47:人を呪わば・・・
「うっまい!!! カシムさん、また食べたいッス!!」
「……そうだね。またそのうちね。」
お昼の営業を終えた、遅めのまかないタイム。
カシムが仕掛けた激辛シチューを、ものすごい勢いで平らげていくレオ君。若干悔しそうな(希望)カシム。そんなふたりを見ながら私も食事を進めていく。
――ガガガガガシャン!!!
びくりと肩を揺らして振り返ると、店の裏口の扉が、壊れそうなほどの勢いで開かれていた。そこには息を切らせたガロンさんがリアカーいっぱいに食材の詰まった木箱を運びつつ、額に汗を浮かべ、顔を真っ赤している。
「た、ただいま! お前ら、メシ食ってる場合じゃねえ! 大変だ、完全に忘れてた!!」
「おじさん? どうしたんすか、そんなに慌てて」
レオ君がスプーンをくわえたまま首を傾げる。ガロンさんは木箱をドサリと調理台に置くと、自身の頭を乱暴にかきむしった。
「今日の夕方、街の防衛隊の若手連中から、三十人の団体予約が入ってたのをすっかり失念してた! 仕込みもテーブルセッティングも何もやってねえ! あと一時間ちょっとで奴らが押し寄せてくる、急いで準備に取りかかるぞ!」
「「ええええっ!?」」
私とレオ君の声が綺麗にハモった。三十人の団体客を、ガロンさん、カシム、レオ君、私の四人で迎える!? しかも準備時間は一時間!?
のんびりとした空気は一瞬で消し飛び、店内に戦場のような緊張感が張り詰める。
「ガロンさん、落ち着いてください。仕込みのメニューと優先順位の指示を。すぐに取りかかります」
カシムが一瞬で切り替えてガロンさんを手伝い始めた。エプロンの紐をキリッと締め直す彼の動きは悔しいけど格好良かった。
「おう、助かるカシム! 肉の切り出しと煮込みの火入れを頼む! 俺はソースと前菜を仕上げる!」
「分かりました。……ミオ、レオ君。俺とガロンさんはキッチンにかかりきりになる。ホールのセッティングと、宴会用の酒器の用意は二人に任せるよ」
「ええ、任せて! カシムたちは仕込みに集中して!」
「オレ、力仕事ならいくらでもやります! ミオちゃん、頑張ろう!」
カシムは「頼んだよ」と、一見するといつも通りの優しい笑みを私に向けた。けれど、その銀色の瞳が「俺の目の届かないところで、あのガキとベタベタするなよ」と語ってる気がする。せっかく見直したのに台無し!
けれど、今はカシムに構っている時間なんて一秒もないのだ。
バタバタとキッチンへ消えていくガロンさんとカシムを見送り、私はすぐさまホールへと向き直った。
「よし、レオ君! まずは大テーブルを三つつなげて、大人数が座れるように席を作っちゃおう!」
「了解っす!」
レオ君は頼もしく返事をすると、体格を活かして、重い木製のテーブルを軽々と動かしていく。さすがガロンさんの血を感じる。頼りになるね。
私も負けじと、テーブルの上をダッシュで拭き上げ、椅子を綺麗に整えていく。
「ミオちゃん、こっちのテーブルの位置はこれで大丈夫?」
「ばっちり! ありがとうレオ君、すっごく助かる!」
「へへ、ミオちゃんに褒められると張り切っちゃうな!」
屈託のないワンコ笑顔を見せるレオ君。私達は息を合わせて急ピッチで準備を進めていった。
テーブルセッティングや食器の準備も粗方終わり、予定時刻まであと三十分。
「次はジョッキね。三十人分、あらかじめカウンターに並べておかなきゃ」
私は大人数用の予備のガラスジョッキを取りに、カウンターの奥へと向かった。
問題のジョッキが保管されているのは、私の背丈よりもはるかに高い位置にある棚だ。普段はガロンさんやカシムが取るのだけれど、今は手が離せない。私は木製の古い踏み台を持ってきて、その上に乗って爪先立ちになった。
「う、ちょっと遠い……。よいしょ、っと……」
焦りと、押し寄せる時間のプレッシャー。そして、私の人生に常にまとわりつく、あの忌々しい「不運」が、最悪のタイミングで噛み合った。
ガタッ。
「え、――あ」
踏み台が大きく傾いた。完全にバランスを崩し、視界がぐにゃりと反転する。
(なんで今なのよー!?)
