61:つい目が追っちゃう
夕方の営業が始まった『潮風の亭』は、今日も今日とて大繁盛だ。
あっちからもこっちからも注文が飛び交って、ホールの中は目が回りそうなほど戦場と化している。
「はい、お待たせしました! エールの追加と、つまみ盛り合わせです!」
「お、ありがとよ、ミオちゃん!」
常連さんたちのテーブルにジョッキを置き、空いたお皿をトレイにテキパキと回収していく。よしっ、次だ。
「きゃっ――っ!」
床に零れていた液体に気付かず足が滑る。バランスを崩しお皿が宙を舞うーーー。あぁぁ!やっちゃった!
「おっと。セーフ」
大惨事を覚悟していたが、声と共に私の身体ごと支えるように腕を回され、投げ出されたお皿も、彼のもう片方の手できれいにキャッチされている。お見事。でも人間業じゃないと思うの。
見上げれば、銀の髪の隙間から覗く双眸は、いたずらっぽく細められていた。
「怪我はない? …無茶しないようにね」
近い……。しかも、ここはホールのど真ん中だ。当然、一部始終を見ていた常連の酔っ払いたちが見逃すはずがない。
「おーーう! やってるねえ、カシム!」
「おいおいミオちゃん、そんなに旦那にベタベタ甘えちゃってさぁ!」
「いやぁ、お二人さん見せつけてくれるねぇ!」
ドッと沸き起こる、冷やかし。
私は恥ずかしさのあまり、「ち、違いますっ! ただ滑っただけ!」と否定して叫ぶのが精一杯だった。
けれど、当のカシムはそんな周囲の騒ぎにも、涼しい顔をしている。それどころか、私を更に抱き寄せながら、常連客たちへ向けて極上のスマイルを振りまいてみせた。
「すみません、うちの可愛い妻が少し慌てん坊なもので。皆様、足元にはお気をつけくださいね」
サラリと冷静に受け流すその態度が可愛くないっ。てか、いい加減手を離してよ!
「ちわっす! おじさーん、ごめん!遅くなっちゃった!」
私がカシムの腕から脱出しようと藻掻いていると、エプロンを締めながら裏口からレオ君が元気よくホールへと顔を出した。
レオ君は「へへ、親方のところの作業が長引いちゃった!」と、さっそく空いたジョッキを手際よく片付け始める。
「お、レオ。ちょうど忙しくなってきたところだ、助かるぜ!」
厨房の大鍋の前からガロンさんも声を張り上げる。
よくやく腕を解いたカシムは厨房へと戻っていった。賑わう店内をまた忙しなく歩きまわる。今度は滑らないように気をつけながら。
カランカランとベルが鳴り、新規の来客を告げた。
音と共に華やかで女性らしい香水の香りがふわりと漂う。つまり、超いい匂い。
「いらっしゃいま、せーーー」
私がそう言いかけながら振り返りざま、あまりの衝撃に言葉が喉に引っかかった。
(……な、何あの美人……!?)
そこに立っていたのは、同性である私ですら、一瞬で目を奪われて釘付けになるほどの絶世の美女だった。
波打つ艶やかな金髪に、吸い込まれそうなほど美しいサファイアブルーの瞳。そして何より、ひときわ目を引く、そのプロポーションが凄まじかった。
コルセットを締めているのかと思うほどキュッと細く引き締まったウエスト。それに対して、こぼれ落ちそうなほど豊満な存在感を放っている上向きの胸。まさにパーフェクトボディ。
(う、羨ましすぎる……。あんなの、並んだだけで公開処刑レベルじゃん……)
しかし、その美人さんは席に着くでもなく輝く青い瞳で店内をぐるりと見回した。
そして、厨房に立つカシムの姿を捉えた瞬間、歓喜に顔をこれ以上ないほどパッと輝かせたのだ。美女の笑顔の破壊力がエグい。
「会いたかったわ……!」
彼女は高いヒールの音を誇らしげに響かせ、一直線にカシムの前へと詰め寄った。カウンターに両手を突き、身を乗り出すようにして熱烈な視線を彼にぶつける。おぉぅ、む、胸が零れそうだよお姉さん……。落ち着いて。
「昨日、私を助けてくださった王子様! どうしても、もう一度お礼が言いたくて来ましたの!」
――王子様。
その凄まじいワードが賑わう店内に響き渡り私は持っていたトレイを落としそうになった。
(お、王子様ぁっ!?)
カシムと王子様がどうしてもイコールにならない。いや、黙って穏やかに微笑んでそれっぽい格好をすれば見えなくも……ない……か、も?
