第16話 毒草の話になると早口になる
「ねえユーリ、この子、見て」
ミーナが、両手で大事そうに差し出してきたのは、紫色の小さな花だった。
二層の湿った壁際。
ミーナは朝から、薬草を摘むと言ってはしゃいでいた。
「紫鈴草っていうの。根っこに、すごく強い痺れの毒があってね。普通の痺れ草の、たぶん五倍くらい。煮出すと透明になるから見分けがつかなくて、昔は猟師さんが矢の先に塗って大物を獲ってたんだって。でも量を間違えると人間も三日くらい指一本動かせなくなるから、扱いがすっごく難しくて、それにこの花びらの形がまたかわいくて――」
「ミーナ、ミーナ。息して」
「あ」
ミーナは、ようやく言葉を止めた。
少し離れたところで、ニックが壁に背中を張りつけていた。
「……なあ。今の話、どこが『かわいい』んだ?」
「花びら」
「その前の、人間が三日動けなくなるってとこが頭に残って、花びらどころじゃねえよ」
ニックは、紫の花から三歩離れた。
ミーナは、毒草の話になると早口になる。
村にいた頃から、ずっとそうだ。
「でね、ユーリ。この毒、ユーリの罠に使えないかなって」
ミーナの目が、きらきらしていた。
「ほら、痺れ薬って、瓶を投げて霧にするでしょ。でも、外れたら意味ないし、風向きが悪いと味方にかかっちゃう」
ガルドが、無言でうなずいた。
初めて連携を試した日に、頭から痺れ薬をかぶったのを、まだ覚えているらしい。
「だから、罠の槍に塗れたらいいなって。刺さったところから毒が回れば、外れないでしょ?」
それは、俺も考えていたことだった。
罠術で作る罠は、基本の「毒の罠」なら作れる。
でも、俺が作れる毒は弱い。せいぜい、ちょっと気分が悪くなるくらいだ。
罠には、材料を使うものがある。
落とし穴は土。蔓の罠は植物。
だったら、毒の罠に、もっと強い毒を「材料」として使えば――。
「試してみよう」
俺は、通路の床に、ミーナの作った紫鈴草の毒を、小瓶から一滴垂らした。
透明な液体が、石の上に小さく広がる。
その場所に手を当てて、【地穿ちの槍】を作る。
床から突き出した槍の先が、うっすらと濡れて光っていた。
「……塗れてる」
ミーナが、息をのんだ。
「床の毒を、槍が吸い上げたみたいだ。材料として、罠の中に取り込まれてる」
罠術は、置いた場所にある物を、罠の一部として使える。
地形も、植物も、そして、薬も。
「すごい……! ユーリ、これ、すごいよ!」
ミーナが、俺の両手をつかんでぶんぶん振った。
そのはずみで、手に持っていた小瓶が傾いた。
一滴。
二滴。
透明な毒が、ちょうど風上にいたミーナの足元から、ふわりと霧になって広がった。
紫鈴草の毒は、空気に触れると少しだけ蒸発するらしい。
その霧が流れていった先には、ニックがいた。
「……ん?」
ニックの顔が、ぴくりと引きつった。
「おい。なんか、口が……うまく……うごかね……」
「ニック!?」
「らいじょうぶ……ほんのちょっと……ひびれてるらけ……」
ニックは、壁に寄りかかったまま、ずるずると座り込んだ。
「ご、ごめんニック! ほんの少しだから、すぐ治るから! たぶん半刻くらいで!」
「はんほく……」
ガルドが、黙ってニックを担ぎ上げて、風上に運んでいった。
半刻後。
しびれが抜けたニックは、ミーナに向かって指を突きつけた。
「いいか、ミーナ。オレは今日、決めた。お前の毒草の話は、もう二度と三歩以内で聞かねえ」
「三歩じゃ足りないよ。紫鈴草の霧、五歩くらいは届くから」
「じゃあ今日のオレ、最初から射程内だったんじゃねえか!」
その日の午後。
