8:あの日の落とし物
私たちは手を繋いだまま、食材売り場を通り抜け、服屋へと向かった。
「いらっしゃいませ! おや、仲の良さそうなご夫婦だこと。……奥様へのプレゼントですか?」
「えぇ。家内が、家でも私の服ばかり着たがる、甘えん坊でしてね。……せめて外出する時くらいは、彼女に似合う、素敵な服を新調してやろうと思いまして」
……カシム!!
何その、事実を180度歪曲した、意味不明な嘘!
私があなたのシャツを「着たがってる」んじゃなくて、あなたが「それしか用意しなかった」んでしょ! 店員さんが「あらあら、お熱いこと」みたいな顔で見てるじゃん!
私は顔を真っ赤にして、カシムの脇腹を全力で小突いた。
……殴った手が痛い。なんでよ!!鉄板でも入ってんじゃないの!?
「それで……奥様、お召し物以外には何かお探しで?」
店員さんの問いに、私が口を開くより早く、カシムが棚に並んだ布切れ――おそらく、この世界の下着――を指差した。
「あぁ、あと下着もだ。……今のやつは、もう布としての寿命が尽きかけてるからね」
「ちょっと!! 何言ってるのバカ!!」
私の絶叫をスルーして、カシムはニヤニヤしながら、棚から一枚の際どい刺繍が入った下着を手に取った。
「お嬢さん、これくらいか? ……いや、こっちの小さい方か。体つきからして、布面積はこれくらいで十分でしょ」
「セクハラで訴えるよ!? 面積の問題じゃないわよ! あとサイズを当てるな! ……もういい、私が選ぶからあなたはあっち行ってて!!」
私はカシムを突き飛ばし、必死の思いで自分に合いそうなサイズの下着と、念願の「ブラ的なもの」を確保した。カシムは後ろで「おー怖い」なんて言いながら、楽しそうに肩を揺らしている。ほんっと、サイテー。
「……よし、試着だ。……ハニー、俺が着せてやるよ」
「はぁ!? ……あなた、何言ってるの!? ……試着室、一人で入るから!」
「ひとりで出来るわけないでしょ。女物は紐通しが複雑なんだ。……ミオ一人じゃ、逆さまに着るのがオチだよ」
カシムは小声で囁くと、店員に「妻は少し、手先が不器用でして……」とか何とかこれまた適当な嘘をついて、私を狭い試着室へと押し込んだ。
カーテンが一枚、引かれる。
一畳にも満たない狭い空間。カシムの、無駄に整った顔が目の前。
「……よし、脱げ」
「!! ……脱ぐわけないでしょ!? ……あなたが着方、指示してよ!」
私の全力拒否に、カシムは不機嫌そうに舌打ちをすると、結局、カーテン越しに(時々手が入り込みつつ)細かく指示を出す事にしてくれた。……なんで私が譲ってもらったみたいになるのよ。こんなのおかしいよ……。
「……そこを、こう、交差させて、……違う、そっちは右だ。……ったく、面倒なお嬢さんだね。……ほら、そこは俺が結んでやる」
不意に、カシムの手が私のウエストに伸びる。
大きな手が、器用に紐を編み上げていく。
……この死神、意外とマメというか、世話焼きというか。
結局、数着の服と、私の念願だった下着の替えを、カシムが(店員に『妻が……』とか何とか言いながら)買い揃えてくれた。
乙女の尊厳、これにて完全死守。……精神的疲労はマックスだけど。
私はようやくカシムのコスプレから脱却できた。
「……ふぅ。これでやっと女心を取り戻した気分……」
下着の心配も、着替えの心配もしなくていいってこんなに素晴らしいことだったなんて!道中はアレだったけど今日はすっごくツイてるかもしれない!
