67:見分けって何故か出来るよね
常連客のおじさんから天人の噂話を聞いた日から数日後。
人々の熱気は、引くどころか日に日に異様な高まりを見せていた。
王都の近くで『天人』が保護されたというニュースは、瞬く間にリマングスタ中を駆け巡ったらしい。街の目抜き通りには、一目で高位の貴族や大商人のものと分かる、見たこともないほど豪華な馬車が何台も列を成している。それらを護衛する私兵や、異国の商隊関係者たちで、普段の賑やかさを遥かに超えた、どこかギラギラとした喧騒が街を支配していた。元々、交易都市だけあって色んな服装の人達が多かったが、ここ最近は特に顕著だ。
(本当に、世界中が血眼になって天人を求めてるんだ……)
そんな街の様子を耳にするたび、血が冷たくなる心地だ。もし自分の正体がバレたら、あの欲望の渦に放り込まれる。その恐怖は完全に消えたわけじゃない。
けれど、私の隣には彼がいる。
誰が狙おうとも、あの傲岸不遜な死神が、私の手を掴んで世界の果てまで隠してくれる。その絶対的な安心感が、今の私の脆い足場を支えていた。
「よし、カシム、次はあっちの果物屋さんね」
「はいはい、仰せのままに。それにしても今日は一段と荷物が多いね」
日常の買い出しの道すがら、カシムは笑みを浮かべて、私の持っていた重い買い物袋をひょいと取り上げてくれた。周囲に溶け込むような一見ただの好青年風の佇まい。けれど、その足取りはさりげなく私を人混みから庇うように位置取ってくれている。そんな彼の気遣いが、たまらなく愛おしくて擽ったい。以前までは過保護だと突っぱねていたが今の状況では感謝しかない。でも下手にお礼祭りは開催出来ない。私は学習する女だ。
やがて、目当ての食料品店の前に到着した。店内はいつも以上の大混雑で、会計待ちの長い列ができている。
「ミオはここで待ってて。人混みで押し潰されたら大変だし、俺がサクッと会計を済ませてくるから」
「うん、ありがとうカシム。じゃあ、ここで荷物持って待ってるね」
カシムから荷物を受け取り、私は店先の日陰に身を寄せた。
店内に消えていく彼の後ろ姿を視線で追いかけながら、私はふぅと小さく息を吐き出す。
大通りを行き交う人々は、誰も彼もがどこか浮足立っていて、天人の噂話を大声で交わしていた。私はそんな人々を横目に、カシムが戻ってくるのをぼんやり待っていた。
(今日のご飯は何作って貰おうかな。あっさり系がいいかも。でも魚介も捨てがたい……悩むなぁ)
――ドッ!!!
「わわっ!?ーーー痛っ!?」
不意を突かれた鈍い衝撃に、思わず声が上がる。持っていた買い物袋が手元から滑り落ち、私はバランスを崩してそのままビタンと尻もちをついた。
「いたたた……お尻が……割れた」
涙目で、ぶつかった相手を確認する。
目の前には、同じく地面に尻もちをついた薄汚れた外套姿の男がいた。この暑い時期に……外套。あ、不審者だ。絶対そうだ。
「……っ、てぇな……」
不審者(仮)が低く悪態をつきながら、のそりと顔を上げた。途端、周囲の音がベールを被ったように遠のく。
抗議のために開いた口はそのままに、出かかった声が喉の奥で止まった。
口が、渇く。喉が引き攣ったように言葉が出ない。
私が見てきた中で、この世界は彫りが深くどこか西洋人を思わせる顔立ちをしている住人が多い。そんな中、このリマングスタには東洋系がいないわけじゃない。しかし、それらの人間とは明らかに一線を画す違和感。同じ東洋人の括りだとしても違いがわかる。
目の前にいる男の顔立ちは――最も親しみがあり、見慣れた「日本人」の骨格をしていた。
(この不審者……もしかして……っ!?)
相手の男も私の顔を確認したのだろう、その黒い瞳が大きく見開かれた。お互いに尻もちをついたまま呆然と見つめ合う。
やがて、男の唇が、小さく戦慄いた。
「……日本人?」
雑踏の喧騒に掻き消されそうなほど小さな、けれど、確かに届いたニホンという単語。
「今……日本って……、あなたも……っ」
信じられない思いで、私の口からもカタカタと震える言葉が漏れ出す。
「お待たせ。どうしたの、そんなところで座り込んじゃって。何かあった?」
ハッとして振り返ると、会計を終えたカシムが買い物袋を片手に後ろに立っていた。彼は気遣うようにこちらを見たあと、その視線がゆっくりと私の目の前にいる男を捉え、わずかに細められる。
「――っ!?」
男が弾かれたように我に返る。
街の喧騒が私の耳にも戻ってきた。周囲の買い物客たちの視線が刺さる。
確かに、お互い尻もちをついたまま見つめ合ってたら注目されて当然だ。私だって見るわ。
男は素早くフードを引っ掴んで深く被り直すと、立ち上がろうとした私の手首を「来い……!」といきなり掴み、走り出した。
「え、なに……っ!?やだっ」
突然の事態に私が抵抗するより早く、男が懐から円柱状のものを引っ張り出し、カシムの足元へ向けて思い切り叩きつけた。
破裂音と、背後に視界を埋め尽くす黒煙が爆発的に広がる。やばいやばいやばいっ!!なにこれドッキリ!?
「うわあああ!? 火事だっ!!」
「きゃああああっ!!」
「急げ!! 逃げろっ!!」
ただでさえ天人の話題のせいで人が溢れていた市場は、一瞬にしてパニック映画ばりの地獄絵図と化した。悲鳴と怒号が飛び交い、前後不覚になった人たちがドミノ倒しのように押し寄せてくる。
「カシムっ――」
私は咄嗟に彼の名前を叫んだけれど、逃げ惑う群衆に阻まれ、カシムの姿は黒煙の向こうに消えてしまう。男はパニックのドサクサに紛れて私の腕を引いたまま、目隠しとなった黒煙を背に、薄暗い路地裏の迷路へと猛然と走り出した。
「きゃっ、やだってば、放して――っ!」
私は男の手によって、大混乱の市場から強引に連れ去られていくのだった。




