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災いの招き猫、『元』掃除屋に拾われる~不運をすべて引き受けると笑った死神は、今日も私のために料理する~  作者: サハラ


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57:玉座再来

 『もう一回聞かせて?』


 カシムの声が、誘うように響く。

 視界は完全な黒。カシムがどんな表情をしているのかは一切見えない。けれどすぐそばから、彼の匂いと、吐息の熱がダイレクトに降ってくる。

 暗闇の中、私はパニックの絶頂に達した。


「……っ、う、うるさーい! もうねるのっ!!」


 これ以上カシムのペースに乗せられたら、たまらない。回らない舌を必死に動かしてそう張り上げると、私は毛布を掴み、頭から勢いよく被って完全に蓑虫状態になった。背中を丸め、就寝という強い意志を示す。

 毛布の向こう側で一瞬の沈黙。

 やがて、クスクスと喉の奥を鳴らす、愉しそうな笑い声が聞こえてきた。


「はいはい。おねんねだね。……おやすみ、ミオ」


 頭の上から、毛布越しに大きな手がポンポンと優しく叩く。

 カシムはそれ以上無理に毛布を剥ぎ取ることも、揶揄うこともせず、そのまま私の背中にぴったりと寄り添うようにしてベッドに入ってきた。

 背中から伝わってくる彼の体温と心臓の音に包まれながら、私は爆発しそうな心臓を抱えたまま、逃げるように深い眠りへと落ちていったのだった。





 ふっと意識が浮上したとき、視界に映るのはここ最近すっかり見慣れた天井。

 まだ重たい頭で、ぼんやりと天井の木目を眺めていると、意識の覚醒に合わせて、昨夜の記憶が蘇る。


『好きって言いたかった』

『本当にカシムさんのことが大好きみたいだから』

『凄い剣幕だったねぇ。俺、あんな熱烈な告白初めて』


「っ、~~~~~ぅあ!!!」


 声にならない絶叫を上げ、私は羞恥に両手で勢いよく顔を覆った。

 あの純粋爆弾のレオ君によって、乙女の恋心が爆発四散した。なんでこんなことになったのか……。予定とは全く違う方向に進んでいる現状にのたうち回る。


(しかも、大声で啖呵切って飛び出したのに、その日のうちに回収されるなんて……!)


 顔を覆っていた手に、違和感を感じ視線を向ける。

 ――そこにあったのは、左手首から手の甲にかけて過剰に、かつ綺麗に巻き付けられた真っ白な包帯だった。


「あ、これ……」


 包帯の下の皮膚には、今もまだ、昨夜カシムに強く握られた時の熱が鈍く残っている。じっと包帯を見つめているうちに、少しづつ冷静になってくる。


 正直、今はもうあの時ほど怒っていない。でも、悲しかった気持ちは一向に晴れていないのも本心だ。このままなし崩し的に曖昧に終わらせるのは違う気がする。


「あ、起きたんだ。……体調はどう?」


 今後のことを考え思考の海へ沈んでいた私は、カシムの声によって現実へと引き戻された。

 ベッドへ近寄ってくるカシムのその銀色の瞳が、私の手首に巻かれた包帯へと向けられる。


「え、あ、うん……大丈夫。――って、それより今何時!?」


 ハッとして時計を確認し、私はベッドから飛び起きた。完全に大遅刻の時間だ。


「大変、早く行かなきゃ! ガロンさんの店、もう始まってるわよ!」


 私は慌てて身支度を整え、カシムを急かすようにして家を飛び出した。




「す、すみませんガロンさん! 遅くなりました……っ!」


 大慌てで裏口から店内へ駆け込みながら私は勢いよく頭を下げた。

 厨房の奥から、大きなお玉を持ったガロンさんが、いつもと違う時間に現れた私たちを見て「おう、遅かったな」と目を丸くする。


「珍しいな、遅刻なんてどうした? 何かあったのかと思ったぞ」


「本当にすみません! その、完全に私の寝坊です……! お騒がせしました!」


 これ以上迷惑をかけまいと、私は頭をしっかり下げ素直に謝罪した。

 ガロンさんは「なんだ、寝坊か。まぁそれならいいんだが……」と苦笑しながら厨房から出てきた。けれど、私の近くまで歩み寄ってきた瞬間、その動きがピタリと止まる。


「……おい、ミオちゃん。その顔、どうした? それに、その手首も」


 パンパンに腫れ上がった瞼に、過剰に巻かれた手首の包帯。誰が見たって何かあったとわかる状態。それが今の私だ。


「すみません、ガロンさん」


 正直に言う訳にもいかず目を泳がせる。すると、隣に立つカシムが私の肩にそっと手を置いた。驚いて横顔を見上げると、彼は眉を痛ましげに寄せ、声に後悔を滲ませながら、頭を下げていた。


