42:イメトレの成果
(絶対誤解された……明日からどんな顔して働けばいいの)
置いていかれた私は顔が爆発しそうなほど真っ赤になったまま、悠然と棚を整理しているカシムを睨みつけた。
「あんた……っ、本当に言い方考えて! 何が『離してくれなかった』よ!!」
「本当のことだろ? 隠し方が甘いよ、ミオ。そんなにチラチラ見せて、本当は誰かに自慢したかった?」
カシムは平然と私の横を通り過ぎ、その際に髪の隙間から覗く私の耳元に顔を寄せた。
「……さあ、仕事仕事。赤くなってないで、しっかり動かないと。昨夜の俺の『教育』が無駄になるだろ」
耳元にかかった低い声と、なぞるように首筋をかすめた彼の吐息。
私は悔しさと羞恥で、握りしめた拳を震わせるしかなかった。
――見てなさい。いつか絶対、あんたのその余裕を剥ぎ取って、私と同じくらい顔を真っ赤にさせてやる……!
私は彼の後ろ姿を睨みつけてから仕事に戻った。
今日こそは、カシムに頼らない。彼が私の「不運」を裏で助けてくれてるのは分かった。けれど、それに甘んじているから、いつまでもあんな風に子供扱いされて、好き勝手に翻弄されるのだ。
(カシムが動く前に、私が先に不運を予測して動けばいいのよ。そうすれば、カシムの手を借りる必要もなくなるはず!)
私は神経を研ぎ澄ませ、店内のあらゆる「危険」に目を光らせた。
あそこの棚は少し立て付けが悪い。荷物を置くときは慎重に。
あそこの床板は少し浮いている。歩くときはあそこを避けて。
「……よし、完璧」
予見、回避、対策。頭の中でシミュレーションを重ねる。そのおかげか日中でも時折危ない瞬間はあったが、大きなやらかしもなく時間が過ぎていく。
客足も引きそろそろ夕日が沈み始める頃、掃き掃除のために外へ出たときだった。私は前方にある、わずかに盛り上がった石畳の段差に気づいた。
(来たわね。あそこで躓いて転ぶのが、いつもの私のお約束。でも、今の私は気づいてる。ここを大きく一歩避ければ――)
私は勝利を確信し、優雅にその段差を避けて左側へステップを踏んだ。
しかし、回避した時、何処かでギィィっと軋んだ嫌な音がした。
「あ……」
見上げた先にあったのは、古くなった建物の、今にも外れそうになっていた看板だった。
石畳を避けることに全神経を集中させていたせいで、頭上の異変に気づくのが一瞬遅れた。
強風に煽られた木の看板が、嫌な音を立てて私目掛けて剥がれ落ちる。
「っ、しまっ――」
避ける時間はなく、反射的に腕で頭を庇い目をつぶった。
(ーーーせめて頭だけでもっっ!!!)
ガシャォン!!
激しい音が、周囲に響く。
「……ねえ。足元に気を取られすぎて、上がお留守だよ。そんなんじゃ、あっという間に死んじゃうよ?」
呆れたような、けれどどこか楽しげな声。
ゆっくりと目を開けると、そこには案の定、私の腰を片腕でしっかりと抱き寄せたカシムが、いつもの余裕たっぷりの笑みを浮かべて私を見下ろしていた。
「あ、ありがと……でも!もう、絶対に、何があっても、あんたの手は借りないから!」
カシムの腕を振り払い、私は足早に店へと戻った。
店に入ると、私はすぐにガロンさんに聞いて工具箱を引っ張り出した。
「ミオちゃんそろそろ閉店するからほどほどにな?でも助かるよ!ありがとなっ!」
「はい!任せてください!」
(さっきの看板だって、私がもっと注意してれば済んだ話。だったら、店の中の不安要素も全部、私の手で解決してやるわ!)
ターゲットは、先程からガタつきが気になっていた店奥の食器棚。
先ずは棚の食器を出そうと踏み台に乗って背を伸ばした。髪を下ろしているせいで首筋が蒸れて暑いけれど、諸事情により今日は纏められない。
なんで私ばっかり気にしないといけないのよ!カシムのせいなのに!
