54:人情が胃に染み渡る
私の視線の先に気付いたおじさんたちがレオ君を視界に捉える。
すると、何故かおじさんたちが一斉に怒声をあげた。
「あぁん!? テメェがこの姉ちゃんの旦那か!」
「えっ!? え、あ、俺、旦那じゃーー」
「あんな細っこい腕にアザ作りやがって、なんて野郎だコラァ!」
「ア、アザっ!?」
「男のくせに惚れた女泣かせてんじゃねえぞ、この若造がっ!」
「惚れ!?泣かせたってーー」
「言い訳すんじゃねぇ! 大体テメェ、先ずは謝りやが――」
夜の広場に、おじさんたちの怒涛の説教が響き渡る。ヤバい!おじさんたち勘違いしてる!
突如現れただけのレオ君は、何が何だか一切分からないまま、もの凄い剣幕で詰め寄られて完全にパニックになっていた。
「まって、まって!シュトップ! 違いますおじしゃんたち! この子はゆーじんで、ただのピュアな少年です! わたしのクショ旦那はもっとこう、ほしょみでヘラヘラしたクジュらんです!」
私が慌てて両手を振りながら彼らの間に割って入ると、おじさんたちは「あぁ? 違うんか?」と一斉に拳を引いた。「なんだ、人違いか」「紛らわしい事してんじゃねぇよ」と理不尽に解放されたレオくんは、目を白黒させ事態についていこうと必死の様子だった。
けれど、おじさんたちが親切心で持ってきてくれた冷たいタオルと、そこから覗く私の左手首を見た瞬間、レオくんの表情がガラリと変わった。
「ミオちゃん……その手どうしたの?」
私は慌ててタオルで手首を隠し、引きつった笑みを浮かべた。
「こ、こりぇ!?あや、あの、えっと……ちょっと柱にぶちゅけちゃって! そう、私のふちゅーい! あはは……」
「そいつは姉ちゃんの旦那がやったんだと。本当ヒデェ奴がいたもんだ!あんちゃんもそう思うだろ!?」
必死の誤魔化しも虚しく、横からおじさんが悪気なくすべてをぶちまけた。
(だまれ、酔っ払いっ!何全部言ってくれてんの!?)
おじさんたちの「全くだ!」「男の風上にも置けねぇ!」という怒号が背景で響く中、レオくんの顔からみるみる血の気が引いていく。
「……ごめん、ミオちゃん。俺が昼間、余計なこと言ったからだよね……。俺のせいで、ミオちゃんがこんな……」
今にも泣き出しそうな、しょんぼりとした顔をする。大きな身体を縮め瞳を潤ませるその姿は、さながら『怒られて耳と尻尾をこれ以上ないくらい丸めて反省しているゴールデンレトリバー』のようだった。
その庇護欲を唆る破壊力に居ても立ってもいられなくなり、私はブンブンと全力で首を振った。
「違うの! レオくんは全然悪くない!!」
「でも……俺がアドバイスなんかしなかったら……」
「しょんなことない!アドバイス嬉しかったよ!1から10までじぇんぶ、あいつのノンデリとモラハリャがげーいんだから!!」
私の勢いに圧倒されつつも、レオくんはまだ少ししょんぼりとしたまま、「夜も遅いし、ずっとここにいるのは危ないよ」と私の身を案じてくれた。
お金も行く宛てもないことを正直に白状すると、おじさんたちも交えて一同で「うーん」と腕を組み、深夜の大真面目な相談会が始まる。すると、おじさんの一人が何か思い付いたのか、レオ君に視線を向けた。
「あんちゃん、悪いやつじゃなさそうだし、お姉ちゃん助けてやれよ」
おじさんの一人にバシバシと背中を叩かれ、レオくんは「えっ、ええっ!?」と一気に顔を真っ赤にした。
「で、でも、俺の部屋に、その……女の子を泊めるなんて、そんな……ミオちゃんの外聞的にもよくないんじゃ……っ」
両手をパタパタと振って、ピュアボーイらしくめちゃくちゃ慌ててる。その様子を見ておじさんたちが「若いねぇ!」「お前が何もしなきゃいいんだよ!」とゲラゲラ笑い出した。
けれど、レオ君は私の酔って赤く染まった顔と、手首のアザをもう一度見つめると、意を決したように小さく息を呑んだ。
「――あ、そっか。ミオちゃんが嫌じゃなければ、今日は俺の家に来る? 俺はおじさんのところに泊めてもらうから、部屋は丸ごと空くし……それなら、大丈夫だよね?」
少し耳を赤くしながらも、私を最優先で気遣ってくれる紳士な提案。どっかの似非紳士面の死神とは大違いだ。
私はその優しさに、また涙が出そうになってしまった。なんて良い子なんだ。こんな酔っ払いのボロボロの女を女の子扱いしてくれるなんて……。
「よし! 話がまとまったなら、お姉ちゃん、これ餞別だ! 持ってけ!」
広場を立ち去ろうとしたところ、おじさんたちが「まだ中身が残ってるからな!」と、果実酒のボトルを強引に私の手に握らせてくれた。
