63:タヌキ寝入り
腕の中に誂えたように収まる小さく軽い身体。穏やかな寝息。安心しきって身を委ねるその姿が俺に深い安堵と幸福を齎す。
(ーーあぁ、本当に戻ってきて良かった。ミオがいる限り俺はまだ人でいられる)
彼女に伝えたことは嘘じゃない。でも、またミオが逃げ出そうとすれば、俺は鉄鎖で繋いで閉じ込めることを戸惑いはしないだろう。
腕の中の愛しい重みへと視線を落とし、シーツの上に散らばるミオの美しい黒髪を梳く。その拍子に、ふわりと彼女の匂いが鼻腔をくすぐり、店や家での彼女の様子を思い返す。
猫が甘えるように擦り寄ってきた可愛いミオ。
元気がなかったのも、俺の胸に顔を埋めて駄々を捏ねていたのも、全部あの女への嫉妬だったわけだ。
あんな有象無象の女を気にして落ち込むなんて、本当にバカで、どうしようもなく愛らしい。
俺が自らの意思で関わり、この手で触れたいと望むのは、世界中で彼女だけだというのに。
天秤の片側にミオがいる限り、もう片方にどれほどの女が積まれようとも、傾く気配さえありはしない。
石ころが多少目立とうとも、所詮は石の中での優劣。唯一とは、比べる価値すらない。俺の世界を満たす色彩は、ミオひとりで十分に足りている。
当初は飽きれば捨てればいいと思っていたはずなのに。そんな感情は、初めて澪の瞳を見た瞬間に霧散してしまった。
こんなにも執着して片時も離せないなんて、本当に無様で、滑稽で俺らしくない。
けれど、彼女と過ごす日々を重ねるほど、この手を緩める理由が見当たらない。
脆くて、我儘で、手のかかるミオ。その存在すべてが俺を侵食し、惹きつけてやまない。
髪を梳いていた指先を、そのまま彼女の耳元へと滑らせる。触れたのは、この手で付けた小さなピアス。
柔らかな耳たぶと冷たい金属の感触を指先でなぞりながら、少しづつ魔力を流し込む。トクトクと脈打つ彼女の拍動に溶けていくように、俺の糸がピアスへと深く深く刻まれていく。
彼女に施した、二つ目の印。これなら今度は千切れる心配もない。
――ねぇ、ミオ。この異常な感情にどんな名前を付ければ、君は俺の腕に溺れてくれるんだろうね。
愛おしさと、それを塗り潰す昏い独占欲を孕んだ溜息を吐き出し、その愛らしい寝顔にそっと唇を寄せた。
さて、明日はいよいよチョーカーを受け取りに行こうか。
「――ん……、いま、なんじ……?」
まだ外が白み始めたばかりの薄暗い空気の中、私は微かな意識の覚醒とともに、何かに包まれていることに気がついた。
身体のラインに沿うように、カシムの腕が回され、反対の腕は腕枕の形になっていた。
(……えっと、あれ? 私、昨日……)
覚醒していく脳が、昨夜の記憶を引きずり出してくる。
幼児みたいに甘えて泣き言を言って、最終的にカシムに抱きしめられて安心して寝落ちしたのだ。
(うわぁぁぁぁぁああああっっ!!!)
恥ずかしさと情けなさで自分にドン引きだ。心の中で絶叫しながら、現実逃避のために枕に顔を埋めたいが、カシムの腕が巻きついていて思うように動けない。
「ん……」
音のした方にそっと視線を上げると、そこにはカシムの寝顔があった。
いつも愉しげに細められている目は、今は長い睫毛の向こうに隠れている。
彼の寝顔を見るなんて、考えてみれば初めてかもしれない。私は気恥ずかしさも忘れて、珍しいその光景をまじまじと観察した。
彫刻のようにすっと通った綺麗な鼻筋に、銀の長い睫毛。ニヤニヤと意地悪く笑い三日月型に歪む唇は、今は少しだけ開いている。
不意にライラさんの言葉が過った。
(……王子様、か……。まぁ、黙っていれば、ね)
私の視線は自然とその薄い唇へと引き寄せられる。
子供の頃に読んだ童話のワンシーン。あれは王子様がお姫様にキスをしていたけれど……。
熱に浮かされたように、そこから目が離せない。起きるかな?起きない……よね?
ーー気付けば、あと数センチで互いの唇が触れ合う距離。
「っ!?」
不意に、添えられていたはずのカシムの腕が、確かな意志を持って私を引き寄せた。
「~~~っ!!?? 」
溺れそうなほど深い口付けに頭が真っ白になり、生理的な涙が滲む。ようやく解放されたときには、私の息は絶え絶えになっていた。
「っ、いきなり何すんのよ!? 本っ当バカ! いつから起きてたのよ!」
カシムの胸をバシバシ叩きながら、睨むけれど当の本人はニヤニヤと口角を歪め揶揄う気満々の表情だ。愉しそうでムカつく。なにこれ何の罠よ!?
「ミオが俺の寝込みを襲おうとする前からかな。ミオってばやらしー」
「はぁぁぁ!?違うし!見てただけだし!!襲うわけないでしょ!」
自分が何をしようとしてたかバレていようが全力で否定する。
さっきのは魔が差しただけ!てか、最初から起きてたなんてっ!寝たフリしてんじゃないわよ!
彼の腕から抜け出そうと腕を突っ張り身を捩る。けれど、カシムに軽くいなされて今度は足まで絡められ完全に固定された。
上半身も下半身も身動きが取れない。力の差が歴然すぎてツラい。こんなの罰ゲームじゃん。
「起きるのはまだ早いよ。もう少し寝な。……二度寝して起きたら、チョーカー受け取りに行こうねー」
カシムは私の頭をぽんぽんと大きな手で叩くと、満足したように再び目を閉じてしまう。
(こんな状態で、二度寝なんか出来るわけないでしょ!?)
こうなったらこの男の腕の中から抜け出すことは不可能だ。幾度となくチャレンジして成功した試しがない。苦い敗北の歴史が物語っている。
渋々諦めた私は目を閉じて、再び彼の胸元に頭を預け、タヌキ寝入りを決め込むことにした。全っ然眠くないんだけど。
………。
次にパチッと目を開けたとき、外はすっかり明るくなっていて、ベッドには私ひとり残されていた。え?まさか寝てたの?図太すぎないか私。
乙女の恥じらいが行方不明になりつつある件を真剣に考えていたら寝室のドアが開いた。
「おはよー。メシ出来てるから、食べたら出掛けようか」
カシムが、ひょっこりと顔を出して、朝日に負けないくらい爽やかに笑った。くそぅ、無駄に顔がいい。




