46:大型犬の質問攻め
「よし。お盆の角度はこれでヨシ、メニュー表を盾にする時の初速も問題なし……!」
レオ君が本格的に店を手伝いに来る、初シフトの日。
私は開店前の静かにカウンターの陰で、ひとりシミュレーションを繰り返していた。今日ガロンさんは市場の大きな仕入れで昼過ぎまで戻らない。つまり、店の中は私とカシム、そしてあの光属性の大型犬レオ君の三人きりなのだ。
(何も悪くないレオ君を、行方不明にさせるわけにはいかないのよ……!)
丸椅子のスライド、チラシの突き出し。あらゆる防衛アクションのイメトレに励んでいると、背後から「クスッ」と低く滑らかな笑い声が聞こえた。
「ミオ、朝から随分と楽しそうだね? そんなにあのガキが来るのが待ち遠しいんだ」
「!!」
振り返ると、エプロンを身につけたカシムが、いつの間にこちらを見ていた。どこに出しても恥ずかしくない「さわやか好青年」の微笑みを浮かべているけれど、不穏な圧を感じる。い、胃が痛いぃぃ。
「た、楽しそうにしてないわよ! これはお店の、ひいてはこの街の平和を守るための神聖な儀式よ!」
「ふぅん。じゃあ、その神聖な儀式がどれくらい役に立つか、俺も楽しみにしておくよ」
カシムが意地悪く口角を上げ、私の腰に手を伸ばそうとした時ーーー。
カウベルが小気味よい音を立てて響き、あの圧倒的な「陽の気配」が店内に飛び込んできた。
「おはようございまーす! カシムさん、ミオちゃん! 今日からよろしくお願いします!」
茜色の短髪を揺らし、エメラルドグリーンの瞳をきらきらと輝かせたレオ君である。今日も今日とて、背後に巨大な尻尾がブンブンと振られているのが見えるようだ。
「お、おはよう!レオ君。今日からよろしくね」
「あはは、おはよう。荷物は奥の控室に置いていいからね」
カシムのごく普通の挨拶に、私はホッと胸をなでおろす。レオ君は「はいっ!」と元気よく荷物を置くと、さっそく私たちがいるカウンターの中へと入ってきた。
そしてそのまま、ぐいっと私との距離を詰めてくる。
「ねえねえ、ミオちゃん! 開店前に少しお喋りしてもいい? 俺、ミオちゃんのこと、もっと色々知りたくてさ!」
弾ける笑顔。人懐っこい笑顔にふわっと癒される。体格は私より一回りも二回りも大きいくせに、こうして懐いてこられると、まるで弟ができたみたいだ。
か、可愛いぃっ。
だがその瞬間、隣にいるカシムから冷気がひゅっと漏れ出たのを私は察知した。あっぶない!なんで分かったの!?
私は反射的に、手に持っていた大きめのお盆を胸元で構え、レオ君との間に壁を作る。
「あ、あはは……。いいよ、レオ君。何が知りたいのかな?」
「やった! あのさ、ミオちゃんってどこ出身なの? 実家はどんなところだった?」
ズドン、と一発目から私の最高機密のど真ん中にクリーンヒットした。
実家。出身。そんなもの、こことは別の世界で女子高生として生きていましたなんて、口が裂けても言えるわけがない。
「えっ!? あ、えっと……実家、実家ねぇ……。ちょっと、かなり遠くの田舎、かな。本当に何もない、静かなところで……」
お盆を盾にしたまま、冷や汗交じりに視線を彷徨わせる。するとレオ君は「へえ、田舎なんだ!」と目を輝かせ、さらに一歩踏み込んできた。
「じゃあ、カシムさんとはどこで知り合ったの? カシムさんみたいなすっごく格好よくて優しそうな旦那さんと、どうやって結婚するに至ったのか、俺すっごい気になる!」
(出会いは川でどんぶらこしてるところを、暇つぶしで拾われました、なんて言えるわけないでしょ――!?)
確か、駆け落ちとか、夜逃げしてきたってカシムが言ってたはず……よね?合ってる!?えっっ、どんな流れだっけ。あの男設定追加しすぎなのよ!!
