28:安心はプライスレス
お揃いのマグカップやその他の細々とした生活雑貨を購入し、私たちはさらに市場の奥へと足を進めた。
買い出しも終盤。重たいものは後で運び屋さんが届けてくれる手筈になっているけれど、私の手首には、細々とした雑貨の袋がいくつか揺れている。
「次はいよいよテーブルと椅子ね。……あ、カシム! あのソファ、可愛くない?」
私が指差したのは、店先に並んだ落ち着いたグリーンのソファだった。
ふっくらとした座面に、緩やかなカーブを描く背もたれ。大きすぎず小さすぎず、絶妙なサイズ感だ。
「……へえ。ミオ、君は本当にそれがいいの?」
「ええ。この色なら、あのフローリングの床にも合いそうじゃない。……ダメ?」
私が上目遣いで尋ねると、カシムはふっと目を細めた。いつものヘラヘラした笑み。けれど、どこか不穏さを感じた私はやっぱりやめると言い出す前にカシムの方が先に口を開いた。
「ダメなわけないだろ。むしろ、ミオのセンスには脱帽だよ。……これなら、ふたりで座ると絶対触れ合うものね?新婚さんにはこれ以上ないほどお誂え向きだ」
「……っ、何言ってんのよ! 別にそういうつもりじゃなくて、デザインが……」
「わかってる、わかってる。ミオは照れ屋さんだね。……でも、俺は大歓迎だよ。早くこのソファで君を独占したいな」
カシムは私の否定も焦りも相手にせずさっさと店主に支払いを済ませる。店主の「微笑ましい」といかにも言いたげな目を見るとやっぱりやめるって言える雰囲気じゃなくなった。……自分で選んだのに腑に落ちない。
その後も、私の好みを優先して、温かみのある木製のダイニングテーブルや、座り心地のいい椅子を選んでいく。
カシムは時折「角が丸い方が、ミオがぶつかっても痛くないね」なんて余計なアドバイスを挟んできたけれど、基本的には私の選ぶものを「いいね、素敵だ」と全肯定してくれた。
さっきまでの却下の嵐が嘘のように甘やかされてる気がする。これも私の気の所為?いや、絶対違うと思う……この男、何か企んでる気がする。
――そして、数時間後。
荷運び屋さんたちが次々と荷物を運び入れ、嵐のように去っていった後。
新居のリビングには、大小さまざまな木箱や麻袋が積み上げられていた。
「よしっ、やるわよ! 私はこっちのキッチン関係をやるから、カシムはあっちの重たいのをお願いね」
私は袖をまくり上げ、気合十分に一番近い木箱へ手をかけた。
隠れ家での生活を思い返すとカシムの方が家事全般、私よりも遥かに上なことなんて分かりきっている。そもそもあの家では、ほんとに私は何もしていない。謙遜とかじゃなくて。あえて言うなら迷惑しか掛けてない。けれど、ずっと世話になりっぱなしというのも、そろそろ潮時だろう。自分なりに貢献して、少しでも対等な関係に近づきたい。
……が、指先に力を込めるより早く、横から伸びてきた腕に箱を取り上げられた。
「おっと。君がその箱を持ったら、三歩歩く前に額をぶつけるか、指を挟んで泣きつくかの二択だ。初日から床が血に染まるのは、見てられない」
「……っ、失礼ね! これくらい私でも持てるわよ!」
「はいはい。その溢れんばかりのやる気は、あっちのソファを温める仕事に回して。……ほら、座った座った」
カシムは私を子供扱いするように、なかば強引に例のソファへ押し込めた。
そこからは、もはや見慣れたルーティンだった。
手際よく麻袋の紐をナイフで切り、重い棚を軽々と配置し、割れ物を素早いけれど丁寧に整理していく。その動きには一切の無駄がない。何とか私もやろうと隙を伺うがソファから立ち上がる素振りを見せるとカシムがすかさず「座ってて」と圧を掛けてくる。
「……本当、いつも思うけど。家事スキル極めすぎでしょ。ここでもそれやられると、私の居場所がないんだけど」
