77:失言の代償
一度決壊してしまえば、あとはもう、自分の欲にどこまでも忠実に、彼女を追い詰めていくだけだ。
負い目を感じている相手に付け込むなんて容易い。
「まぁまぁ。落ち着いて?それよりも、ミオが何か返したいって言うなら、俺のお願い聞いてくれる?」
慌てるミオを抱き込んで、耳元へ低く囁いてやれば俺のシャツを握る彼女の手が一瞬強く握られ、ミオは小さく頷いた。
あーぁ。本当に学習しないんだから。だから、こんなに簡単に引っかかる。
警戒心の欠片もない無防備な獲物は食べられても仕方ないよねぇ。
「じゃあ、ミオから口付けして?ーーそれとも、俺が以前言った食べたいものに付き合ってくれる?好きな方を選んでいいよ」
内心舌舐りしながら獲物が自ら罠に掛かるのを待ち構える。俺にとってはどちらでも構わない。ただ、ミオが選ぶのはきっとーー。
「へぁ、えっ、あ、やっ!?どっち、なんて選択肢になってないじゃない!もぉバカシム!!」
愛らしい悪態をつく彼女は本当に扱いやすい。一通り騒いで満足したのか、ミオは真剣に考え込み、眉をひそめてこちらを窺ってきた。
「でも、食べたいものって……こんな夜中に開いてる店なんてないわよ?」
「じゃあ、俺に付き合うでいいんだね?」
素直なミオは律儀に俺の「おねだり」を叶えてやろうと、結果として予想通りの答えを選んだ。わざわざ念を押したのは慈悲ではなく、彼女の逃げ道を塞ぐため。
「良いわ!明日行くの?ーー少しはお金も貯まってきたし、 奢ってあげる! 任せて!」
「それは頼もしいね」
クスクスと喉を鳴らして笑い、俺はミオの頭を引き寄せた。
そのまま彼女の唇を逃がさないように深く、噛み付くように塞ぐ。
「ん、あっ……んぅ……ぁ、」
熱に翻弄されるミオの、小さな甘い吐息が鼓膜を震わせる。同時に、彼女の輪郭をなぞるように、手を這わせていった。薄い寝衣越しに感じる、柔らかな肢体。石鹸とも違う彼女自身の香り。
何度口付けても慣れず、いつまで経っても上手く息継ぎも出来ない彼女が可愛く、ますます虐めたくなる。
長い口付けを終え、名残惜しさを覚えながらも離すと、ミオの唇は濡れ、赤く僅かに腫れぼったくなっていた。
はぁはぁと浅い呼吸を繰り返すミオは涙目で呼吸を乱しながら、赤く染った顔で俺を睨みつけてきた。
ようやく泣き止んだのに、また瞳には涙の膜が出来ている。でも、この涙は嫌いじゃない。もっと泣かせたくなる。
「な、なんでキス? ーー食べに行くのに付き合うって言ったのに……っ」
「ん? 食べに行くなんて一言も言ってないよ」
「えっ……?」
呆然とする隙だらけのミオをベッドに押し倒し、その白い首筋に痕を残した。細い腰を撫で、以前記憶した彼女の反応の良かった箇所を刺激していく。
「あっ、ちょっ……やぁ、食べたいものって言ったじゃないっ。え、待って……もしかして……」
寝衣の裾から滑り込んでくる俺の手の熱に、ミオはびくりと身体を反応させた。
彼女は潤んだ瞳を大きく見開き、俺の顔を見つめる。
「食べたいものって……ご飯じゃ……な...い?」
今にも消え入りそうな声。ようやく理解した可愛いミオ。
ーーでも、もう遅い。
「せーかい。よく出来ました。ーーご褒美あげる」
「ぁ、やぁ…んっ……っどうせまた、揶揄ってるんでしょ」
今更、危機感を持った憐れな獲物は身を翻してうつ伏せになり、俺の下から這って逃れようとする。伸ばされた彼女の手を上から握り込み、顕になった項に赤い痕を残す。
「揶揄ってないよ。それに、ミオが選んだんだろ?」
白いシーツに散らばる彼女の黒髪、そこから覗く赤く染った耳。そして刻んだばかりの紅い痕。その全てが扇情的で情欲を煽る。
「それはご飯に付き合うって意味で……! 待って、やだ、カシムやめてよぉ……っ」
身を捩り、必死に藻掻く様が余計に煽っているのを、彼女はまるで理解していない。
「何でやめるの?気持ち良さそうなのにーー」
