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災いの招き猫、『元』掃除屋に拾われる~不運をすべて引き受けると笑った死神は、今日も私のために料理する~  作者: サハラ


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69:知らない方が良いこともある

 あれから、こそこそと運び込んだ我が家。

 カシムの言う通り死んでなかったことに一安心したけれど、関節を嵌め直す作業を目撃した私は軽くトラウマだ。気絶してても、いや、してるからこそもっと丁寧にしてあげて欲しい。つまり、雑だった。

 『ソファで寝かせる』『椅子に縛り付ける』問題でも一悶着あったが、一先ずこれも私が勝利した。

 貸しがどんどん増えてる気がする。何を請求されるか怖いが未来の私に託した。目先のことを優先する。人間はなんて悲しい生き物だろう。


「……っ、いや、だ……やめろ……!」


 尊い犠牲で勝ち取ったソファに寝かせた彼は額にびっしりと脂汗を浮かべ魘されていた。

 濡れタオルでそっと押さえ、なるべく刺激しないように、静かな声を意識して呼びかける。


「大丈夫、大丈夫だから……落ち着いて」


 声に反応したのか、黒い瞳が見開かれた。

 弾かれたように上半身を起こそうとしたが、すぐにうめき声を上げてソファへ沈み込む。


「……が、はっ……ここ、は……」


「私たちの家。無理に動かない方がいいよ。さっきは乱暴なことしてごめんなさい。とりあえず手当てはしたけど……」


 そう言って、近くに置いた薬箱と清潔な布を指差すと、男は信じられないものを見る目で私を凝視した。無理もない。あんな目にあったんだから……。私がやった訳じゃないのに罪悪感が凄い。

 それに……。手当てする時に見てしまった彼の身体にある無数の傷跡。

 何故、彼がここまでこの世界に敵意をむき出しにしているのか、あんなにも疲弊していたのか。


 彼が意識を取り戻す前、カシムが彼の身体を見て「わかる範囲だけどね」と教えてくれた。


 正直、カシムの言葉には現実味がなかった。映画や物語のように、あまりにも私からかけ離れていたから。

 カシムは、彼の首筋にある格子状の傷を指差して、皮膚を裂いて内側から何かを吸い出す術式なのだと教えてくれた。そして、それはこの世界における立派な『拷問』なのだとも。

 彼の腕や胴体には、無数の切り傷や刺し傷、それから酷い火傷の跡が刻まれていた。

 きっと彼は、わたしが想像する以上の恐ろしい目にあってきたのだろう。彼の中の何かが、壊れてしまうほどの地獄を、ひとりで耐えてきたのだ。


「……目的はなんだ?俺を連れ戻しに来たのか?」


 掠れた声が、私を現実へと引き戻した。

 男の黒い瞳は、私の後ろに佇んでいるカシムを睨みつけている。その瞳は、確かに憎悪に燃えていた。


「っ、連れ戻すとかそんなんじゃない!ーー私は天野 澪。……で、彼はカシム。保護者って言うか、同居人……みたいな人」


 彼とカシムの間に割って入るように声を張り上げた。この二人は間違いなく『混ぜるな危険』だ。私の勘が告げている。


「あなたの名前も……教えてくれる?」


 カシムは私が彼を看病してる時からずっと不穏だし、彼は彼で毛を逆立てたノラネコ状態。まさに一触即発。板挟みになった私の胃が心配だ。


「……沖田 (めぐる)


 彼の中で何か葛藤があったのか、悩むように少しの沈黙の後、ようやくそう名乗った。


「聞きたいことがたくさんあるの。あなたはどこから――」


「お前、本当に何も分かってねぇんだな」


 私の言葉を遮って、男ーー環くんが自嘲を孕んだ低い声を絞り出した。彼は悪夢を反芻するように頭を抱え、それから、激しく乱れる呼吸のまま私を見据えた。


「俺の身体見たんだろ。なら、何でこの世界の奴と一緒にいられんだよ。お前もいずれこうなるぞ。ーーそれに一般人って言ってたよな、お前が気付いてねぇだけだ。日本にいた頃と、明らかに変わったことあんだろ。よく考えてみろ。絶対、何かあるはずだ」


「……えっ?」


 日本にいた頃と、明らかに変わったこと。言語や文字のことじゃない。環くんが言ってるのは()()()()()()()()()()


 ずっと、おかしいとは感じていたのだ。

 日本にいた頃は、いつだって取り返しのつかない事態にはならないし、生命の危機を感じることもない、微妙な運の悪さの範疇に留まっていた。

 なのに、この世界に来てからはどうだ。明らかに不運のレベルが跳ね上がっている。

 ーー何度そう感じた?