「家事? はは、ただの『整理整頓』だよ。……片付けるのは得意だからねぇ」
「その片付けるって、絶対掃除とかの意味じゃないわよね?」
結局、私が出来たのは、お揃いのマグカップを棚の特等席に並べることくらいだった。彼がそれを、満足気に眺めていたのが、少しだけむず痒い。
(……なんでそんなに嬉しそうなのよ。いつもみたいにヘラヘラ笑えばいいじゃない)
作業が一段落し、キッチンに立つカシムの背中を眺める。
彼が帰り際に市場で購入したもので、手際よく夕食を作る姿も、今となっては見慣れた光景だ。食材が、彼の流れるような手つきで次々と美味しいご飯へと変貌していく。
特に嬉しいのが材料が怪しくないってことだ。自給自足といえば聞こえはいいが、あれはサバイバルと言っていいと思う。味は良いのに元になった食材が気になって素直に味わえない。ピンクと黒の縞模様なヘビや、目に刺さる蛍光カラーな極彩色の鳥、爆発する謎の実は嫌だ。特にキノコ、あいつは絶対に認めない。
過去にカシムが食卓に並べた数々の原材料を思い返しているといつの間にか料理が出来上がっていた。
テーブルに並べられたソテーを口に運ぶ。……文句の付けようがない完璧な味付けだ。もちろん安心感も違う。まさにプライスレス。
「すっごい、おいしい!……本当にカシムは器用ね」
「はは、光栄だね。そんなに喜ばれると俺も作り甲斐があるよ」
カシムは自分の料理には手をつけず、私が食べる姿を、銀色の瞳でじっと眺めていた。それは何か企んでるような、ただペットを愛でているだけのようでもあった。
……その瞳で見られるとまたチョーカーで隠れた首の、ある一部分が疼いた気がした。
夕食の片付けを終えると(カシムが)、私は安らぎを求めて例のグリーンのソファへ腰を下ろした。
……うん、やっぱりこの色にして正解だった。部屋全体が落ち着いた空気で満たされる。私が足を伸ばしてくつろごうとした瞬間、隣にふっと重みがかかった。カシムだ。彼が当然のように、私のすぐ隣に腰を下ろす。
「……ねえ、他にも席は空いてるわよ?」
「ここが一番落ち着くんだからいいでしょ。……それに、ミオが選んだこのソファ、二人で座るのに丁度いいじゃん」
彼は笑いながら、肩が触れ合う距離まで身体を寄せてきた。二人掛けのソファゆえの、どうしようもない密着度。逃げ場のない距離感に、心拍数がじわじわと上がる。やっぱりやめておけば良かったと後悔するが時すでに遅し。
「ねえミオ、明日からのバイトに向けて、少し『接客の練習』でもしようか。新入りなんだから、予行演習は必要でしょ?」
「……接客の練習? 別に、普通に働けばいいじゃない」
「ダメだよ。愛想の良さが重要なんだ。……いい? 俺を客だと思って」
カシムはそう言って、先ほどまでの軽薄さを消し去り、街中の女性がうっとりするような極上の優男モード全開の笑みを浮かべた。
「……おや、可愛い子だね。一人旅で少し寂しくてね。君のオススメを教えてくれないか?」
彼は私の手をふわりと取り、手の甲に唇を寄せんばかりの距離で見つめてくる。銀色の瞳はとろりと甘く、普段の彼からは想像できないほど艶っぽい。
「え、えっと……本日の、日替わりスープと、焼き菓子が……っ」
「スープか。美味しいだろうね、君が淹れてくれるなら。……でも俺が今、本当に欲しいのは、君自身なんだけど」
「…………っ、もういい!!!」
あまりの熱量と、耳元で響く低音に耐えきれず、私は弾かれたように立ち上がった。顔が熱くて、直視できない。
カシムはお腹を抱えて楽しそうに笑っている。その様子を見て、私は自分が完全に手のひらの上で踊らされていたことに気づく。
(……くやしい。本当に、調子狂う)
ソファの背もたれを囲い込むように置かれた彼の腕が、まるで私を閉じ込める檻のように見えた。
でも、問題なのは逃げようと思えない自分自身だ。