「っとぉ! 危ねえっ、ナイスキャッチ!」
私の身体は、一瞬の浮遊感のあと、がっしりとした弾力のある大きな腕の中にすっぽりと受け止められていた。
顔をあげるとそこには茜色の髪と必死な形相をしたレオ君。彼は片手で私を抱きかかえたまま、反対の手でジョッキの入ったトレイの重みを支えていた。
「……っし、セーフ! あー、びっくりした。ミオちゃん、怪我ねえ!?」
ガシャガシャと激しい音が鳴ったものの、レオ君のおかげで、ジョッキは一個たりとも床に落ちることなく、トレイの中で奇跡的にすべて収まっている。
「レ、レオ君……! すごい、ジョッキも全部無事……!」
「へへ、昔からこういう時の踏ん張りだけは自信あるんだ! それより、ミオちゃんが無事で本当によかった……」
文字通りの身を挺したファインプレー。その純粋な格好良さと優しさに、私は胸を打たれ感動していた。ありがとう、レオ君!
「……へぇ、ずいぶんと騒がしい音が聞こえたけれど」
そんな感動の余韻に冷水を掛けるような声を掛けてきたのはおたまを手にしたカシムだった。
(爽やか笑顔の中で目だけが死んでるー!?)
カシムから見て今の状態は、レオ君の腕の中にすっぽりと収まり、至近距離でお互いに顔を赤らめて見つめ合っている(ように見える)、私とレオ君の姿。
(あ、ヤバイヤバイヤバイ。助かったけど、この体勢、この密着度は、一番やっちゃダメなやつだ――!!!)
あまりの恐怖に私の心臓が凍りつきそうになった、その時。カシムの視線が、私たちの足元へとスッと落ちた。
「……なるほど。この踏み台、完全に脚が折れているね」
「えっ?」「ん?」
言われて初めて、私もレオ君も足元を見た。そこには、私の体重とバランスの崩壊に耐えきれず、完全にボキリとへし折れた古い踏み台の木脚が転がっていた。
「こんな危険なものを使わせて、危うく俺の可愛い奥さんが大怪我をするところだったよ。……レオ君、ミオを助けてくれてありがとう。素晴らしい身のこなしだね」
カシムの声は、視線とは違って穏やかで、優しく、慈愛に満ちていた。
けれど、彼は一瞬で私達の間に割って入ると、レオ君の腕の中から私の身体を素早く引き抜き、自分の懐へと回収した。
「カ、カシム……っ」
「でもね、俺の奥さんにそんな風にベタベタと触れるのは、そこまでにしてもらおうか」
カシムは外面の笑顔を張り付かせたまま、レオ君に対して、はっきりと釘を刺した。
レオ君からは見えない角度で、私の腰をホールドしているカシムの指先には、力が込められている。衣服の上からでもはっきりと分かる、無言の「お仕置き確定」のサイン。完全に地雷を踏み抜いた……。
「あざっす! カシムさんに褒められるなんて光栄っス! ミオちゃんも怪我がなくて本当によかったね!」
しかし、我が道をいく最強の天然ワンコ・レオ君は、バシッと自分の胸を叩き、カシムの意図に一ミリも気づかないまま、爽やかに白い歯を見せて笑った。
レオ君の無邪気な優しさには、涙が出るほど感謝している。
感謝している、のだけれど――。
「おい、お前ら! そろそろ防衛隊の奴らが来るぞ! 一気に仕上げるぞ!」
キッチンからガロンさんの怒鳴り声が響く。
「はい、今行きます」と微笑みながら、カシムは私の耳元に顔を寄せ、不気味なほど甘い声で囁いた。
「……目を離すとすぐこれだ。ミオ、今日の夜、たっぷりと『お話』をしようね?」
(レオ君……あなたのポテンシャルには救われたけど、そのせいでカシムの嫉妬の爆薬が完全に大爆発しちゃったじゃないのよ……! 今夜の私が大惨事だわーーー!!)
押し寄せる団体客の気配と、確実に訪れるであろう恐怖の夜を前に、私は心の中で盛大に頭を抱えるのだった。




