6:慣れない靴で外出はやめた方がいい
カシムとの隠れ家生活も数日が経過した。
結論から言おう。めちゃくちゃ暇である。
スマホという、現代人の魂の2/3くらいを占めるデバイスが永眠した今、私の娯楽は「天井の木目を数える」か「窓の外を飛ぶ、微妙に鳴き声がうるさい鳥を眺める」くらいしかない。
あー、動画サイト見たい。SNSで「異世界転移なう」を投稿してバズらせたい。……いや、あんなゴミ屑王子との修羅場を晒すのは、恥の上塗りだからやめておこう。
そんなことを考えながら、私はベッドの上でゴロゴロと転がる。
体調は、「特製・墓場茸抜きスープ」のおかげで、すっかり元通りだ。
カシムは、ブツブツ文句を言いながらも、結局は私の「普通のがいい」っていうリクエストに120%の精度で応えてくれた。デリカシーはないけど、料理に関しては執事か何かなの? ってくらいマメである。
(……それにしても、いつまでここにいればいいんだろう)
元気になると、今度は余計な思考が動き出す。
カシムは私のことを「退屈しのぎ」と言った。つまり、私が彼を飽きさせたら、その瞬間に私の「賞味期限」は切れる。
捨てられるだけならまだしも、彼、元掃除屋だからなぁ。ポイ捨て=物理的な抹殺、なんてことになりかねない。私の身体にキノコが生える未来は絶対回避したい。
「よし、ちょっと気分転換に外の空気でも吸ってこよう」
重い空気は、悪運を呼ぶ。
ここは一つ、外に出て日光浴でもして、私の設定ミスみたいな悪い運気を浄化するべきだ。
私はおそるおそる、使い込まれた木の扉に手をかけた。
ギィ、と遠慮のない音が響く。
一歩踏み出した瞬間、肺の中に流れ込んできたのは、驚くほど濃厚な「緑」の匂いだった。
「わぁ……空気だけは最高に美味しい……」
目の前に広がるのは、ファンタジー映画のセットを100倍豪華にしたような原生林。
これで、せめて手元にデジカメ……贅沢は言わないから、死んだスマホのカメラ機能だけでも生きていれば。
私は、家の周囲のちょっとした空き地を歩き始めた。
地面には、見たこともない青い花がポツポツと咲いている。
カシムは「俺の視界から消えるな」なんて言ってたけど、まぁ、すぐそこの庭先ならセーフでしょ。むしろ、家の中で天井を見つめてノイローゼになる方が、カシムにとっても「退屈な獲物」になっちゃうし。
――そんな、楽観的な私の思考が、そもそもフラグだったのだ。
思い出してほしい。私の人生は、いつだって「絶妙なタイミング」で「絶妙なツキのなさ」を発揮してきたことを。
ピキ。
背後で、小枝が折れる音がした。
風じゃない。あ、これ、絶対やばい奴が来た音だ。
心臓のカウントダウンが勝手に始まる。
(待って。外に出てからまだ3分も経ってないんだけど。異世界の神様、私のこと嫌いすぎじゃない!?)
普通、こういう時は「気のせいかな?」なんて振り返るのがセオリーだけど、私の不運はそんな生易しいもんじゃない。振り返らなくても「そこにいる」のが確信できるレベルで、背中にドロリとした殺気が張り付いている。
冷や汗が首筋を伝う。嫌だ、せっかく歩けるくらい元気になったのに。ここで食べられちゃったら、意味ないじゃん!
私は、立て付けの悪いドアみたいな動きで、ギギギッと、ゆっくり後ろを振り返った。
そこには、私の不運を具現化したような光景が広がっていた。
森の暗がりに浮かび上がる、ぎらぎらとした三つの黄色い目。牛を二回りくらい大きくしたような巨体に、不自然に長い爪。口の端からは、これまた不自然に粘り気のある涎がドロドロと垂れている。
「……うそ、でしょ……」
図鑑で見たことあるやつだ。あ、嘘。図鑑どころか、ホラー映画でもお目にかかれないレベルのバケモノ。
魔物は、私の「超美味しそうな弱者」オーラを敏感に察知したのか、喉の奥でゴロゴロと岩を転がすような音を立てて笑った(ように見えた)
(逃げろ! 足動かせ! 叫べ!唸れ生存本能!)
脳内指令はマックス。でも、現実は非情である。
履き慣れないぶかぶかの靴は、なぜかこのタイミングで地面の出っ張った根っこに引っかかっているし、膝は生まれたての小鹿みたいにプルプル震えて力が入らない。
まさに「まな板の上の鯉」。いや、この場合は「森の中のミオ」だ。
ちょっと外に出ただけなのにハードモード過ぎない!?
「グル……ガアアアッ!」
魔物が前脚を沈め、跳躍の構えをとる。
あ、終わった。
私の人生、最後の記憶が「三つ目の牛に似た何か」になるなんて、洒落にもならない。
(助けて、カシム……!)