「ありがとぅ、おじさんたちぃ……っ。わらし、頑張るからっ……おじしゃんたちの優しさ一生忘りぇない……っ!」
カシムに傷つけられた心に人の情けが身に染みすぎて、私は涙目でボトルをぎゅっと抱きしめた。
広場を出るまでの短い間にも、勧められるがままさらに何口か煽ったせいで、私の頭はすっかりふわふわ状態になっていた。
視界が優しく揺れて、手首の痛みもどこか他人事のように遠い。すっかり千鳥足で足元がおぼつかない状態のまま、私はボトルを大事に抱えて、レオくんに連れられるように夜道を歩き出した。
「しょういえば、れおくんはこんな夜中にどーしてしょとを歩いていたのー? なにかあった?」
ふと気になって訊ねてみると、レオ君は「あはは……」と気まずそうに自分の赤髪をかいた。
「俺、この先の工房に弟子入りしててさ。それで……明日の朝一番で親方に見せる予定のデザイン画をもう少し手直ししたかったんだけど肝心のデザイン画忘れちゃって……はは」
「でじゃいんが?」
「うん。何度も描き直してるんだけどなかなかイメージが固まらなくて……今から親方の工房に、それを取りに行く途中だったんだ」
そう言って、てへ、と恥ずかしそうに笑うレオ君。
店にいる時の、人懐っこく、可愛いレオ君しか知らなかったけれど、今、私の前を歩く彼の背中は、不思議と少し大人びて見える。
「着いたよ。ここが俺の修行させてもらってる工房なんだ」
案内されたのは、大通りから少し外れた場所にある、古びた、けれど手入れの行き届いた建物だった。
レオ君が鍵を静かに回し扉を開けると、金属やワックスの独特な匂いがほんのりと鼻をくすぐる。職人さんたちが帰った後の深夜の工房は、ひっそりとしていて、どこか厳かな空気すら漂っていた。
「ちょっと待っててね。確か、この机の上の……あ、あった!」
レオ君は作業机の上に残されていた紙の束から、一枚の厚手の紙を愛おしそうに両手で拾い上げた。
「これ……俺が描いたんだ。親方に見せる予定のやつ。……どうかな?」
少し耳を赤くしながら、レオくんがそっとその紙を私に向けて見せてくれる。
お酒のせいでふわふわとしていた私の視界が、一気に釘付けになった。
「――わぁ……」
思わず、感嘆の息が漏れる。
そこに描かれていたのは、細い鎖と、繊細な羽を広げた、小さな鳥のブローチのデザインだった。銀の線を編み込むような緻密な模様、光の当たり方まで計算された美しい陰影。それは素人の私から見ても、圧倒されるほど綺麗で、どこか温かみに満ちていた。
「しゅごい……! しゅっごくきれー、れおくん。じょーずだね!」
「へへっありがと。……でも、親方にはまだまだ認めてもらえないから手直ししたくて。俺の作品には深みがないって言われるんだ……」
そう言って、レオくんは大きな手を茜色の短髪に差し込み、ちょっぴり悔しそうに、だけど諦めていない力強い目でデザイン画を見つめた。
親方に厳しいダメ出しをされても、腐るどころか「もっと良くしたい」と夜通しで足掻こうとしている。
(……かっこいいな、レオくん)
カシムからただ泣いて逃げ出すことしかできなかった自分。
だけど、目の前でひたむきに夢と闘っているレオくんの姿を見ていたら、冷え切っていた胸の奥に、じわじわと熱い火が灯っていく。
(私、何いつまでもウジウジしてるんだろう。お金がないなら稼げばいい。あいつに酷いこと言われたからって、私の人生が全部終わったわけじゃないのに!)
レオくんのまっすぐな情熱に、私の心が強く触発される。ちゃんと前を向いて、自分の足で立たなきゃ。
「らいじょーぶ! れおくんのでじゃいん、本当に素敵らもん。ぜったいに親方を見返しぇるよ。わらしがほしょーする!」
「あはは、ミオちゃんにそこまで言ってもらえるなら、本当に親方を驚かせるような手直しができそうな気がするよ。ありがとね」
はにかむように微笑むレオくんの瞳が、キラキラと輝く。
お酒の酔いも手伝って、私の顔には、今夜初めての「明日へ向かうための」心からの笑顔が浮かんでいた。
「よし、デザイン画も無事に回収できたし、俺の家に行こうか。ここから家まで送ったら、俺はそのままおじさんのところに行って泊めてもらうからさ。……あ、ボトル、重かったら俺が持とうか?」
「へいきへいきー! これ、おじしゃんたちのにんじょーが詰まってるから、かりゅいよ!」
私たちは来た道を引き返し二人並んでレオ君の家へ向かった。
今日の寝るところはレオ君のおかげで何とかなったけれど、着替えどうしよう……。




