それで――。
手のひらに、じっとりと汗がにじんでいた。
その肩に、大きな手が置かれた。
「……四人で、確かめる」
ガルドだった。
「全員がいいと言うまで、開けない。そう決めただろう」
ニックが、銅箱の前にしゃがみ込んだ。
【斥候術】で、箱と床と壁を、いつもの何倍も時間をかけて調べていく。
「……罠の反応、なし」
それから、ニックは俺を見た。
「でも、オレの目は一回間違えてる。ユー坊、お前も見てくれ」
俺は、うなずいた。
銅箱に手を当てて、【罠術】を流し込む。
箱の中。蓋の留め金。床の下。
何も、引っかからない。
幻でも、ない。
ちゃんと、手のひらに冷たい金属の感触がある。
「……罠は、ない。本物だ」
ミーナが、俺の手の上に、自分の手を重ねた。
ニックが、その上に。
ガルドが、一番上に。
四人の手で、留め金を外した。
蓋が、ゆっくりと開いた。
中に入っていたのは、こぶし大の魔石が一つと、銀貨が十枚。
そして、革表紙の、一冊の書だった。
表紙には、こう書かれていた。
【罠の持続】 アンコモン 推奨レベル8
「……罠系の、スキルの書」
ミーナが、くすっと笑った。
「ダンジョンにまで、ユーリの好みがばれてるみたいだね」
岩角猪がいなくなった洞窟の奥には、十層の転移の石碑が立っていた。
主が居座っている間は、誰も近づけない場所だ。
これに触れておけば、次からは入口から十層まで、一瞬で来られる。
俺たち四人が順番に石碑に触れると、少し離れて、白銀の翼の四人も、黙って石碑に手を当てていた。
帰り支度をしていた時だった。
石碑の、さらに奥。
岩角猪が最初に現れた暗がりの、その先の壁に、俺はふと目を留めた。
光苔の青白い光に照らされて、壁の表面に、細い線が刻まれていた。
複雑に絡み合った、見覚えのある模様。
(……なんで)
俺は、その模様を知っていた。
上層の四層。
今はもう消えてしまった、あの隠し部屋。
金箱の幻を映し出していた、あの床に刻まれていた模様と。
まったく、同じ形をしていた。
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