7:全身なりきりセットと魔境のピクニック
体調は万全。魔物への対処も、カシムの「半径三メートル以内」というストーカーじみた制約のおかげで、今は落ち着いている。……物理的な距離感については、落ち着くどころか心臓が毎日オーバーヒート気味だけど。
だが、今の私には、そんなことより解決しなければならない乙女的死活問題があった。
(……いつまで、この『全身カシム・セット』で過ごせばいいわけ!?)
私は、鏡代わりの磨かれた金属板の前で、自分の姿を見下ろして盛大なため息をつく。
今の私の格好をおさらいしよう。
上は、カシムの予備の黒くてデカいシャツ。袖を三回折ってもまだ手が隠れる。
下は、カシムのズボンのウエストを、麻の紐でギュウギュウに絞ったもの。丈が長いからこちらも折り返してる。
そして足元は、あの「牛もどき襲来事件」の時に履いていた、カシムのぶかぶかな革靴。……あの日、このデカすぎる靴のせいで根っこに引っかかって死にかけた時のことを未だに夢に見る。
……唯一の自前は、奇跡的に生き残ったパンツ一枚だけである。……ブラはもうどうしようもない。お気に入りだったのに!
私の靴は、川に落ちたあの日、無情にも脱げてどこかへ流されてしまったのだ。
つまり、今の私は、パンツ一枚を除いて、上から下までカシムコスプレ状態である。
「ねえカシム。私、このままじゃ『ミニ・カシム』としてこの世界に定着しちゃうんだけど。服、買いに行かない? せめて自分のサイズのをさ」
私は、キッチンでナイフを研いでいるカシムに、意を決して声をかけた。
「なんで? その服、丈夫で汚れも目立たないでしょ。何が不満なんだ。お嬢さん、似合ってるよ。俺のモノマネっぽくて」
カシムは研ぎ澄まされた刃を光らせながら、心底どうでもよさそうに、かつ気にしてることをサラッと言い放つ。
「モノマネって言うな! 不満だらけだよ! シャツは襟ぐりが広すぎて肩が出るし、ズボンは紐で縛らないとズリ落ちる! それに靴! ぶかぶかのせいで、この前転びそうになったんだからね! 私は女の子なの! せめて、まともな部屋着と、洗い替えの下着くらい欲しい!」
「下着? ……あー、そっか、あのボロボロのをずっと洗って使い回してるわけね?」
カシムが、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。
「うるさい! 乙女の事情に踏み込むな! だから、買いに行きたいの! 私にノイローゼになられたら、あなたの『退屈しのぎ』も台無しでしょ!」
「街……。面倒だなー。食材はまだあるし、ミオを連れて歩くのはリスクがデカい」
「面倒って……! お願い、この通り! このままじゃ、私は自分のファッションセンスの死と共に精神が崩壊する!」
私が必死に拝み倒すと、カシムは研ぐのをやめて、私の不格好な「借り物スタイル」をじっと眺めた。
「……チッ。わかったよ、行けばいいんだろ。変装するから待ってて………ホント、タダで俺を動かすのは君くらいだわ」
「え? 何か言った?」
「何でもない。……ただし、俺の指示には絶対に従うこと。いいね、お嬢さん」
――十分後。
カシムが棚から取り出したのは、初めて見る化粧品と魔法の道具たちだった。
「やぁ、ハニー。準備はいいかい?」
そこに立っていたのは、キラキラとした笑顔で甘い声をかける、見知らぬ「優男」だった。
銀髪を魔法で茶色に染め、銀色の瞳は、少し垂れ目の優しげなブラウンに変わっている。服装も地味な商売人風。……だと思う。だって、この世界のカシム以外の人って見たことないし!
「……何その、笑顔。キラキラしててなんかヤダ!」
私のツッコミに、カシムは演技を崩さず、ふわりと私の腰を引き寄せた。
「変装だって言っただろ。街には、俺の顔を知ってる奴もいるからな。……今日の君は、俺の年若い妻、俺はしがない行商人だ。……わかったな、ハニー?」
「その『ハニー』って呼び方、世界一似合わないからやめて! あと、腰の手、離して!」
「新婚夫婦が、腰を抱かないで歩くか? ……ほら、もっと俺にくっついてよ。……それとも、本気で抱かれたいの?」
耳元で、見た目とギャップがありすぎるやり取りが繰り広げられる。
表面的には「愛し合う夫婦」、内面は「死神と、そのおもちゃ」
この偽装夫婦、無理がありすぎる気がするんですけど!