二層の奥の、少し開けた岩場で、俺たちは足を止めた。
岩場の真ん中で、牛ほどもある魔物が、のそりと体を起こしていた。
背中が、岩のように固い蜥蜴。
「……あいつ」
岩背蜥蜴だった。
本来ならもっと下の層にいる魔物で、時々はぐれて上がってくる。
一層で、俺が岩陰に隠れて、息を殺してやり過ごした、あいつと同じ種類だ。
あの時は、罠の槍で背中を貫ける気がしなかった。
今も、たぶん、背中は無理だ。
でも。
「腹なら、どうだ」
俺の言葉に、ガルドが盾を構えた。
「……ひっくり返すのか」
「ああ」
岩場は、奥に向かって、なだらかに下っている。
その坂の途中に、【滑る床】を広く、三つ並べて置く。
そして、坂の下の空中に、毒を吸わせた【地穿ちの槍】を、上向きに一本。
「ガルド、坂の上から、あいつを引っ張ってきてくれ。ゆっくりでいい」
「分かった」
ガルドが、盾を打ち鳴らした。
【引きつけ】。
岩背蜥蜴の黄色い目が、ガルドをとらえた。
重い足音を立てて、坂を下ってくる。
一つ目の滑る床で、前足がすべった。
二つ目で、後ろ足がすべった。
三つ目で、重い体が、坂の傾きに負けて、ぐるりと横に転がった。
白い腹が、空を向いた。
その真下に、空中の槍が待っていた。
ずぶり、と。
毒を吸った槍の先が、柔らかい腹に突き刺さった。
岩背蜥蜴は、暴れようとした。
だが、その動きは、みるみるうちに鈍くなっていった。
足が震えて、尾が止まって、やがて、ぴくりとも動かなくなる。
紫鈴草の毒が、回ったのだ。
「ニック!」
「三歩以内には近づかねえからな!」
そう言いながらも、ニックは毒の霧が出ていないのを確かめてから、まっすぐ蜥蜴の喉元に飛び込んだ。
急所に、短剣を一突き。
岩背蜥蜴は、大きく一度だけ息を吐いて、動かなくなった。
体の奥に、今までで一番大きな、温かいものが流れ込んできた。
ステータスを開く。
レベル:7
「上がった……」
一層で、息を殺してやり過ごすしかなかった相手だ。
それを、四人で、誰も傷つかずに倒した。
「やった……やったよ、兄さん!」
ミーナが、ガルドに飛びついていた。
ガルドは、少しよろけながら、妹の頭をぽんぽんと叩いていた。
俺は、岩背蜥蜴の背中に手を当てた。
岩のような甲羅には、傷一つない。
「……これ、上物で売ったら、いくらになるんだろうな」
「ユー坊、今それ言う?」
ニックの呆れた声に、ミーナが吹き出した。
その日の夕方。
岩背蜥蜴の甲羅を担いで、ギルドに戻った時だった。
ギルドの中央で、人だかりができていた。
その真ん中に立っていたのは、銀の鎧の少年。
セドリックだった。
「三日後だ」
セドリックの声が、ギルドじゅうに響いた。
「三日後、白銀の翼は、十層の主に挑む。同期で最初に十層の主を倒すのは、俺たちだ」
周りの冒険者たちから、どよめきと拍手が起きた。
十層の主。
上層の一番奥にいる、上層で最も強い魔物だ。
主は、パーティごとに、初めて倒した時にだけ特別な宝箱を落とす。
ギルドからも、初回討伐の報奨金が出る。
十層の主を倒すことは、新人が一人前と認められる最初の関門だと言われている。
そして、主は一度倒されると、半月ほどは姿を消す。
誰かが先に倒してしまえば、ほかのパーティは、次に現れるまで挑むことすらできない。
セドリックが、ふと、人だかりの外にいる俺たちに気づいた。
その青い目が、俺が担いでいる岩背蜥蜴の甲羅を見て。
ほんの一瞬だけ、細くなった。
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