59:既視感
翌日、予定通りカシムとふたりで出掛けていた。隣を歩く彼はニコニコと爽やかな笑顔を浮かべている。
「ミオ、足元に段差があるよ。気をつけて」
「あ、うん……ありがと」
何事もなかったようなカシムに対し、私の心臓は朝からずっとドラムの乱れ打ち状態だ。だって、まだあの告白 (みたいなもの)に対する返事を聞いていない。
訊きたい。けれど、「告白の返事は?」と切り出すタイミングを完全に失ったまま、港町の賑やかな中央通りを歩いていた。
カシムは私と繋いだ手を、時折、思い出したように親指の腹ですりっと撫でてくる。
そのたびに、背中や、腰にゾクッと甘い熱が走った。
「……ねぇ、カシム」
「なぁに? あ、あそこの焼き菓子、ミオが好きそうな甘い匂いがするね」
私が意を決して顔を見上げると、カシムは笑顔で話を逸らす。確信犯だ。この男、私が悶々としているのをわかった上で楽しんでやがる。本当に性格が悪い。
ソワソワした気分を誤魔化すように、私は空いた左手で自分の首元に触れた。そこにあるはずの感触が、今はない。
首元が妙に軽くて、心許ない。逸る気持ちを抑え私たちはようやく目的地である、重厚な佇まいの宝飾店へと訪れた。
店内に一歩足を踏み入れると、品のある店員さんが出迎えてくれた。
カシムは、出迎えてくれた店員さんに用件を簡単に説明する。案内された席でカシムが懐から取り出したチョーカーは、トップの石を固定するワイヤーワークが一部歪み、留め具が無惨に壊れていた。引き千切った時の自分の感情の荒れっぷりを突きつけられたようで、私は居心地が悪くなり俯く。
「こちらのチョーカーですね。では、奥の工房の職人に直接見せますので、少々お待ちいただけますか?」
「ええ、お願いします」
店員さんがチョーカーを預かって奥へ下がると、手持ち無沙汰になった。カシムの隣にいるのも、今はソワソワと落ち着かないため、店内に並ぶガラスのショーケースを眺めることにした。
煌びやかなジュエリーが並ぶ中、ある一つの棚の前で私の足がピタリと止まる。
「……あ」
それは、一対のピアスだった。
繊細な白銀の細工の先に、透明感のある蒼い結晶の雫が揺れている。光の角度によって、内部から神秘的なブルーの遊色がじわりと浮かび上がるその結晶は、チョーカーのトップの石によく似ていた。
綺麗。めっちゃ可愛い。
けれど、私はすぐに胸の中でため息をついて、一歩後ろに下がった。
(……可愛いけど、ピアス開けてないしな)
日本にいた頃も興味はあったが、自ら身体に穴を開けるなんて怖くて無理だ。
未練を残さないよう、私はカシムに気付かれる前に素早くその場を離れ、何でもない顔をして席へと戻った。席に戻るなり、カシムに再び手を握られる。私が身を硬くするたび、彼は満足そうに目を細めて笑った。ドキドキするやら腹が立つやらで、やはり落ち着かない。
「では、こちらへどうぞ」
戻ってきた店員さんに促され、私たちは店舗の奥にある扉を潜った。
一歩足を踏み入れた瞬間、ツンと鼻を突く金属の焦げたような匂いや、薬品、そして独特の空気感が肌を刺す。
(あれ? デジャヴ……。っていうか、ここって、まさか……!)
思い出した。私の黒歴史の、最新のやつだ。
先日、カシムと大喧嘩して自暴自棄になって泥酔した私が、レオ君に連れてきてもらった工房そのものである。世間は狭すぎるというか不運の神様の嫌がらせがピンポイントすぎる。私が内心慌てていると奥の扉が開く。
「修理依頼だな。いらっしゃい」
奥から現れた恰幅のいい頑固そうな職人――の、すぐ後ろから、見慣れた光属性の大型犬がひょっこりと顔を出した。
「あ、ミオちゃん!? と、カシムさん!」
「レオくん」
バチッと鉢合わせた瞬間、カシムの口元が外面用のさわやか100%スマイルへと切り替わる。そして、繋いでいるカシムの手が、一瞬だけピクッと反応した。
「ここがレオくんの弟子入り先だったんだね。……この間はレオくんが、親身になって心配してくれたおかげで、無事に誤解も解けて、以前よりもずっと絆が深まったから心配は一切いらないよ。これからは自分の修行に安心して専念してね」
丁寧な言葉遣いなのに、私には『二度と近づくな、余計な首を突っ込むな』と副音声が聞こえた気がした。
「そうなんッスよ! いやぁカシムさんにも応援してもらえるなんて!あざッス!」
しかし、相手はあのポジティブモンスター、陽の使者レオ君である。案の定、欠片も伝わっていない。強いぞ、レオ君!さすが純粋ワンコだ。
「ミオちゃん、仲直り出来て本当に良かったね!あの後よくよく考えたら、 あのまま、俺の家に泊まってたら着替えもないし困ったことになってたかも!」
弾けるような笑顔で、レオ君が超弩級の爆弾を落とした。
――ちょっと待て。
言い方。言い方が最悪すぎる。とんでもなく大事な、絶対端折っちゃダメな箇所が抜けてるから!!