声にならない悲鳴を上げ、ギュッと目を閉じた、その時。
――シュッ。
耳元をかすめたのは、風を切るわずかな音。
直後、空中で「ガッ」という鈍い衝撃音が響き、ドサリと重たい何かが地面に落ちた。
「……は?」
おそるおそる目を開けると、そこには信じられない光景があった。
さっきまで私を喰い殺そうとしていた巨体が、地面に転がり、痙攣している。その三つある眼のちょうど真ん中に、一本の短いナイフが深々と、柄の根元まで突き刺さっていた。
「……ったく。一瞬目を離した隙に、何を招き寄せてるんだよ、君は」
背後から、冷ややかで、でも世界一安心する「死神の声」が降ってくる。
カシムだ。
いつの間にそこにいたのか、彼はリンゴを剥くときと同じような、退屈そうな手つきで二本目のナイフを指先で弄んでいた。
魔法なんて派手なものは使っていない。ただ、歩きながら投げた一本のナイフが、魔物の眉間(?)をミリ単位の狂いもなく貫いたのだ。
「ギ、……ガアッ!?」
魔物が必死に立ち上がろうとする。けれどカシムは、散歩するような足取りでその巨体に歩み寄ると、流れるような動作で突き刺さったナイフを引き抜き――そのまま、喉元を躊躇なく横一文字に切り裂いた。
一切の無駄がない。飛び散る血飛沫さえも、計算されているかのように彼を避けていく。
ちょっと意味がわからない。なんで返り血が掛からないのよ。
カシムは死にゆく獲物を冷たく見下ろすと、ナイフの刀身に付いた血を指先で弾き、私の方へと向き直った。
その銀色の瞳には、家の中にいたときとは違う、鋭利な刃物のような光が宿っていて、私は思わずヒッと息を呑む。
「……あ、あの、えっと、ごめんなさい……」
反射的に謝った私を、カシムは無言で見下ろした。
そして次の瞬間、私の両肩をガシッと掴む。
「……っ、痛……」
引き寄せられた先は、彼の胸元だった。
近い。近すぎる。
カシムからは、鉄の匂いと、微かにリンゴの匂いがした。肩を掴む手の力が、じりじりと強くなっていく。
「……ねえ。君さ、自分が何をやらかしたか自覚してる?」
「……ごめんなさい。でも、すぐそこ、庭だと思ったから……」
「扉から先は全部『外』だ。君みたいな、歩くだけでトラブルを呼び込む体質のガキが、一人でうろついていい場所じゃない」
カシムの手が、私の肩から首筋の方へと滑り、そのまま顎をクイッと持ち上げる。
逃げ場を塞がれた私の視界には、彼の冷徹な銀色の瞳しかない。先程、迷いなく魔物の息の根を止めたその手が、今は私の肌に触れている事実に、心臓が爆発しそうになる。……これは恐怖!そうに決まってる!
「……いいか。君のその能天気な『ちょっとそこまで』で、俺の寿命がどれだけ縮んだと思ってんだ。……次はないよ」
彼の顔が、さらに近づく。
吐息が触れそうな距離で、カシムは絞り出すように言った。
「君に何かあれば、俺の退屈しのぎが台無しになる。……勝手にいなくなって、俺を一人にするんじゃねぇよ」
……うわ、重い。
っていうか、今のセリフ、ちょっと切実すぎない?
「守ってあげる」っていうヒーロー的な優しさじゃなくて、もし私がいなくなったら自分がどうにかなっちゃいそうだから、物理的に縛り付けておきたい……みたいな、必死さが伝わってきて、こっちまで息が苦しくなる。
でも、不思議だ。
肩を掴む彼の手が、微かに震えている。
彼みたいな人が、たかが一人いなくなったくらいで、どうしてこんなに余裕をなくしてるの?
「……わかったか。返事は」
「……わかった。わかったから、ちょっと顔近い……」
私が顔を赤くして目を逸らすと、カシムはようやくフッと鼻で笑って、力を緩めた。
でも、繋いだ手は離してくれない。
彼は私の手首をしっかりと握ったまま、引きずるような足取りで家へと向かう。
「……カシム、痛いってば。もう少しゆっくり……」
「うるさい。君はもう、庭の隅っこに行かせるのも信用できない。……これからは、俺が風呂に入る時以外は、半径三メートル以内にいて」
「それ、ただのストーカーじゃん!」
そんな私の拒否も、彼は華麗にスルー。
家の中に入ると、カシムは乱暴に扉を閉め、二度と私が勝手に出ないようにか、しっかりと魔法で鍵をかけた。……流石にやりすぎじゃない?
「……座ってろ。冷める前に、メシ食うよ。……今度は、注文通り野菜を普通のにしてるよ」
カシムは不機嫌そうに鍋を火にかけ始めた。
でも、その背中からは、さっき私に投げかけた「俺を一人にするな」という言葉の、どうしようもない熱がまだ引いていないように見えた。
(あーあ、私の人生、やっぱり最高にツイてない)
異世界に来て、身柄を狙われて、やばい奴に「いなくなったら困る」なんて、告白とも取れるような重い執着をされる。
乙女ゲームなら「キャー!」ってなるところだけど、実体験なら「ヒエーッ!」である。
でも。
カシムが、私のわがまま通りに野菜を刻んでいる音を聞きながら。
私の胸の奥で、ほんの少しだけ温かいものが灯ったのも、確かだった。
災いばかりを呼び寄せる私の不運な人生で、この「過保護な死神」に拾われたことだけは。
「……ま、外よりは、マシかな」
私が小さく呟くと、カシムは背中を向けたまま、お玉でスープをかき混ぜた。
窓の外では、さっきの魔物の悲鳴をかき消すように、またあの「微妙に鳴き声がうるさい鳥」が呑気に鳴き始めていた。




