62:ただの感想だから
ライラさんの大胆な愛の告白に、店内は一気に沸き立った。
ホールのあちこちのテーブルから、野次馬根性丸出しの視線と、揶揄い半分のヤジが私に向かって飛び交い始める。
「おーい、奥さん! 旦那がモテモテでうかうかしてらんねぇなぁ!」
「いやぁ、あんな美人に迫られるなんて隅に置けないぜカシムは! ほら、ミオちゃんもガツンと言ってやりなよ!」
(……お黙り!この酔っ払いがっ!言えるわけないでしょ!!)
ライラさんが何やらカシムに向かって熱心に話し掛け、カシムも答えているみたいだけど、ホールの喧騒のせいで、何を話しているのかよく聞こえなくなってしまった。さっき見たカシムは、ライラさんに対してびっくりするほど冷たい、取り付く島もないような塩対応だった。また同じようにあしらってるのかな?
「やっぱりカシムさんって、優しいよね」
一人モヤモヤしていた私の近くを通りかかったレオ君が、話しかけてきた。
「あの綺麗なお姉さん、カウンターでカシムさんに猛アタックしてるみたいだけどさ、俺も惚れるの分かるなぁ!ミオちゃんにも見せたかった!本当に格好良かったんだよ!」
レオ君はカシムがヒーローにでも見えているのかキラキラとした少年のような眼差しを向けている。
それが、戦隊ヒーローに憧れる園児みたいで少しほっこりした。良い子だぁ。
…………。
……って、いや、ちょっと待て。
レオ君の「自ら路地裏に飛び出して」という言葉が、私を混乱させる。
(……え? やっぱり、自分から進んであの人を助けに飛び出したのは事実なんだよね?)
お店ではあんなに冷たくあしらっているように見えたカシム。だけど、裏では率先して彼女を守っていた。
え、じゃあどっちが本当のカシムなの……?
お店での塩対応は、既婚者(設定)としての建前で、本当はあんな絶世の美女に迫られて満更でもない? それとも本当に迷惑がってる?
(……あーー!ダメだ! これ以上あっちを気にしたら、本当に仕事の手が止まる!)
私はブンブンと首を振って無理やり頭を仕事モードへと切り替えた。
「はいっ、エールお待たせしました!」
「ミオちゃん、こっち追加ね!」
「はーい、ただいま!」
酔いも回ってきたのか、店内は一段と騒がしくなってきた。私は次々に入る注文を片っ端からトレイに載せ、あえてカウンターには近づかないように、テーブルの間を駆け回る。
ライラさんはその後もカウンターに居座り続け、お酒を飲みながらカシムに熱視線(多分)を送り続けていた。常連さんたちも、その様子を面白がりながら眺めている。あれは完全に酒の肴にされてた。
私はといえば、二人を意識しないように極力視線を向けずに仕事に集中した。いつもより三倍早く動けてたんじゃないだろうか。あの時の私は残像が出来てても不思議じゃない。転ばなかったのも高評価だ。
けれど、閉店して静かになった店内で後片付けを始めた途端、集中モードがプツリと切れてしまう。
耳に残るのは、ライラさんの「今日は楽しかったわ。また来るわね、カシムさん」というセリフ。冷たい対応をしてたカシムだけど、ライラさんがあれだけ本気になって食い下がってくるのは、やっぱり裏で彼が見せた『格好良くて優しい姿』が、それほどまでに魅力的だったからだ。
カシムは、意地悪でクズなところもあるけれど確かに優しくて頼りになる。彼女もそんなところに惹かれたのかもしれない。
ガロンさんへの挨拶もそこそこに店を後にする。
いつもならカシムの方から私の手を掬い上げて、繋ぐけど、今日は私からカシムへ手を伸ばした。指を絡めるのはさすがに出来ないけど、それでも勇気を振り絞って手を握る。
「ん?珍しいね。今日はどうしたの? 店でもやけに張り切ってたみたいだし、疲れちゃった?」
ヘラヘラとした笑みと軽い声。
だけど、今の私にはその軽さが嬉しい。店でのライラさんの姿や、レオ君の言葉が、どうしても頭から離れなかったのだ。
「うん……。なんか、少し疲れちゃったかも。早く家に帰ろ?」
俯いたまま、小さくそう呟いた。