「実は、昨日俺たち喧嘩をしてしまって……。俺の不注意で、彼女にこんな怪我をさせてしまったんです。本当に、夫失格です」


 絞り出すような、ひどく悲痛な声。

 ガロンさんは一瞬目を見開いたあと、状況を察したように深く息を吐き出し、カシムの肩をバシバシと豪快に叩いた。


「おいおい、カシム。ミオちゃんを大事にしてやれよ? 夫婦喧嘩もほどほどにな。若い二人が熱くなるのは分かるが、怪我をさせるまでやり合うんじゃねえぞ」


「……はい。本当に、肝に銘じます。今日は無理させないように彼女の分まで俺が動きます」


「おう、その心意気だ! ミオちゃんは無理にすんなよ!今日は予約もないし、ゆっくりしたらいいぞ」


 殊勝に頷くカシムを見つめながら、私の内心には特大の衝撃が走っていた。

 彼の事だから、なにか適当に誤魔化すと思っていた。不注意でぶつけたとか、転んだとか。それが、まさか本当の事を言うなんて……。


(本当に反省してる……の?)


 普段は、でまかせや嘘を平然と宣う彼が、今回は一切それをしなかった。それどころか、本気で後悔しているような表情を見せている。……どうして?



「というわけだから、ミオ。君は大人しくあそこに座っててね」


 カシムが私の肩に手を置いたまま、促すように視線を向けた。

 彼が指さした先――カウンターの奥の一角には、以前ガロンさんがわざわざ用意してくれた、ふかふかで座り心地が最高な、命名『玉座』が鎮座していた。


「今日一日、君の仕事はそこに座って、俺が働く姿を大人しく見てることだよ」


 笑顔に戻ったカシムが私を促す。




 ――本当に、一歩も動かしてくれない。

 カシムは言葉通り、私の分まで働いていた。玉座から、フロアを忙しなく動き回るカシムの背中を、観察する以外に本当にやることがない。

 そういえば、働き始めたばかりの頃もここに座っていたのを思い出す。お久しぶりです、給料ドロボウです。……なんて自虐が頭をよぎるけれど、私の思考はすぐに昨夜の出来事へと戻っていった。


 ふと、朝と同じように包帯に視線を落とせば、昨夜の彼の暴言が蘇る。怒りは消えても、言われた時の悲しみは、今も胸の奥をチクチクと刺し続けている。


(……でも、なんであんなこと言ったんだろう)


 あの時、彼は明らかに不機嫌だった。いつもの重くて面倒くさい嫉妬とは違って、余裕がなくて、どこか張り詰めていて……珍しく私の話を遮ってまで、言葉をぶつけてきたのだ。

 あんなの、全然私たちらしくない。

 何か致命的な「行き違い」があったんじゃないだろうか。何かを彼が誤解したから、あんなに傷つけるようなことを言ったのでは……。

 そんな風に、カシムの言葉の真意についてぐるぐると考えているうちに、もう一つの大切なことに思い至った。


(……投げちゃった。あんな風に、全力で……)


 昨夜のカシムとの口論の末、彼の元から去ろうとしたその時に、私は感情に任せて、チョーカーを彼に投げつけてしまったのだ。


 一体、どこにいったんだろう。道端に、そのまま置き去りにされてしまったんだろうか。そう思うと、疑問でいっぱいだった胸の奥が、今度はどんよりと深い悲しみで沈み込んでいった。失くしたくない。カシムがくれた、大切なものなのに。


 考えることが多すぎて、胸の奥のモヤモヤは時間が経つほどに濃くなっていく。

 そんな私のぐちゃぐちゃな心は変わらないまま、お店の営業はあっけなく終了した。


 並んで歩く帰り道。カシムは私の歩調に合わせてゆっくりと歩くけれど、いつもように手を繋ごうとはしてこなかった。触れ合わない距離が、余計に昨夜のしこりを際立たせる。

 それに、肝心の「大好きバレ」に対する返事も、カシムからは未だにはっきりとした答えを貰えていない。


 ……話をしよう。幸い、明日は店が休みだ。時間はたっぷりある。

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