買い物を終えて、上機嫌な私。
片手には、新しい服の詰まった袋。
反対の手にはカシムの手を(演技で)握りながら、私は市場の喧騒を楽しんでいた。
「……カシム。買い物が終わったら、あの『微妙に鳴き声がうるさい鳥』じゃない、普通の焼き鳥とか食べたいな」
「……あぁ? 俺のメシは、美味いだろ」
「だから、味じゃなくて、素材の……あ」
私の目に、広場の大きな掲示板が留まった。
人だかりができている。皆、一様に真剣な顔をして、そこに貼られた紙を見つめていた。
「……? 何かあったのかな」
私は野次馬根性で、カシムの手を引いて掲示板に近づいた。
そこには真新しい公示と、精密に描かれた「絵」があった。
「……っ!?」
心臓が、喉の奥まで跳ね上がる。
全身の血が、一気に足元へ引き抜かれるような感覚。
そこに描かれていたのは、私が失くした、ピンク色のヒールだった。
左右両方。
片方は泥にまみれ、もう片方は少しヒールが欠けているけれど、間違いなく私の靴だ。
耳の後ろに心臓があるみたいにドクドクと脈を打つ。
プラスチックと合皮とラインストーンでできたハイヒールが、まるで呪いのアイテムのように描かれていた。
「……うそ、でしょ……。あれ、私の靴……」
私が硬直していると、隣で「優男の演技」をしていたはずのカシムが、ふっと鼻で笑った。
彼は私の腰に腕を回し、耳元で楽しそうに囁く。
「……ほら、見ろよハニー。君の靴、えらい出世だよ」
カシムの声は、さっきまでの甘いものじゃなくて、私を小馬鹿にするような、ニヤニヤとした温度を帯びていた。彼は公示の内容を、歌うように読み上げる。
「『川辺にて発見された、未知の素材。これぞ天人の聖遺物なり。……持ち主、あるいはこれと同じ素材の品を持つ者を見つけた者には、金貨千枚、ならびに爵位を授ける』。……くくっ、金貨千枚だってさ。お嬢さん、靴だけで一国を動かす火種になれるよ。すごいねー」
「笑い事じゃないよ! 爵位って……それ、私を捕まえたら貴族になれるってことでしょ!? 私、ただの学生なんだけど!」
私が青ざめて震えだすと、カシムはさらに意地の悪い笑みを深めた。彼は私の頬を指先でツンと突き、楽しそうに目を細める。
「な? 俺が言った通りだろ。嘘じゃない。ミオはこの世界の『選ばれた人間』なんだよ。……ほら、周囲の奴らの顔を見てみろ。皆、その靴の持ち主を血眼で探してる。もしミオが今ここで名乗り出たら、どうなると思う?」
カシムの視線を追って周囲を見ると、掲示板の周りの人々の目が、欲望でぎらついているのが分かった。
顔はバレていない。でも、あの靴はこの世界で唯一無二。私の持ち物だとバレれば、即座に私は「歩く千金」に変わる。
ようやく新しい服を手に入れたと思ったら、失くした靴のせいで、私は「国を挙げた指名手配犯」になっていた。ツイてると思ってたのに、台無しよ!
周囲の話し声が、急に「追っ手の足音」に聞こえてくる。
「おい、聞いたか? その靴、夜になると勝手に光るらしいぞ」
「魔法を使わなくても飛べる不思議な道具なんだってな。それを持ってる『天人』を捕まえれば、俺たちも大金持ちだ」
……光らないよ! ラメが反射してるだけだよ!飛べるわけないでしょ!!
ツッコミたい。でも、声を出せば終わる。
私はガタガタと震え始め、カシムの腕にしがみついた。
「……っ、帰る。もう帰る! カシム、早く家に戻ろう!」
「おっと、今度は自分から俺の隠れ家に戻りたがるの? さっきまで『乙女心がどうの』って喚いてたお嬢様とは思えない台詞だねぇ」
カシムはニヤニヤと肩を揺らし、絶望する私を弄ぶように眺めている。……このクズ男、私の恐怖を肴に楽しんでやがる! ほんっと、サイテー!!
「……でも残念ながら、すぐには帰らないよ。予定通り、まずは腹ごしらえしよっか」
「何言ってるの!? 今すぐここを離れないと、誰かにバレるかも……っ!」
「安心してよ。俺がそんなヘマすると思う? それに……」
カシムは私の腰を引き寄せると、至近距離でその銀色の瞳(今は魔法で茶色だけど)を細めた。
「そんなに怯えてコソコソ動く方が、かえって怪しい。堂々としてなよ。君は俺の『ハニー』なんだからさ」
「だーかーら、その呼び方やめてってば……!」
「いいから行くよー。君、さっき『焼き鳥食べたい』って言ってたでしょ。……天人の寿命を縮めてまで手に入れた人里なんだ。せいぜい、最後まで堪能していきなよ」
カシムは私の抵抗を鼻で笑い飛ばすと、再び私の手を(例の恋人繋ぎで)ガッチリと固定した。
逃げ帰りたい私と、楽しそうに市場の奥へと歩を進める死神。
(私の人生、無理やり綱渡りさせられてる気がする)
外に出れば身柄を狙われ、隣を見ればヘラヘラ笑うドSな死神に精神を削られる。
でも、繋がれた手のひらから伝わってくるカシムの絶対的な強さと、その体温だけが、今の私にとって自分がまだ「ただの女の子」でいられる唯一の頼りだった。
「……ねえカシム。せめて、一番人混みが少ない店にしてよね」
「……あぁ? 俺が選ぶ店に、不満があるわけ? お嬢さん」
不敵に笑うカシムに再び引きずられながら、私の「波乱だらけの買い出し紀行」は、まだ終わらせてもらえそうになかった。