想像するけれど浮かんでくるのは私を揶揄って遊ぶ意地悪な笑みだけだ。
しかし、当のカシムは、目の前に特大の爆弾を落とされたというのに、眉一つ動かさなかった。
嘘でしょ……私だって見ずにはいられないのに。信じられない。
「……はい? どちら様でしょうか。申し訳ありませんが、人違いでは。……注文がなければ、どうぞお引き取りを」
丁寧で穏やかな言葉遣い。……けれど容赦ない。せめてもう少し優しく言ってあげればいいのに。
「まぁ!それでは何かお勧めを下さる?……それに私、まだ自己紹介もしていなかったわね。私はライラ。あなたはカシムさんよね?」
ライラと名乗った彼女は、豊かな胸元をきゅっと張り出し、サファイアブルーの瞳を潤ませてカシムに微笑みかける。
「……いえ、違います。人違いです。お勧めは特にありません」
(いやいやいや!? 違わないじゃん! あなた思いっきりカシムさんじゃん!!)
「間違えるはずがないわ。だって貴方みたいな素敵な人、他にいないもの」
完全に氷点下の対応を食らっているというのに、対する彼女は、まぁ!照れてるのね、とでも言いたげだ。グイグイと距離を詰めて、いかにも高級そうなお菓子の箱をカウンターに差し出している。……つ、強い。全然めげない。
(このライラさん、カシムの塩が全く効いてない……。とんでもない強者だわ……!)
私がカシムとライラさんを交互に見つめながらアワアワしていると、店の奥からジョッキを抱えたレオ君が顔を出した。そして、カウンターの前に立つ彼女を見て声を上げる。
「あ!本当に店に来たんスね!カシムさん、昨日助けたライラさんっスよ」
「あら。昨日親切にしてくれた男の子ね!どうもありがとう!」
カシムが突き通そうとしていた「人違い作戦」が、レオ君の一言によって一瞬で粉砕された。
レオ君一旦黙って!?カシムが何考えてるか知らないけどシャッター下ろしちゃってるから!
「やっぱりカシムさんじゃない! もう、意地悪なんだから!」
確信を得たライラさんは瞳をキラキラと輝かせ、頬を染めてカシムを上目遣いで見つめる。対照的にカシムの目がどんどん死んでいく気がする。今ならまな板の上の魚といい勝負だ。
(昨日…結局何があったの?)
レオ君はイマイチ状況を理解できない私に興奮気味に解説してくれた。
「ミオちゃん聞いてよ! 昨日、カシムさんが市場の路地裏で、この人がガラの悪い奴らに絡まれてるのを発見したんだよ! カシムさん、俺の肩を掴んで『危ないから俺の後ろにいて』って言ってさ! 自ら路地裏に飛び出して、一瞬でゴロツキを追っ払っちゃうの! いやぁ、やっぱりカシムさん格好良いなぁ!」
「ほほぅ…?」
レオ君の熱弁を聞きながら、私の脳内は疑問符だらけだ。
(……カシムが『危ないから俺の後ろにいて』とな?)
この男が、そんな正義のヒーローみたいなセリフを吐くわけがない。
しかし、彼はいつでも私を助けてくれているのも事実。それそこ出会った時から今日まで一日たりとも欠かすことなく私を守ってくれていた。意地悪でドSだけどそこは認めるしかない。じゃあ本当に……ライラさんを助けたくて、そんな風に飛び出したの?
(……嫌な奴だな、私。カシムが他の人に優しくしただけで、こんな……)
困っている人を助けたカシムは何も悪くない。人助けはイイコトで、さっきまでもっと優しくしてあげればいいのに、なんて考えてたくせに。
カシムが私以外をその腕で抱き寄せ守ったのだと知っただけで、心に黒いシミが広がる。
「私、昨日のあなたに一目惚れしちゃったの。貴方みたいな強くて素敵な男性、放っておけないわ!」
ライラさんは、堂々と真っ直ぐな想いをその場にいる全員に聞こえる大声で告白した。
ストレートで、眩しいほどの愛情表現。
(すごいなぁ……。あんな風に自分の気持ちを素直に伝えられるなんて)
意地を張って、バレバレの気持ちを誤魔化して、それなのに答えは欲しがる私とはまるで正反対。
「……っ」
カシムが好きだ。でも私の方が先に好きだったのに、なんてどの面下げて言えるのだ。まともに告白も出来ないくせに。
彼女と素直になれないバカな自分とを比べて俯くことしか出来なかった。