 でも、私は今もこうして五体満足で生きている。


(……カシムがいたからだ)


 カシムが私の側にいて、その規格外の強さで助けてきたから、私は今まで無事でいられただけ。もし彼がいなかったら、私はとっくにその「跳ね上がった不運」のどれかに捕まって、確実に詰んでいた。

 本当に、ただの偶然の不運なのか。それとも、彼の言う通り、私自身が何かを「変えて」しまっているからなのか――。

 明確な答えは出ない。けれど、疑惑の芽が胸の奥で根を張った。


「幸運の象徴?保護?神の遣い?ーーーバカかよ」


 環くんは震える両手で顔を覆い、絞り出すように零した。それは独り言なのか、私に聞かせているのか分からないくらい自嘲に溢れていた。


「この世界の連中が、俺たちをどう見てるか教えてやろうか? 知識の取り込み? 文化の発展? そんな生ぬるい綺麗事じゃねぇんだよ。……『天人は万能薬の材料』だ」


「……は?」


「言葉通りの意味だよ! この世界の権力者は、天人の身体を『薬の材料』としか思ってねぇ。俺たちはなぁ!髪一本、血の一滴、肉の一片に至るまで、あらゆる不治の病を退け寿命を延ばす最高の秘薬なんだと!だから狙われてんだっ!」


 環くんの血を吐くような叫びが、リビングに響く。

 万能薬。薬の材料。特権階級の者たちが、天人の肉体を文字通り消費する。そんな悍ましい事実が、この世界の『常識』なのだとしたら――。


 怖気に全身の毛が逆立った気がした。

 脆い足場が揺らいでいく。



 カシムさえ否定してくれたら、彼の言葉は全て妄想だって切り捨てて、カシムの方を信じられる。

「違うよ」「そんなわけないだろ」って少し呆れた、けれど優しい銀の瞳で私を安心させて。


 縋る思いで振り返った先にいた彼はガラス玉みたいな瞳で環くんを見ていた。その顔は感情の抜け落ちた人形のようで。

 ーー足場が、揺れる。


 私の視線に気づくとカシムはへらりと笑い、事も無げに口を開く。……あぁ、嫌な予感がする。


「まぁ、権力者はみんな長生きしたがるもんだよね。どいつもこいつも、永遠になんて生きれやしないのに」


 それはあまりにも軽く、動揺も焦りも後ろめたさもない。


「ーーーミオ? 前にも言ったと思うけど、天人の指一本にさえ群がるっていうのは、比喩でもなんでもない事実だよ」


 

 ーーー音を立てて崩れた。


 やっぱり私は馬鹿だ。何にも分かってない。

 環くんの無数の傷跡、『薬の材料』、いつかカシムが私に告げた言葉の本当の意味。

 それらが最悪な形で噛み合ってしまった。


「……ほら、な」


 環くんが引き攣った声を漏らした。その瞳に浮かんでいるのは、自らの正しさが証明されてしまったことへの、救いのない絶望だった。


「やっぱりそうだ……! お前らは全員同じだ! 誰も俺たちを人間なんて思ってねぇ! クソ……っ!!」


 彼は取り乱したまま、ソファのクッションをカシムに向けてがむしゃらに投げつけた。

 カシムは僅かに首を傾げて、飛んできたそれを片手で軽々と受け止める。


「でも、ミオ。ーーーこいつはひとつ勘違いしてる」


 カシムは受け止めたクッションをソファの端に戻すと、また語りかけてきた。


「万能薬だの不老不死だの、そんなものはただの迷信だ。ーーーだけどそれを信じ込んでる奴らがいるのも事実だ。だから天人に莫大な金が積まれる。一部の強欲な権力者の間では昔から語られてきた御伽噺だよ」


 カシムの銀の瞳には、本当に、悪意のひとかけらも存在しなかった。ただ淡々と残酷な現実を突き付けてくる。


 私の限界を察したのか、カシムは静かにこちらへと歩み寄ってきた。

 そのまま、怯える私を壊れ物を扱うように優しく引き寄せる。


「だからミオ。俺の傍から離れちゃダメだよ。ーーーそうしたら俺が隠してあげる」


 耳元で囁かれた声は、蜂蜜を溶かしこんだように甘かった。

 カシムの手が、私の背中を優しく撫で摩る。


(……もう、やだ)


 聞きたいなんて思わなければ良かった。


「あーあ。こんなに怯えちゃって、可哀想なミオ。ーー今日は疲れただろ?少し休もうね」


 彼はそう言うと私を横抱きにして寝室へと足を向ける。抵抗する気力もなく、私は彼の首へと腕を回した。……彼の言う通り疲れた。


 カシムの胸に顔を埋め、私はただ彼の鼓動に耳を傾け、這いよる違和感を意識から追い出した。

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