45:命懸けのディスタンス
「お礼祭り」という名の自爆から明けた翌日。
私とカシムは初めての休日を迎えることになった。
もちろん、私の第一任務は「カシムの首元の封印」である。
何が悲しくて、自分が必死に吸い付いた痕跡を世間様にお披露目しなければならないのか。私は朝一番でクローゼットからありったけのスカーフや高襟の服を引っ張り出し、「これでも喰らえ!」とばかりにカシムの首元を厳重にぐるぐる巻きにしてやった。
が、相手はあのドSノンデリ男である。
『えー、ミオがせっかく可愛く付けてくれたのに、隠しちゃうの? 俺は全然見せびらかして歩きたいんだけどな。あ、それとも、他の奴に見せるのがもったいないってこと?』
そんな軽薄極まりないニヤニヤ顔とともに、私が巻いたスカーフは一瞬で、手品のようにするりと解かれた。
結局、「お腹空いたね。市場においしい果物でも買いに行こうか」と、爽やかな笑顔のカシムに手首を掴まれ、私はそのまま街へと連れ出される羽目になったのだ。
当の本人は、気にする様子もなく「ミオ、次はあっちのお店に行こうか」なんて機嫌よくのたまう始末。
(……墓穴って、たぶんこういうことを言うのね。お礼なんて言い出すんじゃなかった……!)
そんな精神的疲労にまみれた休日が過ぎ去り、数日後の朝。
ガロンさんの店には、いつも通り爽やかな朝日が差し込んでいた。
(……よし。切り替えていくわよ。今日、師匠が挨拶に来るんだから!)
私はカウンターの陰で、戦場に赴く戦士のような心地で気合を入れていた。
「お、ミオちゃん、朝から随分と気合の入ったツラ構えだな」
奥から出てきたガロンさんが、タオルで汗を拭きながら笑った。
「あ、ガロンさん! 今日、甥っ子さんが挨拶に来るんですよね? ちょっと緊張しちゃって」
「ハハッ、大丈夫だ。そんなに緊張しなくてもいいぞ。今日は挨拶だけだからな」
それは無理なんです。ガロンさん……。たまにとはいえ、店に来るというレオ君の命は、私のソーシャルなディスタンス管理にかかっていると言っても過言ではない。
「ミオ、分かってる?」
キッチンから顔を出したカシムは、いつも通り完璧な「さわやか好青年」の仮面を被って、微笑んでいる。その声に力強く反応しようしたところで、店のドアが勢いよく開き、カウベルが小気味よい音を立てた。
「おはようございまーす! ガロンおじさん、いるー!?」
まぶしい。思わず目を細めてしまうほどの「光属性」が、店内に飛び込んできた。
日に焼けた健康的な小麦色の肌に、夕日のように鮮やかな茜色の短髪。そして、好奇心と人懐っこさに満ちたエメラルドグリーンの瞳が、キラキラと輝いている。背が高く、がっしりした体格、尻尾をブンブン振っているゴールデンレトリバーみたいなワンコ感のある男の子だ。
「おお、レオ! よく来たな!ちょうどお前の話をしてたところだ」
カウンターをまわって出迎えたガロンさんが、男の子の背中をバシバシと豪快に叩く。
「こっちがいつも店を支えてくれてるカシムと、ミオちゃんだ。仲良くしてくれ!まぁ、今日は挨拶だけで、実際に手伝ってもらうのは数日後からだけどな」
「はい! よろしくお願いします!」
レオ君はバシッと胸を叩くと、私を見るなり、パッとそのエメラルドグリーンの瞳を輝かせて一歩踏み出す。
「わあ、君がミオちゃん!? おじさんから聞いてたけど、想像以上にすっごく可愛い!」
悪意ゼロ、下心ゼロの、ド直球な褒め言葉。
(ひ、光が眩しすぎる……!なんだろうこれ!?溢れ出る陽の気配が凄すぎて浄化されそう!!!)