その言い方は語弊がありすぎるよ!!
「…………へぇ」
カシムの声が、急に凪いだ。
底冷えのする銀色の瞳がゆっくりと、しかし確実に私をロックオンする。
「そうだったんだ。……ミオ? 俺に何か、言うことはあるかな?」
「いや! ちがっ!! カシム落ち着いて、また誤解してる!!」
人前で大騒ぎするわけにもいかずカシムのシャツの裾をギュッと引っ張って「後で説明するから!」と全身でアピールした。まさかの流れ弾で私が瀕死だ。
「……まぁ、レオと知り合いなのはわかったが、チョーカーの修理には三日かかるぞ。預かっておくからな」
親方の呑気な声に救われ、カシムは「よろしくお願いします」と早業で好青年の仮面を貼り直した。
店を出た後、私は心臓をバクバクさせながら、超高速早口で「レオ君はガロンさんの家に泊まる予定で、私は一人で部屋を借りるはずだったの!」と事情を説明した。カシムは「ふぅん、なるほどね」と微笑んでいたけれど、私を見る目が少しも優しくなっていないのは気のせいだろうか。ううぅ、現実から目を逸らして貝になりたい……。
帰宅後、案の定カシムの機嫌は悪かった。面倒くさい男である。しかし逃げることは出来ない。何故ならソファへと連行されたかと思えば、そのまま膝の上に乗せられ、腕の中に閉じ込められているから。こうなったら、やるしかない!
「あの日は自暴自棄になって、お金もないし、行くところもなかったから野宿するよりも安全だと思って!!……っ、今後は絶っ対、何があっても行かないから!」
「へぇ……。随分と危機感がないな。……どうやら、もう一度教育が必要みたいだね」
「うっ……! で、でも、そもそも私が飛び出したのは、カシムのせいでもあるからね!?」
苦し紛れの逆ギレ。でも本当の事だし!
「……なるほど、俺のせい、ね。確かに俺も、ミオを追い詰めるようなことをしたのは悪かったよ」
素直に非を認めたカシムに、私が呆気にとられていると、彼は私の頬にそっと手を添え、指先で耳たぶを優しくなぞった。
「じゃあ、これは俺からのお詫び。それと、これからは他の男の部屋なんて行かないって約束してくれた、ミオへのご褒美」
カシムのもう片方の手のひらが開かれる。
そこに収まっていたのは、私がさっきお店のショーケースで諦めたはずの、あの『蒼い雫のピアス』だった。
「あ……それ……っ! 気付いてたの……?」
「もちろん。 絶対に似合うと思ってね。ほら、つけてあげるよ」
「無理無理無理! 私、耳に穴開いてないってば! 痛いの嫌だ、怖いっ!」
耳を隠す私に、カシムは優しく目を細めた。
「大丈夫だよ。絶対に痛がらせたりしないから。……俺に、全部任せて」
カシムの指先が、私の右の耳たぶを挟み込んだ。
彼の指先から微かに青白い光が漏れ、冷気がじわりと皮膚を麻痺させていく。
それでも迫り来る「身体に穴を開ける」という本能的な恐怖に、私はギュッと強く目を瞑った。
「ミオ」
名前を呼ばれ、次の瞬間には唇に深いキスが落とされた。
「ん……っ、んぅ……」
頭の芯がシャッフルされるような、感覚。
カシムの体温と、鼓膜の奥に響く心音が、私の思考を染め上げる。
ちくりとほんのわずかな、痛みにも満たない感覚が耳元を通り過ぎた。
「……ん、ふぁ……っ」
ようやく唇が離された時、私は酸素を求めてカシムの膝の上でへなへなと脱力していた。
頭がぼーっと熱を帯びるなか、気が付けば反対側の耳にも同じちくりとした冷たさが通り過ぎ、あっという間に両方の耳たぶがカシムの魔法で貫かれていた。
その後、鏡を見るように促され、私はおずおずと洗面台の前に立った。
そこには、私の耳元でゆらゆらと美しく揺れる蒼い雫がふたつ、煌めいていた。
「……痛くなかった。……ありがとう、カシム」
悔しいけれど、本当に綺麗で。私は小さく微笑んだ。
カシムはそれを見て、満足そうに私の髪を優しく撫でた。
「どういたしまして、俺の可愛いミオ。――これで、どこに行っても俺のだって一目で分かるね」
その言葉に、私の心臓はまた、トクンと跳ねたのだった。こ、これがトゥンク……っ!!