「よいしょ、っと……あ」
踏み台の上で、一番上の段にある大皿を手に取ろうとした瞬間、お皿が滑った。
(やばいっ!!)
私は必死に腕を伸ばし、落下寸前でその縁をギリギリ捕まえた。セーフ。圧倒的セーフ。
「っ、ふぅ……危なかった……」
危機一髪。以前なら皿を割っていたかもしれないけれど、今日の私は気合が違う。いい感じ。また一歩、成長を感じる。
その後も慎重に、一つ、また一つと食器を運び出す。
ついに最後の一枚をカウンターに置き終えたとき、私は小さくガッツポーズを作った。素晴らしい。ファビュラス。
「よし、完璧。あとは……」
棚の中身は空になった。これならもう、何が起きても中身を割る心配はない。
私は達成感に浸りながらノリノリで床に置いた工具箱に手を伸ばした。
(さぁ、見てなさいカシム。あんたの手を借りなくても、私はこうして着実に「安全」を勝ち取って……)
その時だった。
天井からのランプの光が、不意に遮られた。
「……え?」
視線を工具箱から外した先にあったのは、どこかで見覚えのある靴先。
いや、正体は薄々わかっているけれど、これは答えを先延ばしにしたい私の悪あがきだ。
……つま先から、徐々に、出来るだけゆっくりと視線を上げていく。
そこには、いつの間にか私の目の前に音もなく立ち、棚に片腕を突いているカシムがいた。
……でしょうね。知ってたわよ。
「……なによ。急に目の前に立たれたら、びっくりするじゃない」
「……後ろ。せっかく皿を避けても、自分が潰れたら意味がないだろ?」
「え?何のこーー」
カシムが顎をしゃくって後ろを指す。私は怪訝に思いながらも振り返ると、カシムの腕によって強引に止められた巨大な食器棚が迫っていた。
「っ、うそ、倒れて……!?」
「そう。倒れてきてたんだよ、ミオの上にね」
カシムは涼しい顔で、倒れかかる棚の重みを片腕一本で受け止めている。
……いや、おかしいでしょ。どんな筋力してるのよ。ガロンさんみたいなガタイならまだしも、なんでその細身のどこにそんなパワーがあるわけ?
いや、そんなことより……。
(気づかなかった……。工具に夢中で……!)
あまりの展開に情けなさと、また助けられてしまった悔しさでガックリと肩を落とし俯いた。
「ふぅ……。……ほら、また。俺がいて良かったね?」
カシムが小さく吐いた息が、頭のてっぺんを揺らす。
そのまま棚を軽々と押し戻すと、私の頭にポスンと重みが掛かった。……つむじが温かい。
「うぅ……」
カシムは私の頭に顎を乗せて、両腕で私を軽く抱きしめた。
視界が彼の服で覆われる。離れなきゃいけないのに、頼りたくないのに。
ふわりと鼻腔をくすぐる、微かなリンゴの匂いが、意固地になっていた私の思考を解していく。
下ろしていたはずの両手は、いつの間にか私を裏切りカシムのシャツを握りしめていた。
「……っ、偶然よ。たまたまカシムがそこにいただけなんだから。助けて貰った訳じゃないから」
胸元に顔を埋めたまま、自分を納得させるための言い訳を絞り出す。けれど、シャツを握ることはやめられなかった。
カシムは否定も肯定もせず、ただ私の背中をあやすようにゆっくりと叩いた。
「じゃあその偶然が、一生続くのが俺の理想かな」
囁かれた言葉に、幾つもの反論が浮かんでは消える。
自立したい。対等になりたい。
そう願えば願うほど、私の中でのカシムという存在の大きさが浮き彫りになる。
(……やっぱり、最低だわ。あんたも。……情けない私も)
悔しくてたまらないのに、結局はカシムに助けられる自分。
彼から離れられないまま、私は今日何度目かになる、勝算のない「いつか絶対」という誓いを、飲み込んだ。