レオ君はパッと表情を輝かせると、人懐っこい犬特有の「人類皆兄弟」みたいなノリで、一歩、また一歩と私に詰め寄ってきた。近っ!!身長差が凄い。
あまりのゼロ距離攻撃に面食らいつつも、私は焦りを悟られないよう、丁寧に頭を下げた。
「は、はじめまして、レオさん。ミオと申します。ガロンさんにはいつもお世話になってます、よろしくお願いします」
「うん!よろしくね!あ、でも俺たち、年も変わらないし、俺も職人の見習いだからさ。そんなに堅苦しいのはナシにしようよ! 気軽に『レオ』って呼んでよ! よろしく、ミオちゃん!」
そう言って、彼は屈託のない満面の笑みで、大きな右手を差し出してきた。
「よ、呼び捨て……っ!?」
私の脳内にカシムの教育という名のあれこれが早送り再生された。呼び捨ては良いの!?いや、まずいかな!?
恐る恐る背後のカシムへと視線を向ける。
カシムは、これ以上ないほど綺麗で、穏やかで、完璧な「優しいお兄さん」の笑顔を浮かべていた。
だが、その銀色の瞳は、レオ君の首筋(頸動脈のあたり)をロックオンしてる。
(ひぃぃぃぃぃ!?まだ働いてもいないのに、行方不明のカウントダウンが始まってる!?)
「…あ、…あはは。えっとじゃあ、レオ君って呼ばせてね」
私はここ最近鍛えられた危機管理能力を発揮し、差し出しそうになっていた手をバッと自分の後ろに引っ込めた。あっぶな!
代わりに近くにあった「お店のチラシの束」を掴むと、レオ君の差し出された手に勢いよく握らせた。
「さあ、挨拶が済んだら、まずはこれを配って、お店周りの地理を覚えた方がいいかな!? ね! はい、これ持って行ってらっしゃい!」
「え? お、おう? ミオちゃん、めちゃくちゃやる気満々だね!」
無理やりチラシを握らされたレオ君は、不思議そうに首を傾げながらも、やっぱり無邪気に笑っている。良い子だっ!守りたい、この笑顔。
そのレオ君の視界を完全に遮るように、カシムが軽い足取りで、スッと私と彼の間に割って入った。
「はじめまして、レオ君。カシムです。ミオの、――『夫』だよ。よろしくね」
カシムは、レオ君の手からチラシを抜き取ってカウンターに戻すと、代わりにその大きな手をガシッと握りしめた。もちろん笑顔のまま。でもその笑顔が不穏なものに感じてるのは残念ながら私だけのようだ。
「あ、よろしくお願いします! カシムさん、すげえ優しそうな人ですね! ミオちゃんみたいな可愛い奥さんがいて羨ましいです!」
カシムの視線に全く気づかない、天然光属性のレオ君。
カシムは、さらに笑顔の口角を吊り上げながら、歌うようなトーンで言葉を続けた。
「あはは、ありがとう。そうなんだよね、ミオって本当に可愛いから、俺も毎日飽きないよ。……でもね、レオ君。こんなに可愛い奥さんだけど、実はすごく人見知りでさ、特に若い男には怯えちゃうから、あまり近づかないように気を付けてあげてね?」
爽やかな笑顔でまた勝手に追加設定始めた!?
心の中で大絶叫する私を置き去りにして、レオ君はカシムの言葉を素直に受け止めていた。
「なるほど!分かったッス!気を付けます!」
あはは、と茜色の髪を揺らして笑うレオ君。
強い。強すぎる。
(レオ君……あなた、大物だわ。でもお願いだから、これ以上カシムを刺激しないで……!)
「じゃあおじさん、またシフトの日になったら来るよ! ミオちゃん、カシムさん、またね!」
嵐のような挨拶を終え、レオ君は最後まで眩しい笑顔で店を去っていった。
ガロンさんも「よし、仕込みを終わらせちまうか」と奥へ引っ込んでいく。
ドアが閉まり、静寂が戻った店内で、私はガクッと肩を落とした。今日は挨拶だけだったけれど、これから彼が店を訪れるたびに、この命がけの攻防をやらされるのだ。
カシムの背中から立ち上る、微笑みと混ざり合った不穏なオーラを感じながら、私は「この一帯の平和は、私のディスタンス管理にかかっている……!」と、新たな使命感に燃えるのだった。