「きゃぁっ!ゃ、ぁ……んぅっ」
告げると同時に、乱れた寝衣を引き下げ薄い肩に噛み付いて痕を残す。薄らと付いた歯型を宥めるようにゆっくり舌でなぞってやれば、子犬のように鳴く彼女は悦んでいるようにしか見えない。
「ーーね?」
剥き出しになった項にそっと唇を寄せると、ミオはシーツに顔を埋めたまま呟いた。
「だって……っ、カシムからまだ、返事貰ってない……」
「返事? なんのこと?」
何のことか分からずそのまま疑問が口をついて出る。何かあったかと色々考えるが思い浮かぶことは特になかった。そんな俺を察してか言葉を重ねる。
「だから、あの! えっと……だから、ほら! 前に……す、好きって言ったのに……そのっ、カシムは、どうなのかなって……っ」
これ以上ないほど取り乱しながら、ベッドに顔を埋めていくミオ。最後の方は、聞き落としてしまいそうなほど小さな声だった。
顔を隠して羞恥に悶え、俺の下で小さくなる彼女。
(あぁ……そういえば、確かに返事らしいものはしていなかったか)
さっきまで俺の言動を『スキルの強制力』のせいにして、信じようとしなかったくせに。
ミオの望む『答え』を告げるのは簡単だが少し意地悪がしたくなった。
「はいはい、本当にかわいーね。俺さ、ずーっと我慢してたんだけど?」
俺がどれだけ自制して彼女に触れてきたか。毎晩腕に抱くだけでいつまでも満足出来るわけがない。それでもミオのペースに合わせてきたのは彼女を慮ってだ。だが、そんなものは無意味だった。なら、もう茶番はやめだ。
「ミオが大事だから我慢して、我慢して。俺にしては頑張ったんだけどなぁ?本当はもっと早くこうしたかったんだからさ」
触れるたびに跳ねるミオの身体が、熱を帯びて徐々に力を失っていくのが手のひらを通じて伝わってきた。熱に浮かされた頬も、潤んだ瞳もその吐息さえも俺の熱を刺激する。彼女を溶かして、もっと深く俺を感じさせたい。
「そんなの、知らない……っ! おねがい、いつものカシムに戻って……やっ、ひぅっ」
「戻るもなにも、これが本当の俺だから」
俺の手の中で乱れ、甘い声で啼く彼女をもっと見たい。どこに触れても素直な反応を返す身体と、流されそうになる理性と快楽の狭間で揺れる瞳に俺が映る。
そこには余裕をなくし、ひとりの女に溺れる無様な男がいた。
「やぁっ……ごめ、なしゃ……も、もぉ、やぁ」
「……ん?謝んなくてもいーよ。怒ってないだろ?はぁ……ほんと、堪んない」
もっと俺に縋って乱れるミオが見たくて、彼女の薄い寝衣に手をかけ、脱がそうと裾を滑らせた。
肌を撫でる夜気と、衣服を剥ぎ取ろうとする動きに、ミオは力の入らない手で抵抗する。
「これ以上は……本当にダメだったらぁ……家には環くんもいるんだから……っ」
初めて、俺の手がーー止まる。
自らの手で蕩けさせた彼女を独占する甘美な高揚感に、容赦なく冷水が浴びせられた。
「――あ?」
自分の口から漏れ出たのは、地を這うような、冷え切った声。
ミオの口から、よりにもよってこのタイミングで、自分以外の『他の男』の名前が出た。その事実が、俺の神経を逆撫でする。
全身で悦んでいるくせにお前はまだ、そんなくだらないことを考える余裕があるのか。
激しい苛立ちと、醜い嫉妬が混ざり合い、ミオをもっと追い詰めたくなる。
「……へぇ。そんなにあいつの目が気になるんだ」
「ひっ……」
完全に目が据わっているであろう俺に見下ろされ、ミオは自分の犯した失言に気付いたのか顔を青褪めさせた。
「他の男の名前を呼ぶなんて、いい度胸だね。――随分余裕じゃん。そんなに気になるなら、優しい俺がその口、塞いであげる」
その無駄な理性を押し流すように獰猛な笑みを浮かべて彼女に覆い被さった。
ーー『好き』だの、『愛してる』だのそんなモノで片付けられるようなものじゃない。
どこまでも貪欲に彼女を求めるこの感情にはどんな名前が相応しいのだろうか。
次回投稿は来週土曜日予定です。