タジタジになっていると、レオ君の視線が、ふと私の首元へと向いた。
「あれ? ミオちゃん、その首のスカーフどうしたの? 今日、結構あったかいのに」
「ひゃいっ!? これ、これはその……ちょっと、冷え性、っていうか……!」
数日前の実地訓練の痕が、まだうっすらと残っているのだ。慌ててスカーフを押さえる私の後ろから、低く甘い声が鼓膜を震わせた。
「ミオの両親が商売相手に身売り同然でミオを差し出そうとしたから使用人の俺と駆け落ちしてきたんだ。それ以来、俺がいないと何もできない可愛い奥さんになっちゃってさ。その首のやつも、ミオが俺からなかなか離れなかった名残なんだよ」
カシムが私の肩にそっと手を置いて爽やかな笑顔のまま、さらりと嘘と、とんでもない爆弾を混ぜ込んだセリフを吐く。
「ちょっとカシム、何言って……っ!?」
頬がカッと熱くなる私を置き去りにして、レオ君は「うおー!」と感動したように拳を握りしめた。
「身分違いの駆け落ちから繋がった運命の出会い!? すっげえドラマチック! しかも、カシムさんめちゃくちゃ愛妻家っすね!ミオちゃん、本当に愛されてるんだね!」
……うぅ、レオ君が眩しい。カシムの独占欲全開の牽制を、ピュアな恋愛ドラマとして完璧に脳内変換してしまった。
私の肩に置かれたカシムの手が、ほんの一瞬だけピクッと反応した。
(レオ君、お願いだからもう喋らないで! カシムの独占欲ゲージが限界突破しそうだから――!!)
――その後、バタバタと始まった三人での営業。
私はレオ君をカシムの殺気から遠ざけるべく、常に一定の距離を保ちながら、必死に動き回った。
カシムの手際と、レオ君の意外な勘の良さ、そして私の命がけの危機管理が見事に噛み合い、お昼のピークタイムは大盛況のまま無事に終了。
時計の針は15時を回り、ようやく遅めの「まかない兼昼休憩」の時間になった。
(ふぅ……! なんとか昼の修羅場を乗り切ったわ! 午後の営業もこの調子なら大丈夫なはず。ガロンさんが戻るまであと少しだし、このまま何事もなく無事に終わりますように……!)
「はい、お待たせ。今日のお昼だよ」
そんなささやかな願いに思いを馳せているとキッチンから出てきたカシムが、ニコニコと笑顔でテーブルに皿を並べる。
私に出されたのは、じっくり煮込まれた美味しそうなトマトシチュー。そしてレオ君の前に置かれたのは――真っ赤で、どろりとしたスープから禍々しい湯気が立ち上る、明らかに異常な一皿だった。
「わあ、美味そう! ……って、あれ? カシムさん、これ……?」
レオ君が目を丸くする。皿からは、鼻を突くような強烈な唐辛子と数々の香辛料の香りが漂っていた。
近くにいる私でも目と喉が痛くなってきたんだけど!?
「ああ、それはね、レオ君。職人の見習いをしてるって聞いたから、体力がつくようにスパイスをしっかりめに効かせておいたんだ。ちょっと『辛口』だけど、男ならこれくらい平気だよね?」
カシムは小首を傾げ、思いやり溢れる笑みを浮かべてのたまった。
平気なわけがない。あんなの、一口食べたら喉が消滅するレベルの兵器だ。そこにはカシムの「嫌がらせ」が詰まっていた。
(カシム、いくらなんでも大人げなさすぎるわよ! レオ君、無理して食べちゃだめ――)
私が止める前にレオ君がスプーンで真っ赤なスープをすくい、躊躇なくパクッと口に運んだ。
「お……、おおおおっ!?」
レオ君の顔がカッと赤くなり、エメラルドグリーンの瞳に涙が浮かぶ。
ほらやっぱり! 私が慌ててお水を持とうとした、次の瞬間――レオ君の表情が、パァァァッと大歓喜の笑顔に変わった。
「うっまーーーーーい!!! これ、すっげえ美味いっす! 俺、実はめちゃくちゃ激辛大好きなんスよ! でも、ここまで香辛料を使う店、なかなかなくて!」
「……え?」
カシムの笑顔が、今度こそ完全にフリーズした。
「カシムさん料理上手ッスね! っていうか、俺が激辛好きってよく分かりましたね!? いやぁ、一目見ただけで相手の好みを完全に見抜くなんて……やっぱりカシムさん、すげえ格好よくて尊敬するッス!!」
レオ君はハフハフと額に汗をかきながら、ものすごい勢いで激辛シチューを平らげていく。その姿は、大好きなご馳走を前にしてぶんぶんと尻尾を振る大型犬そのものだ。
嫌がらせのつもりが、まさかの天然装甲で完全無効化され、むしろ100%の純粋さでリスペクトされてしまったカシム。
カシムは笑顔を保ったまま、その目尻をピキッと引き攣らせ静かに、スプーンを握りつぶしそうなほど力を込めていた。
(ぷっ……! あ、あははは! カシムの嫌がらせが全く通じてない! レオ君、あなた最強のワンコだわ……!)
カシムの嫌がらせが見事に空振りした様子に、私は必死に笑いをこらえるのだった。
(やーーーい! しょうもないことするからよ! ざまぁ見なさい!)
私は心の中で日頃の悔しさをぶつけるようにカシムを盛大に煽る。やっちゃえ!レオ君!私には無理だけど!!




