65:職人技に乾杯
「ーーはぁ、やっと着いた」
カシムに手を引かれるまま賑やかな露店通りを抜け、私たちは目的の宝飾店へと辿り着いた。
店内は外の喧騒と切り離され、磨き上げられたショーケースが美しい輝きを放っている。さっきまで私の頭を占領していた、あのハッタリ妄想発言の熱から少しだけ解放されたような気がして、私はそっと息を吐き出した。
「いらっしゃいませ。――あら、以前起こし頂いたー」
すぐに気づいて奥から笑顔で出迎えてくれたのは、前回も親身に対応してくれた、店員さんだった。
「こんにちは。チョーカーの修理依頼してたエヴァンスです。仕上がってます?」
「はい、お預かりしていたお品物、仕上がっておりますよ。ただいまお持ちいたしますので、どうぞそちらにお掛けになってお待ちくださいませ」
店員さんに促されるまま、私たちは壁際にある革製ソファへと並んで腰を下ろした。
カシムの太ももと私の太ももが、ほんの少しだけ触れ合う。ただそれだけのことなのに、さっきライラさんに言ったことが蘇って、妙な緊張感がぶり返す。
(……いや、忘れよう。今はチョーカーのことだけ考えるのよ)
私が必死に雑念を振り払おうと頭を振っていると、店員さんが恭しく革張りのトレイを持ってきた。
「お待たせ致しました。ご確認お願い致します」
店員さんがテーブルの上にトレイを置き、カシムがトレイの上に乗せられたものに手を伸ばす。
カシムの手のひらの上で、しっとりとした上品な光沢を放つ黒いベルベット。
引きちぎられていたはずの破片は跡形もなく、最初からそうであったかのように美しく、トップの石を囲っていたフレームの歪みも直されていた。
「本当に綺麗に直ってる……!」
むちゃくちゃ嬉しくて、私の胸にほわっと温かい感動が広がっていく。職人さん凄い!
横でパッと表情を輝かせた私を見て、カシムは満足気に目を細めると、店員さんへ向き直った。
「うん、完璧。職人の方へもお礼を伝えて下さい」
「ありがとうございます。そう言って頂けて光栄です」
店員さんが嬉しそうに微笑む中、カシムはチョーカーを持ったままソファから立ち上がり、私の肩を優しく叩いた。
「さ、付けてあげるからこっちおいで、ミオ。あそこの姿見、使わせてもらいますね」
店員さんに軽く会釈をして、私はカシムに促されるまま、店舗の奥にある姿見の前へと移動した。
「ちょっと髪、避けるよ」
背後に回ったカシムの低い声が降ってきた。
直後、私の首筋に彼の大きな手がそっと滑り込んでくる。
(――っ)
どこか浮世離れした涼しげな容姿からは想像もつかないくらい、彼の肌は熱を孕んでいて、男の人特有の筋張った質感を宿している。
カシムは手馴れた様子で、後ろ髪をすくい上げると、私の左右の肩の前方へとサラリと垂らした。
遮るもののなくなった首筋の地肌に、カシムの指が、ゆっくりと滑る。
「……っ、あ」
じわりと直接肌に伝わってくる彼の体温に、背中をゾクゾクとした震えが駆け抜ける。
喉の奥がキュッと締まって上手く呼吸が出来ない。逃げ出したいような、けれどこの温もりにずっと触れていたいような、不思議な感覚がじわじわと広がっていく。
「ふふ、そんなに緊張しなくてもいいのに。……ほら、じっとしてな?」
彼はそう言うと、手際よく後ろの留め具をパチン、と小さな金属音と共に固定した。
ようやく、大事なものが私の元へ戻ってきたのだ。
「……うん、いいね」
カシムは前方に垂らしていた私の髪を戻すと、今度は私の両肩に手を置き、そっと耳元へと顔を近づけてきた。
「俺を癒してくれる可愛い奥さんには、これが一番似合う」
至近距離で囁かれた爆弾にせっかく忘れていた記憶が掘り返される。
もう!本っ当うるさい!!サッサと忘れなさいよ!
言い返そうと振り返るけれど、カシムは「はいはい」と私の髪を撫でたあと、トップの石を指先でツン、と弾いた。
「――さ、確認も済んだし、会計して帰ろうか」
私は声にならない悲鳴を上げながら、熱をもった顔を隠すように両手で頬を押さえることしか出来なかった。
店員さんにお礼を言い、お会計を済ませてお店を出る。
気付けば、私たちは再び賑やかな大通りを越え、我が家を目指して歩き出していた。
首元にしっかりと感じる、心地良い束縛感。さっき鏡で見た姿が頭をよぎる。……あ、ダメだ。思い出すだけで嬉しさが込み上げてきて、口元がゆるゆるになる。
思わず指先でリボンをなぞれば、テンションが上がりすぎて変なニヤケ顔が本気で止まらなくなった。スキップだってしたい気分だ。おかえりチョーカー!二度と壊したりしないからね!
「あの! カシム……」
私は弾む歩調のまま、隣を歩くカシムに向かって声を張った。
「ありがと! 拾ってくれてて。……それに、直してくれて、すっごく、すっごく嬉しい……です!」
勢い余って最後だけ変な言い方になってしまったけれど、満面の笑みと一緒に元気いっぱい感謝を伝える。
カシムは私のあまりのテンションの上がりっぷりに驚いたように瞳を丸くしたけれど、直ぐにふっと目元を優しく和らげる。
「……どういたしまして。そんなに喜んでもらえるなら、修理してもらった甲斐があったよ」
彼はそう言うと、繋いだ手を持ち上げて私の手の甲に軽く口付けを落とした。き、気障だぁ……でも様になってるから、逆にムカつく!おのれ、イケメンめぇ……。
ようやく我が家に帰り着き、カシムが鍵を施錠した途端、私の腕を引いてソファへ連れて行く。
えっと、あの……カシムさん?なんか怖いんですけど?
気付けば定位置に置かれ、いつしかカシムの顔は真剣なものになっていた。
「ハッタリでも、あんなこと言われたらさ……俺、本当にミオに満足させて欲しい気になるんだけど?」
ひょぇぇ。声。声がヤバい。なんだろうこれ!?カシムの変なスイッチ押したの誰だ!?……私かっ!!なんてことしてくれたんだ!?引っぱたいてやりたい!
カシムの唇が、私の耳元を掠める。
「まだ俺たち、そういうこと……してないのにね? ねぇミオ。ーー責任取って?」
「――っ、だ、だから、ち、違うのーーーーっっ!?」
無理だよーーっ!!スイッチの切り方誰か教えて!?
――ぐぅぅぅうう。
室内に、お腹の音が盛大に鳴り響いた。犯人は誰だ。これも私だ……。全部私ばっかり。なにこれ酷い。神は死んだ。
「…………」
「…………あ、あの、これは、その……」
カシムの動きがピタッと止まる。
数秒の沈黙のあと、カシムはお腹を抱えて「ぶっ、ははははは!」と大爆笑し始めた。本日二度目の爆笑頂きました。全っ然嬉しくない。
「くくっ、そっか。まずは俺が満足する前に、ミオの腹を満足させなきゃダメなわけだ」
「笑わないでよ!! 人間なんだからお腹くらい鳴るでしょ!!」
カシムは涙を拭きながら私を解放すると、「はいはい、可愛い奥さんのために、とびきり美味いやつにするよ」と、すっかりいつものヘラヘラした薄笑いに戻り台所へと向かっていった。
なんとか危機(?)を脱した私は、へなへなとソファに倒れ込むのだった。