隠れ家を出て数分。私は早くも、この「お出かけ」の難易度の高さに絶望していた。
「……ちょ、待って……カシム、早いってば……ッ!」
カシムの服を纏った私は、彼の広い背中を追いかけるだけで精一杯だ。カシムは一度も振り返ることなく、それでいて私が木の根っこに躓きそうになるたびに、見えてるかのようなタイミングで私の腕を掴んで引き寄せる。
「びっくりするくらい、本当に歩くのが下手だね。……それとも、地面と熱烈なキスでもしたいの?」
「違うわよ! この森、舗装されてなさすぎでしょ! ……ああっ!?」
叫んだ瞬間、私の頭上に絶妙なタイミングで巨大な蜘蛛が糸を垂らして降りてきた。私の不運は、もはや原生林の生態系さえも味方につけているらしい。
こんな味方いらないわよ!
「カシム、上! 上!……蜘蛛!」
「あぁ、これ?」
カシムは見向きもせず、空いた方の手で、まるで行き先を指差すような自然な動作でナイフを一閃させた。
シュパッ、という小気味いい音と共に、蜘蛛は私の髪をかすめることもなく真っ二つになり、地面に落ちる。
「……ねえ、今の見た?絶対私だけ、狙われてたよね!?」
「君、本当に退屈させないね。……森の魔物が、わざわざ最短ルートを通ってミオに挨拶しに来る。……死にたがりの才能があるんじゃない?」
「ないわ! 運が悪いだけ! ……っていうか、今の蜘蛛、絶対わざわざ私の方向に向き変えたでしょ! おかしいよ、この世界の生態系!」
カシムは「くはっ」と声を上げて笑いながら、次々と襲いかかる(というか私に向かって自爆しにくる)小動物や魔物を、歩くペースを一切乱さずに処理していく。
蛇が飛んでくれば指先で弾き飛ばし、食人植物が口を開けば茎を蹴り折る。
「……よし、街が見えてきた。……どうだい、お嬢さん。俺の『特別配送便』の乗り心地は」
「最悪だよ! 寿命が五百年くらい縮まったわ!」
結局、街の門にたどり着くまでに、私は三回の転倒未遂、五回の魔物襲来、そして一度の「変なキノコの胞子直撃(カシムがマントで防いでくれた)」を経験した。なんでこんな目に!!普通に死ぬわ!!
市場の喧騒が見えてくると、ようやくカシムは私の体を地面に下ろした。
「……さぁ、街へようこそ、ハニー。……ここからは、俺の手を離すなよ。……君が一人になった瞬間に、どんな『面白いこと』が起きるか、俺も予測がつかないからねー」
ニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべる死神の手。
悔しいけれど、今の私にとって、その手が世界で一番頼もしい命綱だった。
「わぁ……すごい。本当に街だ…… RPGの街そのまんまじゃん……」
石畳の道、行き交う馬車、露店から漂うスパイスの香り。あまりの「異世界」っぷりに目を輝かせていると、不意に大きな手が私の右手を包み込んだ。
そのまま指を絡める。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
「ねぇ!本当に繋がないとダメ!?」
思わず声を上げると、カシムは「優しい夫」の仮面を貼り付けたまま、私の耳元に顔を寄せた。
「静かにしてね、お嬢さん。……あそこの自警団員を見ろ。目が鋭いでしょ。……隙を見せれば、すぐに『不審者』として連行されちゃうよ」
カシムは甘い声音のまま、エグい脅しを小声で差し込んでくる。そして、周囲に聞こえるような少し高いトーンで、わざとらしく私に微笑みかけた。
「ハニー、迷子にならないように、しっかり繋いでてね」
……この死神、ノリノリである。
私は引き攣った笑いを浮かべながら、カシムのリードに身を任せて、活気あふれる市場の奥へと引きずり込まれていった。
せっかく念願の人里に来たのにゆっくり見れないなんて……。