カシムにちょっとだけ素直に甘えてみたい気持ちと、自分の醜い嫉妬に自己嫌悪する気持ちがごちゃ混ぜになって、そんな自分を見られたくなかった。きっと酷い顔のはずだ。
家に戻り、お風呂を済ませても、胸のモヤモヤは消えるどころか大きく膨らむ一方だった。
鏡に映る自分を見て、ため息が出る。あのライラさんという魅力的な女性に比べて、私はあまりにも子供っぽくて、何一つカシムに釣り合うところなんてないように思えてしまう。
髪を拭いて寝室へ向かうと、カシムがベッドの傍らで待っていた。彼にも私の明らさまに元気のない様子が伝わったらしい。なんだか構ってちゃんみたいでますます自分が嫌になる。
「今日は早く休もうか」
小さく頷きベットに横になった。いつもは私が彼から離れて寝ようとすると、カシムはするりと私を抱き寄せ腕の中に閉じ込めてしまう。
けれど、今日だけは、どうしてもその体温が恋しかった。
気付けば自分からカシムの身体に擦り寄っていた。
自分から彼の胸元に収まるように、すり、と額を預ける。彼の衣服から香る、微かな石鹸と、カシム自身の落ち着く匂いに包まれて、ようやく少しだけ息が吸えた気がした。甘やかすように私の髪を梳く手が心地良い。
「……ライラさん、凄かったね」
胸元に顔を埋めたまま、籠った小さな声で、どうしても抑えきれなかった言葉を溢してしまう。
「めちゃくちゃ美人で……スタイルも、よくて」
本当は言いたくなかった。そんなことを言えば、私が彼女を意識して、みっともなく嫉妬しているのがバレてしまう。だからこれは、ただの「感想」なのだと自分に言い聞かせながら。
けれど、私の言葉に対するカシムの返答は、予想外にそっけないものだった。
「誰それ?」
「え……?」
思わず顔を上げると、カシムは本当に心底どうでもよさそうな、本当に分からない感じだ。誤魔化してるにしては下手すぎる。
「いや、だから誰」
「いや、え!? えっと……店に来て、カシムとずっと喋ってた、人……だよ?」
「あぁ。……そんな名前だったっけ」
「え、嘘でしょ……?」
あんなに長い時間話してたのに……名前すら覚えてないなんて……。そんなこと有り得るの?自分から助けたんでしょ?
「昨日、あの女が絡まれてるのを駄犬が見つけたんだよ。放っておけばいいのにわざわざ突っ込もうとするからーー」
そこからは、カシムが如何に面倒臭かったか、如何に早く帰りたかったかを愚痴られた。嫌々だったの!?てか、駄犬って……。レオ君可哀想だよ。あんなにカシムに懐いてるのに。そう言ったらとんでもなく嫌そうにしてた。
レオ君から聞いたヒーロー大活躍な話とも、私の中で膨らみきっていた想像とも正反対の答え。
「え、でもさ!カシムと話してる姿、本当にお似合いって感じだったよ!」
カシムにその気がないのは分かった。分かった、けど……!
それならそれで、私のこの行き場のないモヤモヤはどうすればいいの!?思わず「でもでも、だって!」と幼い子供のように、気付けば心にもないセリフを零していた。
「……へぇ。もう一回言ってみて?」
彼の声が先程までの不機嫌なものから、私を揶揄って遊ぶ時の愉しげなものに変わっていく。
「な、なによ。本当のこと言っただけでしょ……っ。彼女の方が大人っぽくて、あんなにストレートに愛情表現もしてて。ほんと、全然っ、私と違って……っ」
言っててどんどん惨めになっていく。ひとりで勝手に落ち込んで、挙句の果てに駄々を捏ね、素直になれないバカさ加減が嫌になってきて、最後の方は声が小さく震えてしまった。
情けなくて、恥ずかしくて、少しだけ泣きそうになりながらキュッと目を瞑ったと同時に抱き寄せられる。
「――嘘ばっかり。そんな風に言われても説得力ないよ」
耳元で囁かれる声は少し呆れていて、それでいて酷く甘い。
「――ミオはほんと、可愛いねぇ」
耳にカシムの熱い息がかかる。
結局、私のちっぽけな嫉妬も、強がりも全部バレバレで無性に悔しくなった。けれど、彼にしっかり抱きしめられているその心地よさに、私の心はすとんと落ち着く。
――この腕の中にいるのは、私だけがいいな、なんて考えてしまうくらいには、この意地悪な男に溺れてしまっているようだ。




